ひとつ山を越えたか?

先週木曜日に父を訪ねた時に、とりあえずわたしと父の間にできていた

わだかまりは一旦消すことができた。

 

norako-hideaway.hatenablog.com

 

↑この記事の最後に「今日は散歩に行ってみるよ」と

父が言っていたので、「本当に歩きに行ったかなあ?」と気になっていたが

わたしが「散歩行った?」といちいち確認するのもプレッシャーになると思ったので

あえて確認せずにほうっておいた。

すると、この翌日、金曜日にこんなLINEが届いた。

 

 

おおお~~~~っ!

父が自分から散歩に行ってくれたと知って思わず顔がにやけた。

親の身体がどんどん悪くなっていく状況になると、

「自分でトイレにいけた」「家からひとりで出た」「散歩をした」という、

たったそれだけのことが、「クララが立った!」くらいな感動になる。

目の前がぱぁっと明るくなるくらいの吉報だということは

なかなか同じ立場を経験した人でないと伝わらないかもしれないが、

わたしはこのLINEでこの日1日、ハッピーに過ごすことができたのだ。

 

ちなみに「一昨日」というのがいつのことを言ってるのかはよくわからない(笑)

父は目立った認知症的な症状は今のところ感じられないが物忘れはかなりひどく

結構時系列を間違えることは多いので

(3日前の出来事を昨日、と言ったりすることはよくある)

わたしと険悪になった「日曜日の散歩」のことを言っているのか、

本当に一昨日にも自分で散歩に出たのか謎なのだが

そんなことはこの際どうでもよい!

心の中でハグしてあげるくらいの気持ちで返信を送った。

 

 

がんばったときは、

しっかり褒めてあげてあげよう。

 

と思っている。

 

この1か月ちょっとの間、めまぐるしくいろんなことが起きて、

わたしは父の姿を通して、それまでの価値観がひっくり返されることも多かったし

それまで気にしたこともなかったような、気づきがたくさんあった。

それはまた、頭を整理したら改めて別記事で書こうかな・・・と思っているけれど、

 

さしあたって、今すごく感じているのは

手助けが必要になって来た親に対しては、

「子供を育てているつもりで」接すると、うまくいく気がしているということ。

 

もともと、子供時代から大人になるまでずっと、

実家の「亭主関白」「父には逆らえない」という家族の空気に慣らされて育ったので

わたしにとってずっと父親は「怖い存在」でしかなかった。

わたしが父にモノを言えるようになってきたのは、父の肺の病気が分かった

ほんの5~6年前からだったと思う。

昔よりはモノが言えるようになったものの、それでもやっぱり

すこ~しずつ、すこ~しずつ、父の顔色を見ながら

「どこまでなら地雷セーフか?」

を探るように接して、身の危険を感じたら全軍撤退するスタイルだった(笑)

 

でも、1週間前の父の暴言をきっかけに、

どうやって接していくのが一番いいのか?を考えなければならなくなった。

 

親が若くて健康なうちは、腹の立つことがあったらしばらく連絡を絶つなどして

気持ちを鎮めることができるけれど、親が手助けを必要としている状態の場合

現実問題として「知らん顔」はできない。親の生活が滞ってしまうから

「顔も見たくない」と思っても関わらずにはいられないのだ。

そうやってサポートする側の家族が「気持ちを切り替える」時間を作ることを

目の前の現実が簡単には許してくれないこともまた、介護者のつらさ。

 

だから、キレるような状態に陥らなくてもいいように、日頃からうまく

コミニュケーションをしていくのが大事なんだなぁ・・・と気づいたうえで

たどり着いた答えが、わたしの場合は「子供に接するように接する」だった。

 

それは、決して「子供扱いする」という意味ではない。

歳をとって、さまざま難しいことへの理解度が落ちてきた父に対して、

大事なことは「子供でも分かるように」できるだけかみ砕いて、

難しい言葉を使わずに説明してあげること

かわいそうだから、と甘やかしすぎず、時には厳しい態度を取ること

本人が前向きになれるように、頑張ったことはできるだけオーバーに褒めて

やる気をさらに引き出してあげること・・・。

それだけのことかと思われるかもだけど、意識しているのとしていないのでは

ずいぶんと自分の寛容さも変わってくるから不思議。

 

 

このときのわたしからの返信がまた、よほどうれしかったんだなあというのは

父からのさらなる返信でわかった。

 

 

 

 

 

父がドヤっている顔が目に浮かんだ。

こんな絵文字ひとつで返信してくる79歳ってどうよ?

 

 

そして、このLINEの翌日(土曜日)のお昼ごろ

父を訪ねると、玄関ドアを開けたところに携帯用酸素ボンベのカートが

そのまま置かれていた。

退院してから、カートは一度も使っていなくて部屋に置いたままだったのに。

携帯用酸素は、リュック型(小型)と、カート型の2種類をレンタルしているが

リュック型は見た目にも小さく、酸素が入っているとは思えないデザインなので、

パっと見て、それが酸素だと気づく人はまずいないと思う。

父はそれを気に入っていた。

そして、デザインがおしゃれでも、隠しきれない

酸素ボンベの雰囲気が漂うカート型はあまり使いたがらずにいたはずだった。

 

それが玄関土間に置かれているということは、

「カートを引きずって歩くのは恥ずかしい」という自分の思い込みとの闘いに

ひとまず勝ったという証であり、それは退院してからまず父が

誰の手も借りずに自分で越えなければいけなかった山を一つ越えたということを

意味していた気がする。

 

わたしの顔を見ると、「今から散歩に行ってくる」と、父。

玄関で、自宅用酸素鼻チューブから、携帯用酸素の鼻チューブにつけかけて

ゆっくりとした動作で出かけて行った。

わたしがついてきてもうっとーしいだろうから(笑)

わたしは同行せず、父がいない間に、窓を開けて部屋の空気を入替え、

トイレとお風呂の掃除、部屋にも掃除機をかけ、ゴミを回収し、

父の生活スペースをすっきりと整えた。

 

15分もすると、父は帰って来た。

わたしはちょっとオーバーに

 

「えっ?!もう1周してきたの?めちゃくちゃ速くない?!」

 

と驚いてみせると、父はまんざらでもなさそうに

 

「え?そうか?ちょっとは体力が戻ってきて速く歩けるようになったかな?」

 

と笑顔を見せた。

 

 

よしよし。いい感じだ。

これでいいのだ。