父・緩和ケア病棟

奇跡の日。

昨年、父のことを書き続けていたとき、このブログのアクセスは対自分比で かなりすごいアクセス量になっていて、 身バレなどを考えると内心ハラハラしていたものだった。 正直、病気や人の死などの話は好奇心で読んでみたくなる人も相当数いるのだろう。 わ…

感謝の言葉。

いよいよ父との別れが現実的に近づいてきていると感じた1週間前あたりから わたしにはひとつの願いがあった。 本当に些細なことではあるけれど、 「その日」には、 わたしの好きな看護師さんが担当であってほしいという願いだった。 もちろん、この病院でお…

その瞬間。

それは日曜日の朝のこと。 朝7時過ぎにわたしの携帯が鳴った。 病院からである。 もう嫌な予感以外の何物でもない。 夜勤の看護師さんが電話の向こうで言う。 「〇〇さんですが、もう時間の問題かもしれません。」 そう遠くないうちにやってくると覚悟してい…

透き通る秋の空へ。

2日前の朝 父が旅立ちました。 わたしと兄に見守られて。 最期を迎える1時間前。 わたしと父は二人きりの時間を過ごすことができました。 「わたし、お父さんの娘でよかったよ」 と、口に出して伝えることが出来ました。 言わなければと思いました。 逃げ…

たぶん、これは自分との闘い。

父を亡くすことがつらいのか? 父を見ていることがつらいのか? 父が苦しそうだからつらいのか? 朝から晩まで病室で過ごすことの息苦しさがつらいのか? だからといって、病室を離れられないことへのジレンマがつらいのか? 自分の体調が良くないからつらい…

吐き出す、そして浄化する。

今日は思いがけず、心が洗われる1日だった。 書きたいことが山ほどあるけれど 身バレリスクに配慮したいこともあるので いずれ、すべてが終わって アクセス数も減り・・・落ち着いたら詳細は書こうと思う。 今の時点で書けることを一部抜粋すると 師長さん…

缶詰め。

緩和ケア病棟に入って約40日。 これまで食事介助を目的として、朝晩2回病院へ通ってきた。 けれど、もう食事が摂れなくなり、わたしの「食事介助」は必要なくなった。 それは同時に、食事が摂れなくなる以上 衰弱は加速し、もういつ何が起きてもおかしく…

苦痛を与えているのは私。

両国国技館での相撲観戦、2回 靖国神社参拝 東京国立博物館 国立西洋美術館 国立科学博物館 すみだ北斎美術館 国立演芸場で寄席 日本橋クルーズ 柴又帝釈天 柴又寅さん記念館 スカイツリー見学 横浜中華街で四川麻婆豆腐 横浜中華街での朝がゆ 横須賀記念艦…

いいのかこれで?

朝晩2回の病院通の中、急に更新頻度が高まったのは 病院通いをお休みしているから。 先日のブログでも触れたとおり、日曜日の夕方(父がお風呂に入った日)から 兄が来ている。 明日の朝食まで世話をしてくれることになっているので、 わたしは明日の夕方ま…

戸惑い。

前記事の翌日、夕方にいつもどおり緩和ケア病棟を訪れると ナースステーションの中にいた前日の看護師さん②(←とてもいい人)が カウンター近くにいて、すぐにわたしに気が付いてくれた。 そして開口一番、 「あ!今日〇〇さん、お風呂入ってくれましたよ~…

例えばこんな感じ。

昨日の話。 ※ただの日記で、何のオチもありません。 夕方4時に病室へ行く。 このごろは1日のほとんどの時間を眠っていて、 わたしが病室に来ているときでも大半傾眠状態にあるが、この日は珍しく起きていた。 起きている・・・といっても、今の父の場合は …

1か月経過。

父が緩和ケア病棟に移って、ついに1か月を過ぎてしまった。 父の状態も気がかりではあるのだけど、 もっと気がかりなのは・・・ 「一体いつまでここに居られるのだろう?」 ということ。 「緩和ケア病棟」というと、ホスピスをイメージする人が大半だと思う…

つらさの正体。

読んでくれる方たちには、あまり気づかれていないかもしれませんが わたしはこのブログ・・・特に父のことを詳細に書くあたり できる限り家族以外への不満は書かないように気を付けてきました。 それはやはり、知っている人が読めばハッキリと誰が書いている…

見えない重圧。

父が緩和ケア病棟に移って3週間を過ぎた。 入院してから数えると1か月を過ぎたことになる。 父の少しずつ衰弱していく姿には、ショックを受けたりすることは意外と少ない。 ただ、ときどき、ギクっとするほど寝顔がやつれていることがあって そんなときに…

3週間経って。

父が再入院して1か月・・・緩和ケア病棟に移って3週間になる。 振り返ってみるとあっという間。 病室へ・・・と場所を移したわたしの通い介護もずっと継続中だ。 父の様子は・・・というと、 この3週間の間にゆっくりとじわじわ衰弱が進んでいると思う。 …