子供だからと自動的に親を愛するわけじゃない。

無事、予定通りに父と兄弟は旅行に出かけている。

ゆうべ、二人に「お父さんどうだった?大丈夫?」とLINEを入れたところ

なんだか父が大暴走しているようで・・・想像するだけでめまいがしそうなのだけど

これについては旅行から帰ってきてからブログに書くとして・・・

 

とりあえず暴走できるほどの元気はある・・・ということなので

そこはよかったかなと。

いや、よくないんだけど・・・(意味深)。

うん、よかった・・・と言っておこう。

 

話は遡って、日曜日の午後に兄が実家に帰省してきたときのこと。

 

いつものように最寄り駅までわたしが迎えに行った。

兄には悪いけど、それだけのためにまた実家に行くことになるのは

わたし的には「あ~あ」な感じ。

駅からの交通の便がすこぶる悪い場所なので仕方ないけれど。

  

駅から実家までの、兄とわずかな二人だけの時間の間に

このごろの父の様子など、近況を報告した。

(父のいるところでは、できるはずのない話)

 

ずっと続いている背中の痛みの話、痛み止めの注射の話、

最近また「酸素サボリ」が目立つようになった話、

先日の主治医との診察の話・・・などなど。

 

どんな話の流れだったか?具体的な会話は忘れてしまったけれど

そんなふうにわたしが父の話をしていたときに

兄から衝撃的な言葉が飛んできた。

 

「正直さ、俺はお父さんの日常のこととか、どうでもいいんだよね。」

 

と。

 

びっくりした。

続けて兄は

 

「病気のことは本人の自業自得(父は元ヘビースモーカー)なんだから

全く同情の余地はないし、

それで病気になったからといって、在宅酸素になったお父さんをかわいそうと

思う気持ちは全くないんだ。

だからガンがあるとか、ガンが進んでるとか聞いても悲しくもないし、

”ああそうなんだ”って思うだけ。

お父さんが普段どんなふうに暮らしてるとか・・・

悪いけど、そういうこと全然興味ないんだわ。」

 

たぶんわたしが「お父さんは~~だから心配なんだよね」とか、

普通に言った言葉に対する反応だった。

 

「お前のことは心配だよ。なんかお母さんみたいになりそうだから。

でもお父さんのことはどうでもいい。

からお前には、なるべくお父さんから距離を置いてほしいと思ってる。

  

今は時間が経って納得できているけれど、この言葉を聞いた瞬間は

なんだかちょっとカチンときて、

 

 

「お兄ちゃんが”どうでもいい”と言っていられるのは、

近くでわたしがお父さんの世話しているからだよ?

わたしがお父さんを病院に連れて行ったり介護サービスの手続きしたり・・・と

面倒を引き受けてるからだよ?」

 

と一瞬言いたくなった。でも、グっと飲み込んで言わずにおいた。

やっぱり兄弟には言えない。

「わたしに感謝しなさいよ」と言ってるみたいだし、

「わたしばっかり大変」アピールしているみたいだし。

そんな恩着せがましいことを言いたくないなー・・・・って。

 

冷静になって頭を整理して兄の言葉をかみ砕いてみると

「ああ、よけいなこと言わなくて正解だったな」という気持ちになっている。

 

  

わたしも父に対しての愛情はよその父子関係よりも薄いと自覚しているけれど、

おそらく、兄のそれはわたしより遥かに薄いものなんじゃないだろうか。

 

だって兄には、わたしにある「父に対しての罪悪感」というものがないから。

そのくらい、もう突き抜けちゃってるというか・・・。

 

 

でもそれは兄と父の関係を考えたら無理のないことかもしれない。

 

とにかく、子供時代から父が兄を褒めているのを見た記憶がない。

兄は常に叱られ役だった。

父にとっては、きちんとできていることが当たり前だから、

できたことには何も言われず、できなければ叱られる・・・・という最悪な子育てだ。

 

 

極貧家庭で育ち、中卒で働き始めた父は、

自分が出来なかったことを投影するかのように

長男である兄に、ものすごく期待をかけていたように思う。

だから、優秀な子供であってほしいようだったし、

わたしの目からすれば兄は実際そうだった。

父の兄に対するそんな様子は

昔は「自分ができなかったことをわが子にさせてやりたい」という親心かと

思っていたけれど、実はそれじゃなかった。

 

