見えない重圧。

父が緩和ケア病棟に移って3週間を過ぎた。

入院してから数えると1か月を過ぎたことになる。

 

父の少しずつ衰弱していく姿には、ショックを受けたりすることは意外と少ない。

ただ、ときどき、ギクっとするほど寝顔がやつれていることがあって

そんなときには思わず「呼吸しているんだろうか・・・?」と

確かめてしまうことはある。

 

そんな中、自分の心身の疲労というのは確実に蓄積されていっていると感じる。

ブログにも詳細に綴って来たとおり、

8月の肺炎から退院したあと、父は2週間・・・自宅で一人暮らしを継続した。

その間、わたしは訪問看護師さんとヘルパーさんのサポートの手を借りながら

朝晩2回通うことで、父の一人暮らしを支えていた。

 

再入院となったときに、少なくとも医療的ケア・食事・体調見守りについて

病院スタッフのみなさんにお任せすることができるということになり

自分の精神的な負担は大きく軽減された。

 

けれど再入院から1か月・・・・

今また別の形で、朝夕2回の病院通いの生活が精神的に負担になるつつあり

この感情をどう処理していいかわからなくなってきた。

 

緩和ケア病棟に限らず・・・

本来であれば、家族が病院に入院しているときの面会は

家族のペースで、都合の合う日、時間帯に自由にできるはずのものだけれど

父の場合、そうではなくなりわたしが朝晩付き添うことが

ルーティン化されてしまっている。

看護師さんの間でもそれがデフォルトになっている。

「〇〇さんの娘さんが朝晩必ず来て食事介助をしてくれる」と。

このごろ、それがものすごく重荷に感じるようになってしまった。

 

最初は父の徘徊防止が目的だったはずの付き添い。

今はもう徘徊するだけの脚力はないので、その心配はゼロなのに

それと入れ替わりに、ひとりで食事が摂れなくなり・・・

朝晩の食事はわたしが食べさせることが「当然」のようになってしまっている。

 

これが思いのほか自分にとってプレッシャーでつらい。

自分が食事介助をしないと父が食事を摂らないことがあきらかなので

サボることが許されないという気持ちにさせられる。

 

食事が運ばれてくると看護師さんがわたしに「よろしくお願いします」と言う、

そしてたまに

「今日の昼食のときに、お父さんが”娘を呼んでくれ”って言ったんですよ(笑)」

などと、看護師さんがほほえましいエピソードとして話してくれたりするのだけど

それすらプレッシャーに感じてしまう。

 

「食事介助は娘さんでないと」と言われているような気持ちになるのだ。

(※もちろん、看護師さんはそんなことは言わない)

 

緩和ケア病棟の看護師さんたちは、患者に寄り添う・・・という意識がとても高い。

なのでほとんどの方がとてもやさしい。

けれど、その「患者を思う気持ち」が時にわたしへの重圧となる。

 

つい先日は、ある看護師さんから

「お父さんはコーヒーがお好きなんですね。たまに気分転換として喫茶店など

外出させてあげてはどうかな・・・と思いますよ。」

とニコニコして言われた。

 

看護師さんが父のためを思って言ってくれたのはわかっている。

けれど、わたしにはその提案が重すぎた。

 

正直、心の中では

「朝晩2回の病院への通い介護だけでもしんどいのにそのうえ外出のお楽しみまで作らないとダメなのか・・・?」

と、大げさかもしれないけれど、目の前が真っ暗になった。

車椅子でしか動けない父を、もう完全おむつになった父を

もうここがどこかもわからなくなった父を・・・

たとえ数時間とはいえ、たとえ喫茶店とはいえ

ひとりで連れ出す自信がないし、朝晩2回通うだけじゃ不十分なのかな・・・

わたしはまだ、足らないんだろうか?と、

落ち込むような、心が重くなるような・・・なんとも表現しがたい気持ちになった。

 

その時以来、その看護師さんと話すたびにドキドキしてしまうようになった。

「父を外へ連れ出してあげないことをかわいそう・・・と思われていないか?」と。

 

また別の看護師さんから

食事が摂れない父のことを思い

「何かご本人が食べたいというものを持ってきてもらって食べさせてもらっていいんですよ。キッチンも自由につかってくださいね。」

と言われることも。

 

これも今の私には、

「これ以上まだ父のために工夫して、努力して頑張らないといけないのか」という

呪いの言葉に聞こえてしまってつらい気持ちにさせられる。

 

病院食が食べられないのなら、もっと別の何か・・・

食べてくれるものを探したり工夫しないといけないのかな。

そういう努力を求められているってことなんだろうか?

