奇跡の日。

昨年、父のことを書き続けていたとき、このブログのアクセスは対自分比で

かなりすごいアクセス量になっていて、

身バレなどを考えると内心ハラハラしていたものだった。

 

正直、病気や人の死などの話は好奇心で読んでみたくなる人も相当数いるのだろう。

わたしのブログを純粋に楽しみにして読んでくれる人よりも

あの時期は「好奇心」で見に来ている人がかなり多かったと思う。

 

実は父の最期の数日間のことで・・・

あの時期、書きたかったけれどアクセス数が多すぎて怖くて書けなかった話がある。

(たぶん、”いつか書きたい”というふうにほのめかした記憶はあるけど)

 

更新が不定期になって、興味本位だけの「にわか読者」がいなくなり、

アクセス数も減ってきた今だからこそ

こっそり書こうと思う。

 

さて、どこから話せばいいのやら・・・。

 

あれは、父の亡くなる4日前のことだった。

わたしはその頃はすでに朝から夜まで1日ずっと病室で過ごしていたのだけれど

その日の午後、看護師長さんが病室で父に付き添うわたしを訪ねてきた。

 

看護師長さんは、その経験からか、わたしの心の中を見透かすように言った。

「娘さんは、たぶんわたくしどもスタッフにとても気を使っていらして
なかなか本当のお気持ちを話せないでいるのではないかな?ととても心配してます。
何かできることがあれば、いつでも遠慮なく言ってくださいね」

と。

 

その言葉は図星だった。

このブログにもさんざん書いていたと思うけれど、

とにかく看護師さんの迷惑にならない患者家族でいなければ・・・という思いで、

当時のわたしは必死だったから。

 

今思い出してみても、看護師長さんは本当に慈愛に満ちた人だった。

彼女のその言葉をきっかけに、わたしもその時期になってようやく看護師長さんに

心を開くことができたのだが

その会話の中で、ひょんなことから

父がものすごくクラシックを愛する人だ・・・という話を

看護師長さんにぽろっと漏らしたところ・・・

 

看護師長さんが驚くことを言った。

「実はね、主治医の〇〇先生は毎日必ずこの緩和ケア病棟へやってきて、談話室にあるピアノを弾かれるのよ。」

 

と。

 

あのクールで決して笑わないあの主治医がピアノ・・・???

全くイメージが結びつかず、え~ホントですか?と、思わず笑いが出てしまった。

ピアノを弾くのは5~10分程度のことらしいけれど、必ず毎日来るのだと言う。

 

驚きはそこで終わらなかった。

この看護師長さん、さらに突拍子もない事を言い出した。

 

「そうだわ!お父様がクラシック好きなら、
ぜひ〇〇先生にお願いし、お父様のためにピアノを弾いてもらいましょう!」

 

と。

 

お気持ちはうれしいけれど、まさかそんな・・・

患者のためにピアノを弾く主治医だなんて聞いたことがない。

そんなこと起こりうるわけがない・・・・

しかも、普段からコミニュケーションの取れている主治医ならまだしも・・・

あの決して笑わない主治医にそんなこととてもじゃないけど無理無理!

と瞬時に思ったわたしだったが

看護師長さんの言葉は決して思い付きではなかった。

驚くべき行動力で、すぐに主治医へ電話で連絡を取り、

本当に5分後には主治医に「ピアノを弾いてあげてください」というオファーを出し、

 

あの主治医からOKを取り付けてきたのだ・・・・!

 

そして翌日の午後・・・看護師長さん、看護師さん数人がドヤドヤと

病室へやってくると、もう車椅子にも乗れなくなった父を

ベッドごと談話室へと大移動させる・・・という

ちょっとした大イベントが起こった。

 

主治医もやってきて、一緒に緩和ケア病棟の長い廊下を歩いて談話室へと行く。

いつもクールで、絶対に笑わない主治医だったのに、

さすがにベテラン看護師長さんには頭が上がらないのか?

 

「ホントに弾くんですか?そんなに上手くないですよ?(笑)」

 

と、看護師長さんに対して、なんと照れくさそうに笑っているではないか!!!

 

主治医が笑っている!

あれほど、分厚い壁を感じていた主治医が笑ってる。

笑うんだ・・・?ちゃんと笑える人なんだ・・・?

