いや、そういうことじゃなくて!

1か月前からずーっと書き綴っている父に関連した話の中で

ちょいちょい兄弟への不満も書いてきたが、その大半は「弟」に向けたものだった。

今は兄弟LINEグループトークで頻繁に会話しているけれど

父親関連の情報共有が主目的なので、普段はそんなに話さない。

ある意味、この1か月は今までにないくらい密に連絡を取り合っているといえる。

 

今回の父の入院~介護申請などなどの問題が起こるまでは、

弟のことを「まあ末っ子だからね。末っ子的な思考だよね」と

すべてを”末っ子”で片付けて来たけれど、

ここへきて、どうやらそれとは違う、明らかにちょっとズレた発想の持ち主なんだな

ということがわかってきた。

 

今頃思い返してみると、20年前・・・母が亡くなったときもそうだった。

母はガンがわかってわずか10か月で逝ってしまった。

そしてその10か月間はずっと入院生活を強いられて亡くなったのだけど、

それでも最期の1か月は自宅に戻っていた。

当時まだ実家から高速で2時間かかる遠距離に住んでいたわたしは

4歳だった息子の幼稚園を1か月休園させて

母の介護のために実家に長期帰省していた。

弟は・・・というと、当時はまだ実家から車で15分くらいのところで

一人暮らしをしていた。その弟、母のために何をしてくれたか・・・・?

というと、

 

うちにやってきては、母の枕元に寄り添って優しく話しかけた。

 

「優しい弟」でしたよ。うん、確かにね。でも「それだけ」だった。

まさに今と同じ状態。「お見舞い」だけをすればいいと思っている。

でも、そうやってやってくるのは週3日だった。

なぜ週3日だったのかというと・・・

 

「え?お姉ちゃんしばらく実家にいるの??

じゃあさ、ボクの洗濯物も頼んじゃっていい?(喜)」

 

などと言って、かごいっぱいの自分の洗濯物を持ってくるためだった。

あの当時、当然父は家事一切が出来ない人だったので、

わたしは母を介護しながら、父の食事を作るなどの実家の家事一切をしていた。

そして、あのころのわたしは、今よりももっとお人よし体質だったために、

そうやって洗濯を頼んでくる弟を拒むこともなく、母の世話をする合間に

そういう余分な家事もこなしていたことになる。

今思えば、あのときガツンと言っておくべきだった・・・(笑)

もちろん、あれから20年も経てば、姉もそれなりに強くなるわけで・・・

今そんなことを頼まれようものなら、跳び蹴りですわ。

 

ちなみに・・・当時からすでに東京で働いていた兄は、遠方はるばる

週末のたびに実家へ泊りがけで帰ってきてくれた。

そして「俺にはこんなことしかしてやれないから」と、

実家に滞在中、朝から晩までひたすら、幼い4歳の息子の遊び相手になってくれた。

たかが子守。されど子守。退屈する幼児にまとわりつかれながらの母の介護は

精神的にきつく、状況を理解できない息子にイライラしてしまうこともあったので、

兄が週末ごとに息子の遊び相手になってくれることは

この上ない精神的な助けになったのを今も覚えている。

東京から甥っ子の子守りのために週末ごとに駆け付ける兄。

実家から15分のところに住んでいながら、ラッキ~♪とばかりに

洗濯物を姉に押し付けるだけの弟。

あの頃から弟はちょっと感覚がズレていたのだ・・・。

 

 

そして今回の父の病気からの介護問題でも、随所で「ズレた」ことを言ってくる。

あれはもう末っ子気質うんぬんじゃなく

よく言えば天然・・・悪く言えば、

「相手の言わんとすることが分からない」人なのだとわかった。(今頃)

 

たとえば、以前のブログにもチラっと書いたが

父に介護サービスやデイサービスの利用をさせたいが、なんと切り出していいか・・・

とわたしが悩んでいる時に

 

「ボクがお姉ちゃんの代わりにお父さんに言ってやりますよ(キリッ)

お父さんのせいでお姉ちゃんの生活めちゃくちゃなんだよ?

