この状況に思うこと。

数日にわたって、1週間前のたった半日の出来事を綴ってみたものの

 

わたしは今、自分のことがよくわからなくて戸惑っている。

どういうことかというと、

 

まず、落ち込んでいるとか、悲しんでいるとか、動揺しているとか・・・

そういった感情が全く沸いてこないこと。

 

昨年10月に「助からないかもしれない」と告げられたあの入院のときは・・・

低酸素状態で正気を無くし、みるみる「壊れてゆく父」を目の当たりにして

「こんな形で死なせたくない」と心底思ったわたし。

 

けれど・・・

こんなことを言ったら語弊があるかもしれないけれど、

今は、

「あのとき・・・そのまま助からないほうが父は幸せだったのでは?」

と思っている。

 

今思っているというよりは、

実はこの7か月間ずっとずっとそう思ってきた。

 

なぜなら、父は昨年秋のあの入院時のこと、

低酸素であれだけ苦しそうにしていたこと、正気を失って暴れたこと、

人工呼吸器に何日もがんじがらめにされて、苦しそうな表情を見せたこと・・・

 

何一つ覚えていないのだ。

意識が戻ったあとにも、退院後にも何度か当時のことを父に聞いたけれど

全く記憶にないらしい。

父にとっては「ずっと寝ていた」というだけの時間だったというのだ。

 

つまり、痛みとか苦痛とか・・・・何も感じていなかったということ。

「(鎮静剤で)眠っている間に死ぬことができたかもしれなかった」ということ。

 

生還して、「よかったよかった。奇跡ってあるんだね。」というお祝いムードは

ほんの一瞬だった。

 

 

その後はむしろ、父はきっと命が助かった代わりにそれまでの楽しみは

全部奪われた・・・という絶望感のほうが強い日々だったと思う。

 

そしてわたしのほうも・・・「介護は突然やってくる」という言葉を

ヒシヒシ感じる日々。

通いだから、物理的には24時間つきっきりというというわけじゃない。

でも、通い介護は決して

「親の元にいる時間だけが介護」というわけじゃないことを知った。

 

忙しく仕事している時のほうが、10倍は楽だったなと思う日もある。

それは、仕事は絶対に24時間は追いかけてこないから。

老親の問題は全く違う。起きている間ずっと離れない。

父の家へ行って用事を済ませてくる・・・という時間の拘束自体は

1回2~3時間のことでも、頭の中が親のことで支配されることが本当につらい。

 

通い介護ってこういうことなのか・・・と、

実際にこういう生活になってみて初めて知った。

経験していなかったら、誰かが「通い介護をしてる」と言ったときに

わたしはものすごく簡単に「通いならまだ楽だよね~」と言っちゃったに違いない。

 

でもホントは全然楽じゃない。

朝起きた瞬間から、父のことを思い浮かべて、

憂鬱になったり、どうしたらいいんだろう?と悩んだり

気の休まる時間がないのだ。

LINEや電話の着信があるたびに何かあったのか?何か面倒な頼まれごとをするのでは?

とビクビクする。

家へ行かない間は忘れていたらいいはずなのに、

わたしが帰ったあとに、体調が悪くなったりしていないか?

背中の痛みがひどくなっていないか?

と、モヤモヤが止まらない。

こっちからLINEで聞いてみようか?

でも、それで「痛い」と言われたら、放ってはおけなくなるから

わざわざ知ろうとしないほうがいいのでは?連絡する?やめる?

と、ひとりで悶々とする。

 

こんなことをつらつらと並べているけれど、

わたしは父に対して愛情を感じているとは言い難い。

子供のころも、結婚後も、そして母の死後も・・・

父を怒らせないように、父に逆らわないように、と顔色を伺う関係だったし。

 

そうやって父に対してはいつもいつも自分を「作って」接してきていたのに

通い介護が始まって、距離感が近くなってからは・・・

これまで生きてきて50年以上、一度も父に口答えしたことがなかったのに、

我慢の限界を超えて、何度も何度も正面衝突をするようにもなってしまった。

そのたびに、父のことがイヤでたまらなくなって、

全部放棄したい感情にとらわれたりもした。

 

そんなふうだから、根っこの部分では

父親思いのいい娘なんかでは全然ないのだ。

まったく。

(それでも「いい娘」を演じているつもりなので、父はそう思っているはずだけど)

 

母親のことは全身で愛していたはずの自分が、

父親には同じような気持ちを持てないことに、

罪悪感や後ろめたさを感じてきたけれど、

通い介護を始めてから、同じような立場の人の経験談に触れる機会が増えて

「ああ、自分だけじゃないんだ。

必ずしも、相互の愛情と信頼で結びついている親子関係ばかりじゃないんだ」

と気づかせてもらえたことは、心底わたしの気持ちを楽にしてくれた。

 

