その瞬間。

それは日曜日の朝のこと。

朝7時過ぎにわたしの携帯が鳴った。

病院からである。

もう嫌な予感以外の何物でもない。

夜勤の看護師さんが電話の向こうで言う。

 

「〇〇さんですが、もう時間の問題かもしれません。」

 

 

そう遠くないうちにやってくると覚悟していた日だった。

それでも、電話に対して動揺が隠しきれなかった。

 

実は遡ること金曜日の午後に、兄が実家に戻っていた。

「お父さん、もうあと1週間持たないと思うから来たほうがいい」

というわたしの知らせを受けて、駆けつけていたのだ。

その日に、「今日はお兄ちゃんが来るよ」と病床の父に伝えると

父は、言葉はもうほとんど出なかったが

わたしの目を見て、ニタ~~っと笑った。ちゃんと理解していた。

 

そうやって、表情や首を縦や横に振ることで意思の疎通が取れたのは

金曜日の夜が最後だったと思う。

それが土曜日の朝には、わたしが呼びかけると目を開くものの、

もう無表情のままで、水分すら飲み込めなくなっていた。

 

 

ブログ中では、父の様子についての細かいことはあまり書いていなかったけれど

最期の2週間は・・・

本当に1日、また1日と父が生きるための機能を閉じていくのが

手に取るように見てわかった。

 

けれど、非常にゆっくりとした速度で父が弱っていったので、

 

その弱っていく数日間の中で、

父が自分の人生を終了させるべく、

少しずつ生きる速度を落として停止に向かっているのだということを

徐々に受け入れられるようにもなっていった気がする。

 

親の死は、父のように長い長い病気との闘いの末に亡くなる人もいれば

突然死や事故で、「昨日までピンピンしていたのに」という場合もある。

そのどちらが・・・残された家族にとってマシなのかは

親子関係や、苦しみの度合いが違うので、一概に言えることではない。

 

ただ、少なくともわたしの場合は、こうして父が時間をかけてくれたことで

自分が心の準備をする時間をもらえた気がする。

看取りの時間も、ある日突然やってきたわけではないし。

  

話はもどって・・・

わたしが兄を迎えに行っていると、遠回りになって病院への到着が遅れるため、

実家に滞在していた兄には、タクシーですぐに病院へ来るように伝え

わたしはひとり先に病院についていた。

看護師さんからわたしひとりで説明を受ける。

(※日曜日の朝なので病棟には夜勤の最小限の看護師さんしかおらず、主治医も当然不在)

 

看「今はまだなんとか規則的な呼吸ができていますが、これがだんだんと呼吸が休み休みになったり不規則になり、そして最期は止まることに・・・。」

 

私「もう長くはないですか・・・?」

 

看「そうですね・・・。おそらく今日だと思います。」

 

 

看護師さんは「何か変化があればすぐ知らせてください」と言い残し、

一旦その場を離れたので、

30分くらいだろうか・・・・

兄が駆けつけるまでしばらくの間、わたしは父と二人きりの最期の時間を過ごした。

 

まだ数時間の猶予があるとばかり思っていたが、

看護師さんが言っていた「呼吸が不規則になる」という兆候はあっという間に表れた。

 

黙って手を握ってる場合じゃない。

二人きりでいられるのはもうきっと今だけだ。

ちゃんと言葉にして伝えなければダメだ。

 

周りに兄弟や他人がいたら、

恥ずかしくて言えないようなことをすべて声を出して、父に伝えた。

今まで、言いたくても言えなかったこと全部。

一番伝えたかった、

最期まで自宅においてあげられなくてごめん・・・ということも。

わたしの中で、その事実がもっとも重い罪悪感となって肩にのしかかっていたから。

 

 

そこへ兄が間に合った。

兄は何も言わずに、ただ父をじっと見ている。

 

父の呼吸の感覚が長くなってくる。

「・・・・・ハッ・・・・・・・ハッ・・・・・」

と言う具合に。

 

止まりかけるたびに、

 

「おとうさーん」

 

とわたしが呼びかけると、

それに呼応するかのように父は必ず「ハァ~ッ」と息をした。

 

そしてまた呼吸が止まる。

 

「おとうさーん」

 

また、ハア~っと口を開けて息を吸う。

 

入院後、まだ父にしっかりと意識があって会話もできた時期。

父は話をやめると、すぐにウトウトと眠ってしまう状態だったので

「おとうさーん!起きてる?!」とわたしが呼びかけると

父が慌ててシャキっと一瞬だけ目をカっと見開いて

「寝てないよ!」とおどける・・・と言うやり取りを何度もやって笑い合っていた。

 

亡くなる直前の、

わたしの「おとうさーん」という呼びかけに呼吸で呼応してくれたそれは、

あの「寝てないよ!」と目を見開いて笑わせた父、そのままだと思った。

わたしの声に対する条件反射だったに違いない。

 

そんなことを何度続けただろうか・・・。

 

いよいよ呼吸の感覚が長くなってきたので、兄に看護師さんを呼んできてもらう。

 

さっきの看護師さんが駆けつけてくれて、わたしと一緒に父に呼び掛けてくれる。

 

わたしが呼びかけるたびに、呼吸を続けてくれた父。

 

けれど、それにも終わりが来たようだった。

どうやら、父は旅立ちの準備を整えてしまったのだろう。

煩わしい酸素チューブを脱ぎ捨てて、軽やかに空へ旅立つ瞬間だった。

 

 

そして、父は呼吸を止めた。

 

 

その最期は、まさにスーーーーーっと・・・

言葉通り「眠るような最期」だった。

 

わたしが「おとうさーん」と呼び掛けても、もう次の呼吸はなかった。

 

 

 

苦しむ表情は一切なく、静かに静かに・・・・

「さっきのが最後だったの?」

と聞きたくなるくらいに、ふわっと自然な形で呼吸は止まった。

 

わたしが病室へ着いて、1時間後のことだった。

 

 

 (つづく)