 

思わず、一緒に歩く看護師さんに

「〇〇先生の笑ったところ、初めてみました!」

と言ったところ、

「わたしたちも初めて見ましたよ~(笑)」と看護師さんたちまで驚いた顔。

(いや、どんだけ笑わない医者だったんだ・・・・と、さらに笑いが出た)

 

 

談話室へ着くと、看護師長さんはさらなるサプライズを用意していてくれた。

わたしがこの病院にお世話になるようになり、誰よりも感謝していた相手、

呼吸器病棟の医療相談員のSさんだ。

緩和ケア病棟に来てからは管轄外なので、会う機会を失ってしまっていたけれど

わたしが何度も何度もSさんへの感謝を口にしていたことを看護師長さんが

覚えていて、「きっとSにも会いたいだろうと思って」と、

このサプライズイベントに、Sさんも呼んでくれたのだ。

もうそれを聞いただけで、涙腺が崩壊してしまったし、

駆けつけてくれたSさんの顔を見ると、さらに涙がこぼれた。

 

看護師長さん、主治医、そして看護師さんたちが、わたしと父のために

ここまでしてくれるのか・・・?と、その温かい心に触れて、

とにかく涙が止まらなかった。

 

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↑決して作り話ではない証拠に・・・そのときに撮った写真。

(※画像をえんぴつ画にに加工したもの)

ピアノのとなりに父のベッドを横付けにして、

主治医が父の枕元でピアノを弾いてくれた、

おそらくあの日、世界で一番優しい光に包まれたであろう瞬間。

 

こんなことをしてもらえる患者、世界中探してもいないんじゃないかと

今でも思っている。

主治医がたったひとりの患者のためだけに、ピアノを弾いてくれるだなんて。

 

2018年の10月。

父が重度の肺炎で人工呼吸器装着となり、

状況は極めて厳しいと言われたあの危機的状況から、

父は見事に生還してきた。

けれどその後は在宅酸素、訪問介護訪問看護、肺がんの進行など・・・・

悪いことばかりが続き、

父は一体なんのために生還したのだろう?

この1年は父にとってどんな意味があったのだろう?

そして、わたしは娘として十分なことをできたのだろうか?

と、その日まで、いつも自問自答を繰り返していた。

 

けれどこの日の出来事を経験して、

すべてがこの日につながっていたのだと気が付いた。

 

もうあまりハッキリとは言葉を発しなくなり、傾眠状態だった父が、

主治医の奏でるピアノの音に反応し、

指揮者のように両手伸ばしてふわふわと宙で動かす様子には、

その場にいた皆が驚いたし、「ちゃんとわかってる!」と感動した。

 

おそらく誰も経験したことのないこの経験をするために

わたしと父は、この日を迎えるためにあの日から1年間頑張って来たのだ。

きっとそうだ。

「特別」が大好きだった父にとっては、この上ない幸せな時間になったはず。

 

・・・と素直に信じた。

 

傍から見ると、それは単なるわたしの自己満足に見えるかもしれない。

でも、自己満足がなければ親の介護や看取りなどできない。

無理矢理でもそうやって自分を納得させないと前になんて進めない。

 

このとき主治医は「1曲だけですよ」と苦笑いしていたのに、

結局、アンコールに応えて、2曲も弾いてくださった。

 

その2曲目は、ショパンの「別れの曲」。

クラシックに疎いわたしでも知っていた名曲だ。

主治医にはもう見えていたと思う・・・・父の残り時間が少ないこと。

きっと「さようなら」の意味を込めた選曲だったのだろうと思う。

 

 

このときのピアノの演奏は最初から最後まで

一部始終をスマホで撮影して動画に保存してある。

それがいいことなのかどうかはよくわからないけど・・・。

(見たらそれなりに悲しみに引き戻されるし)

 

先生のピアノと、そのために尽力して動いてくださった

看護師長さん、看護師さんたち。

温かい人たちに囲まれたこの日に、わたしの気持ちはすべて浄化されたと感じた。

自分のための時間だったとすら感じた。

この日があったからこそ、わたしはたぶん父を看取ったあとに

すっきりと前を向くことができたのだと思っている。

 

 

そして、あれから4か月。

 

 

昨日、父の納骨を終えた。

納骨が終わったら、このエピソードを書こうとずっと思っていた。

 

さて・・・

 

約20年ぶりに再会した父と母。

今頃、空の上からわたしを見ているかな。