前記事の翌日、夕方にいつもどおり緩和ケア病棟を訪れると
ナースステーションの中にいた前日の看護師さん②(←とてもいい人)が
カウンター近くにいて、すぐにわたしに気が付いてくれた。
そして開口一番、
「あ!今日〇〇さん、お風呂入ってくれましたよ~~!」
と満面の笑みで報告してくれた。
本当に人懐こく、弾けるようないい笑顔をする若い看護師さんで、
作り笑顔ではなく、楽しんでお世話してくれているとわかる。
とりあえず、2週間ぶりにお風呂に入れてもらえてよかった。
(※お風呂は、あくまでも父が拒否するから入れなかっただけで看護師さんのせいではない)
いくら身体を拭いてもらっていると言っても、
このごろは父に近づくとかなり臭うようになっていたので結構つらいものがあったし
「背中を掻いてくれ」と言われると、うっ・・・とためらう気持ちもあった。
入浴は床ずれ防止にも効果があるらしく(血液の流れをよくする)
1日のほとんどをベッドの上で過ごすようになっている父にとっては
入浴は清潔さを保つだけでない意味がある。
病室へ行くと、父はそれはもうぐっすりと・・・・微動だにせず眠っていた。
物音を立てても起きない。
普段の傾眠状態とは全く違う、爆睡だった。
おそらく入浴疲れのせいだろう。
そこへ、さっきの看護師さんが写真をもってやってきた。
「お風呂に入ってるところを撮ったんですよ~~♪」と。
おそらく看護師さんにうながされたであろうピースサインのポーズで
看護師さんとツーショットで撮った写真だった。
写真は3枚あって、それらを「飾ってもいいですか?」と
無邪気な笑顔で、看護師さんが壁に備え付けのボードにその3枚の写真を飾り、
その下に、ペンでメッセージまで添えてくれた。
まるでリアル・インスタである。
わたしは「わあ~♪ありがとうございます~」と笑顔でお礼を言いながら
その様子をじっと見守っていたが、
心の中では非常に戸惑いを感じていた。
なんなんだ?このキラキラ感は・・・・?!
彼女は非常に扱いにくい父の相手を、嫌な顔ひとつせず
ニコニコとお世話してくれるので、うれしそうに写真を貼る姿も
ナチュラルに楽しんでやってくれているとわかるし、
こんなヨボヨボで、干からびたじいさんをこんなに大事に扱ってくれてありがとう!
・・・以外の言葉が見つからない。
そういう感謝の気持ちを感じる一方で
頭の中にはもう一人の冷めた顔をした自分がいて
この緩和ケア病棟で看とるつもりで入って来た父のピースサインの写真を
病室の壁に飾るというそのイベント扱い的なホスピタリティが
なんとなく虚しいことのように感じてしまったからだ。
これは人によると思うけれど、わたしは父を見送った後に、
この、父のガリガリに痩せた入浴写真をあまり見たいとは思わない気がする。
かといって、捨てられるわけもなく。
この写真、どうすればいいんだろう?
そんなことをぼんやりを思ってしまった。
わたしが写真を見ながら
「お風呂は自分で入ったのですか?」と、ふと気になって聞くと、
看護師さんは、ニコニコとしながら
「いいえ~機械浴ですよ~♪寝ながら入れるヤツです!」
と、さらに笑顔で答えてくれたのだが、
わたしはその言葉に一瞬絶句した。
機械浴・・・・!!!
看護師さんにとっては、機械浴は日常であっても
わたしにとっては、軽くショックなことだった。
なぜなら、2週間前の最後の入浴のときまでは
まだ身体を支えてもらいながらも、自分で歩いて通常のお風呂に入っていたのだから。
緩和ケア病棟に入る前の「病棟見学」のときに、
通常のお風呂と、介護用のお風呂(寝たままの状態で入れるお風呂)の両方を
見せてもらったが、そのとき案内してくれた師長さんが
「浴槽をまたげる人は通常のお風呂に入ります。それが難しい方はこちらの機械浴を使います。寝たきりの方でも大丈夫です。」
と実物を見せて説明してくれた。
その時点ではまだ支えがあれば普通のお風呂に入れる状態だった父なので
介護用の浴槽を見せられても、そこを父が利用することは全く想像できていなかった。
それが、今はもうその体力もないんだな・・・
浴槽をまたぐ体力どころか、脚力もないんだな~・・・
そう思ったら、ますますこの「お風呂入りました!」の写真が虚しくなってきた。
たった2週間で、崖から落ちるように急激にADLが悪化した父と
インスタのように飾られた写真のアンバランスさ。
誤解のないように何度も書くけれど
看護師さんの献身と、笑顔と心遣いには感謝の気持ちでいっぱい。
でも、気持ちはどこか複雑。
そんな感じ。
伝わるかなあ・・・?わたしの思い。