感謝の言葉。

いよいよ父との別れが現実的に近づいてきていると感じた1週間前あたりから

わたしにはひとつの願いがあった。

本当に些細なことではあるけれど、

「その日」には、

わたしの好きな看護師さんが担当であってほしいという願いだった。

 

もちろん、この病院でお世話になった看護師さん達は大半みな、いい方たちである。

それでも中には、笑顔のない人や

「あ・・・苦手だな」とか「あ、冷たいな・・・」と

こちらが感じてしまう人たちも少数ながら一定数いる。

それは緩和ケア病棟であっても。

(正直、緩和ケア病棟の看護師さん達はみな天使なのだろうという思い込みもあった)

 

この病棟には、笑顔のない看護師さんが2人いて・・・・

その人達が担当になるときには、なるべく頼みごとをしたくないと思っていた。

(その人達が担当になる日は、父からの訴えが何もなく過ぎてくれるといいなと思ったり)

頼んだその時に一瞬迷惑そうな顔をされたり、

父が笑顔を見せても、同じ笑顔を返してくれないのは、

娘としていたたまれなかったし、

「迷惑な患者」と思われないように・・・と、声をかけるにも緊張したし、

萎縮しているのが自分でもよくわかった。

 

その点でも、この日の父の最期はわたしが願ったとおりになった。

わたしが大好きな看護師さん2人が夜勤の担当だったからだ。

父を見送る瞬間に、一緒に手を握って声をかけ続けてくれた人は

おそらくまだ20代で、化粧っけもない素朴な子だったが

いつもいつも、父に優しくしてくれた。

いわゆる「患者にタメ口で話す」看護師さんだったけれど

そのタメ口は、耳障りのここちよい

静かでおっとりと優しいものだった。

 

その彼女が傍にいてくれて、一緒にやさしく語り掛けてくれたことは

わたしも心強かった。

 

父が呼吸を止めたときは

日曜日の朝で、医師が病棟にはいない状況だったこともあり

その看護師さんが脈と瞳孔を確認し、

まずは彼女の言葉で、父の命が尽きたであろうことを教えてくれた。

(※もちろんこの後、主治医の代理で院内の当直の医師がやってきて正式な死亡確認をしています)

 

夜勤担当なので、彼女はもう勤務を明けてしまう。

引継ぎ業務で忙しいはずの彼女はギリギリまで一緒にいてくれた。

 

 

「あなたが傍にいてくれてうれしかったです。

父を一緒に看取ってくれるのがあなたで、本当によかったです。

いつもいつも・・・まるで孫娘がおじいちゃんに話すかのように

父に優しくしてくれて本当にありがとうございました。

お風呂に入ってない汚れた髪でも、気にせずよく撫でてくれましたよね。

あれが本当にうれしくてね・・・。

背中や手にもいつも触れてくれて、声をかけてくれて・・・

あなたが担当の日は、わたしもホっとできて本当に心強かったです。」

 

彼女にどうしても伝えたい言葉だった。

いえいえ、わたしなんて・・・と謙遜しながらも、

 

「わたしも、数年前におじいちゃんを亡くしてるんですけど、

そのせいか・・・〇〇さんが自分のおじいちゃんみたいで、かわいくて。

最初はよく怒ってましたけどね~(笑)

だんだん顔つきも穏やかに優しくなりましたよね・・・。

娘さんも朝晩通ってくださって、本当にありがとうございました。

なかなかあそこまでしてくれる家族さんはいません。

わたしたちも随分と助けていただきました。

きっと〇〇さんも感謝していると思いますよ。」

 

と、彼女も涙をこぼしながら、話してくれた。

 

そこへもう一人の夜勤の担当看護師さんがやってきた。

この彼女もまた、いつも笑顔で飾らず、優しい言葉で包んでくれる人で、

わたしが大好きだった看護師さんである。

わたしと父を見て、すべて終わったことを察知すると、

彼女もまた涙をこぼした。

 