いや、ほかの末期がん患者さんの家族はそういう努力をしているってことなのかな。

 

だからといって、決して看護師さん達に対して不満を持ってるわけじゃない。

看護師さん達は父のことを思って言ってくれていることだとわかるから。

 

今、看護師さん達に対して、毎日ものすごく肩身が狭いというか、

必要以上に罪悪感を感じてしまっている自分がいる。

 

たぶん、ほかの人からみると「そんなの気にすることないよ」と言われそうだけど

たとえばせん妄状態の父に突然スイッチがはいって

看護師さんを攻撃すること、

攻撃的になって、自分が欲しがったはずの痛み止めの薬を拒否すること、

ほとんど毎朝、おむつから尿が漏れて大洪水になり、

よりによって朝の忙しい時間帯に父の着替えと、

ベッドのシーツを変えてもらう・・・という、

余分な仕事を増やしてしまっていること、

それなのに「トイレへ行きたい」と言い出すこと、

そして、お昼は食事の介助も必要なこと・・・。

(朝早くから来ている家族は私以外にいないので、同じ緩和ケア病棟で、食事を自分でできない患者なんていないってことだと思う・・・)

 

だんだん疑心暗鬼になっていくというか・・・・

父は迷惑がられてないかと不安になったりする。

「緩和ケア病棟じゃなくて、介護施設へ行くべきじゃないのか」

と思われたりしていないか・・・・と。

 

 

だから、正直なところ・・・わたしが必死で朝晩通うのは

「迷惑ばかりかけてすみません。わたしも出来る限りの協力をするので

父のことをよろしくお願いします」

という、そんな気持ちを行動で表すため・・・・と言っていいかもしれない。

 

 

 

父に寄り添うことに集中出来たらいいのだけど

それよりも周囲からどう見られているか?のほうが怖くて

どっちを向いて介護をしているのかわからなくなる。

 

こういうことを書くとまた「いい娘と思われてたいのだろう」という

批判コメの矢が飛んできそうだけれど、

決して、そうういうことじゃない。

そんなことは全く考えていない。

 

ただひたすらに、誰にも迷惑をかけたくないだけ。

迷惑かけてすみません・・・と、周囲に頭を下げて、

小さくなっていなければならない状況がつらいだけ。

 

大げさでもなんでもなく、この緩和ケア病棟に居られなくなったら困るので

迷惑にならないように、必死なだけ。

 

緩和ケア病棟は、わたしにとってありがたい場所であることに変わりはないけれど

わたしがこういう気持ちになるのは、

この場所が「介護施設」ではないからなのかもしれないな、と思う。

 

なんだか看護師さんたちに

父の介護をお願いしているかのような気持ちになってしまうせいかもしれない。

 

 

このごろは、自宅で夜眠っていても、いつも父の夢ばかり見て

夢の中でも父の病院に通って、食事介助をしている。

そんなふうだから、寝ても全然疲れが取れる気がしない。

 

何がつらい・・・と、具体的に言えるわけじゃなくて

とにかく今は、

この状況が、この生活がまるごとつらくて息苦しい。

常に父のことを考えて、時間を気にしながら生活していることすべてが

自分にとって、重くてたまらない。

 

いつまでこの生活は続くのかな?とか、

いつになったら楽になれるのかな?とか。

ついつい考えてしまう。

弱っていく父をかわいそうに思ったり、

自分が頑張らないとと思ったりする一方で

そんなふうに・・・やっぱり衝動的にこの責任から逃げたい気持ちになってしまう。

 

でも、楽になれる日・・・というのは、それは父との別れを指しているので

それを望んでいるわけじゃないのだ。

じゃあ頑張るしかないじゃないか・・・と、

結局、思考は「やるしかない」というところに落ち着く。

 

そんな毎日。

 

さあ、ちょっと弱音を盛大に吐き出したので

また明日から頑張ろう。