わたしが父に、一見献身的に尽くしているように見えるかもしれないのは・・・

おそらく、自分の性格が真面目だという、ただそれだけだと思う。

 

ほら、役員とか絶対にやりたくないけれど、

決まった以上は手抜きができない、しっかりやらなきゃと思う、

誰かに迷惑をかけないように、不愉快な思いをさせないようにやり遂げなくちゃと

本当はイヤなんだけど頑張ってしまう・・・頑張らざるを得なくなってしまう、

・・・という、まさにあの感情だ。

 

そう、手抜きができない、不器用な性格なだけ・・・。

イヤと言えないだけ。

 

そんな自分が、今うっすらと不安でしかたなく感じていることは、

この先の父のこと。

 

病気のことは抗いようがないし、自分でも怖いくらいに淡々と冷静に受けとめていて

悲しいという感情は湧いてこない。

 

不安なのは、今後父の状態が悪化し、「末期」の状態になったとしても

 

父は絶対に入院しないであろうこと。

 

これまでの何度かの肺炎入院のときだって、

毎回「病院へは行かない(入院させられるから)」と診察をまず拒み、

診察室では「入院はしません。」とハッキリと抵抗を見せてきた父。

 

それでも「入院したほうがラクになるし早く治りますよ」という説得で

渋々入院を受け入れてきた。

 

けれど、末期がんとなると話は違うだろう。

治すための入院じゃなく、苦痛を取るためだけの入院。

かねてより「死ぬときは畳の上と決めている」と言い続けてきた父が

 

末期がんで入院なんて、絶対に了承するわけがないのだ。

 

でも、「畳の上で死ぬ」ためには、家族の協力なしでは無理なんだよ・・・

24時間つきっきりになれと?

 

と、心が抵抗してしまう。

 

緩和ケアについてネットで検索すると、

「最期は本人の希望を大事に」「自宅で看てあげる」という

「美談」ばかり出てくる。 

 

「本人が入院したくないと言っているのだから在宅で最期まで面倒を見てあげたい」

というまっとうな人の優しい考え方が、自分を苦しめる。

 

でも、わたしはたった2週間ではあるけれど、

母の最期を在宅で看ている。

それはもう不安で不安でたまらなかった。

 

あの当時の母は、10か月もの長期にわたる入院生活から

やっと一時退院ができた状態だったので、「帰してあげられた喜び」だけで

頭がいっぱいで、どんなことでもしてやろうという意気込みだった。

最初だけは・・・。

 

しかし現実は、ちょっと様子がおかしいだけで、熱が上がってくるだけで

「入院したほうがいいんじゃないか?」

「病院に電話したほうがいいんじゃないか?」

訪問看護師さんを呼ぶべきかどうか?」

と、すぐそばにナースステーションがない不安感は想像以上に大きかった。

 

しかも在宅で24時間点滴をしていたので、

点滴を交換するのはわたしの仕事、

その点滴にインスリンを注射器で混ぜるのもわたしの仕事、

(※母は悪性リンパ腫だったのだけど、高栄養点滴を何か月も続けていたので点滴による糖尿病も併発してしまっていた) 

インスリンの量が多すぎないか?少なすぎないか?

目盛りを何度も何度も確認するのにまだ不安で。

その投与後に体調がおかしくなると、

それは自分のインスリンの量が適切じゃなかったからじゃないか?と、

言いようのない恐怖に駆られて。

 

 

救急車を呼ぶ判断すら、自分にゆだねられた。

 

そして最終的に容態は悪化し、わたしが救急車を呼んだ。

 

母はたった2週間の一時退院のつもりの在宅医療のあと、病院に戻り

その2日後に亡くなった。

 

急変だった。

 

あのときは「末期を看取る」ではなく、次の治療にむけた「一時退院」だったので

家族のだれにも覚悟がなかったと思う。

わたしも「看取り」だなんて思っていなかった。

 

そういう状況の違いはあるとはいえ・・・・

それでもやっぱり、

 

在宅医療に対する自分の不安や恐怖は大きい。

そして、母に対してあったような深い愛情を持てない父に対しても、

あのときのような献身的なつきっきりの看護ができるのだろうか?という自問自答。

 

 

考えても、なるようにしかならないのはわかってる。

けれど、本人の意思はきっと堅いので、

それを無理矢理病院へ入れるなんてできるわけがないし

在宅で看取る覚悟は持っていなければいけないのだろうな・・・と、思う。

 

いざとなったら・・・そういう時期になったら・・・

そのときは、兄に実家に長期で滞在してもらって、

昼間はわたしが通い、夜間は兄にお願いするのが現状でのベストかなあ・・と考え中。

(兄には言ってないけれど、もうそこまで考えている)

 

そういう決断をするときが、

いつ、どんな形でやってくるのかまったく想像はつかないけれど。

 

やりたくないと思っても、

逃げたいし兄弟に押し付けたいと思っても

それができないのが自分なので、

受け入れるしかないんだろうな。