わたしは父の傍を離れて彼女のところへ行き、手を握って告げた。

 

「あなたが担当の日でよかったです。

今まで、本当にありがとうございました。

あなたの笑顔を見るとわたしはいつもホっとして、安心できました。

いつも父に”何か困っていることはありませんか?”って

優しく声をかけてくれましたよね。

気難しい父に、いつも笑顔で接してくれて本当にありがとうございました。」

 

父が息を引き取った後は、父を見て涙が出ることはほとんどなかったが

病院を出るまでの時間、

お世話になった看護師さんと会うたびに、言葉を交わすたび

それが引き金となって

大変だった日々を思い出し、それを支えてくれたことへの感謝の気持ちで

涙が出てしょうがなかったわたし。

 

このもう一人の看護師さんも、涙を流しながら

 

「お父様も娘さんも、本当に頑張っておられましたよね。

お父様、きっと感謝されてますよ。」

 

と、笑顔で応えてくれた。

 

看護師は泣くべきではないという意見もあるかもしれないし、

看護師さん側としても、

プロに徹するという意味で泣かないようにされている方もいるかもしれない。

けれど、わたしは一緒に泣いてくれる看護師さんのほうが素直にうれしい。

先日は、師長さんですら涙を流してくれた。

そのほうがずっと心の触れ合いを感じる。

 

緩和ケア病棟は、一般病棟よりも

こうした看取りの機会は多いだろうし、皆さん慣れているだろう。

だからこそ、そういう環境で仕事をしていても

一緒に泣いてくれるというのは、

それほど、患者と家族を大事に思ってくれていた証だと思えてうれしくて

それがまたこちらの涙をさらに誘う。

  

この後ほんの5分ほどではあったけれど、

彼女たちとベッド脇で2人と泣きながら笑い合い、

父の入院生活を振り返りって

「こんなこともありましたよね~」と、話すことができた。

 

そして、

「普通は呼吸器の患者さんの最期は本当に苦しまれる方が多いんです。

でもお父様はこんなに穏やかに、苦痛なく・・・本当によかったですね」

と言ってくれた。

 

もっと話していたい気持ちだったが、

残念ながら彼女たちはもう日勤の看護師さんと交代しなければならなかったので、

病室を後にした。

 

そして二人が病室を出て行った時初めて、

わたしはずっと兄をほったらかしにしていたことに気が付いた。

あ・・・・と思って振り向くと、

なんと、兄が目に涙をいっぱい溜めてわたしを見つめているではないか。

 

 「NORAKO、本当に・・・・

ほんっ・・・・・今まで・・・・ありがとう・・・

お前が・・・いてくれたから・・・

お前が・・・いなかったら・・・本当に・・・・」

 

兄は嗚咽を漏らしながら、言葉にならない言葉で

途切れ途切れ、何度も何度もわたしに「ありがとう」と言った。

 

そんなこといいよ!

 

と、兄にもらい泣きするわたしに対して

 

「よくない・・・ほんっと・・・一度ちゃんと・・・いつかちゃんと・・・

言わなければ・・・・いけないと・・・ずっと・・・思ってて・・・」

 

と、必死に感謝の言葉を並べてつないだ。

 

兄は兄なりに、

本当は自分が長男としてやらなければならなかった親の世話を

妹ひとりに任せきりにせざるを得なかった事実に

負い目を感じていたのだと思う。

 

わたしも介護の日々の中で「兄弟のことなんかどうでもいい」と

突き放した気持ちになったのは一度や二度ではない。

けれど、もうこの瞬間はそんなこともまた

わたしにとって過ぎたことで、どうでもいいこととなっていた。

 

 

「ありがとう」

 

 

という、感謝の言葉はダメだな。本当に。

言った瞬間に、タガが外れる。

 

けれどそれは、とても美しく幸せな言葉だ。