いいかげんこの辺で楽させてあげなよ、って!(ドヤ)」

 

などという、言葉が「適切」だと思ってしまっている感覚のズレっぷり。

病み上がりで身体も思うように動かず、在宅酸素という不自由な生活を

この先一生続けることになってただでさえ意気消沈している父に対して

「お父さんのせいで」

だなんて、要介護者を責めるような言葉だけは絶対禁句だということがわからない。

 

 

先日、父が「退院したばかりだというのに市販の風邪薬を買ってきてくれ」と

言い出して困った・・・という話もここに書いたが

 

norako-hideaway.hatenablog.com

 

あの時の話を兄弟にもLINEで報告した。

ブログに書いたのと同じように

「お父さんは風邪を引いたらすぐに肺炎を起こすのだから、

市販の薬を飲みたくなるような症状があるなら診察を受けなきゃだめだと言っても

聞いてくれないのよ・・・」

と、嘆いたところ、ズレた弟から帰って来た言葉は

 

「薬をお菓子だと思ってるんだろうね。」

 

だった。

 

いや、そーゆーことじゃないし、そこまでボケてないし、そんな悪い癖はないし、

ねえちょっと、わたしの話聞いてたーーーー?となった。

 

そしてゆうべ交わしたLINEでのこと。

 

最近のブログでも書いているとおり、わたしは父の足腰を弱らせたくなくて

ひとり奮闘している。父のモチベをあげつつ、なんとか歩かせようと。

その一番の目的は「自分で排泄できる」状態をキープしたいからだ。

入院中に地域包括支援センターのSさんに「退院後の一人暮らし」について

相談した時に言われたことがこれだった。

わたしは「ひとり暮らしで在宅酸素って大丈夫でしょうか?」と相談したのだが

Sさんから返ってきた答えは

認知症でなければ、一人暮らしで酸素を使ってる方は結構いるので大丈夫。

一人暮らしで一番心配なのは ”トイレが間に合わなくなってきたとき” よ。」

だった。これを言われてわたしはハっとさせられたのを覚えている。

トイレの失敗は、必ずしも認知症があるかどうかに左右されない。

「思い通りに体が動くかどうか」が、かなり重要なことで、足腰が弱ってしまって

トイレに間に合わなくなる…なんてことは、当然この先あり得ることだ!と。

 

 

わたしがこの話を

「・・・ということだから、”トイレが間に合わない”なんてことになったら困るから

最低限自分でトイレに行ける体力はキープしてもらわないと・・・。」

兄弟LINEで話したわけだが

 

さてここで問題。

 

この記事を読んでいる方だったら、

家族からこう言われたら何を頭に思い浮かべるだろう?

どんな言葉を返すだろう?

さまざまなリアクションの言葉があると思うが

たぶん、弟が言ったようなことを思う人はほとんどいないはず。(断言してもいい)

 

 

弟の返事は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せっかく業者にキレイにしてもらった

トイレが汚されたら困るもんね。」

 

 

 

 

だった。

ちなみに弟はこのことを指して言っている↓

 

norako-hideaway.hatenablog.com

 

 

 今まで、ブログに書いていない大小いろんな弟の的外れリアクションもあったが、

これは最大級だと思った。

どこからどうツッコんで・・・・というか

 

説明せにゃわからんのか?

 

と、全身から力が抜けた瞬間だった・・・。 

 

 ちなみに、こんなことはイチイチ説明するまでもないが、

わたしの懸念は当然のことながら

 

父のトイレが間に合わなくなる

トイレの介助が必要になるand 念のための紙パンツ?

目が離せなくなる

通い介護が継続できなくなる。

実家に泊まり込むか?施設か?新たな選択を強いられる。

 

である。

 

 

はあ~疲れた。