母の死後、必然的に父との会話が増えたわたしは、会話の節々から

「父はとにかく周囲から称賛されたい人である」ということに気が付いた。

あくまでも

「自分が人からどう思われるかが大事」で、信じられないことに

「あの人は俺のことをきっとすごく教養の高い人間だと思ったに違いない(フフン)」

などという自画自賛も誇らしげにわたしに言うようなこともあった。

 

大人になった今だからわかるけれど、父の兄に対する期待は

「優秀な息子を持っている、と周囲からうらやましがられたい」

という、どこか屈折した動機だったと思う。

 

 

それだけに、兄の勉強についてはとても口うるさかったし

中学時代なんかはテストの点数が悪いと怒られていたし

頬を平手打ちされる姿も何度も見た。

 

ところが、兄が県のトップ高校に進学し、旧帝大に進学し

一流企業に就職して、父は喜ぶかと思えば・・・

今度は兄の欠点をあげつらったり、

就職先の会社のあら捜しをするようになった。

 

 

それは父親の「怖さ」で息子を黙らせることはもうできなくなったからだった。

大人になった兄は、父が理不尽なことを言えば、

理路整然とした正論で冷静に言葉を返せるようになってしまった。

横暴な持論で怒鳴ることで息子をねじ伏せることができなくなったのだ。

 

父は自分が常に高く評価されたい人なので、

下にみていた人間が追い越していく事に耐えられない。

 

そうなると今度は・・・・

「(自分より学歴があって)優秀になった息子から見下されたくない」

 (↑誰も見下してないし、兄も見下していないのに勝手にそう思い込む)

 

という、兄を面白くないと思う感情が、父の中でだんだんと強くなり始めたようで

父は兄の言動に対してひときわ過剰反応するようになった。

たとえば、何気ない会話で

兄が「これは〇〇なんじゃないの?」と軽く言っただけで、

父が「うるさい。オレをバカにするな、そんなことぐらい分かってる」と

キレるところじゃない些細な会話で突然キレる・・・ということが多くなったわけ。

 

そうやって、父は子供からバカにされまいと、

自分の周囲を地雷で固めるようになり、地雷はどんどん増えていった。

 

そんな地雷だらけの親と、会話が楽しいわけがない。

 

その後・・・母の闘病から死までの1年間が父子の確執を決定的にしたと思う。

話が重すぎるし多すぎるので、ここには書かないけれど

母を長年モラハラで苦しめていたことに対する父への怒りが爆発した感じ。

そのせいで弟なんかは10年くらい父と口を利かなかったほど。

本当にいろいろ親子間でありすぎた。

 

 

 そんなふうに、父親からの愛情を感じたことのない兄に

でも、「息子として最低限するべきことはするつもり」という兄に

「もっと父のことを気にかけて」

というのは求めすぎだな・・・と、日曜日に兄から言われた言葉に納得した。

 

おそらく・・・・おそらくだけど、

わたしが父のことで兄弟に「話してもしょうがない」と思って

言わずにいる話がいろいろあるのと同様に

 

兄にも、わたしにいちいち言わないだけで、

子供時代から今に至るまで・・・・わたしが知らないところで

兄が父から受けた暴言の数々は、もっとたくさんあるのだろうとも思えたし。

 

 そうそう、父が今後末期がんの状態になったときどうする?な話になったときに

わたしが「お父さんは絶対入院拒否すると思うよ」と話すと兄は

 

「まあそう言うだろうけどね、入院してもらうしかないだろう。

あんな状態(去年の入院時の重装備のことを指して)になるのに、

呼吸器の末期を在宅なんて無理だよ。

本人がどう思おうと勝手だけど、無理なものは無理なんだから

入院させたらいいんだよ。」

 

と、なんと兄には末期を在宅で看るなんて選択肢はサラサラなかった。

 

「お兄ちゃんに1か月くらい実家に泊まり込んでもらって・・・とか考えてた」

と、わたしが思わず言うと

 

「おいおい勘弁してくれ」

 

と一笑に伏されたし。

 

兄は、

「もちろん必要なことはするし、

街中で困っている他人を見かけたら手を貸すのと同じで、

お父さんが困るだろうことには手を貸すつもりだよ。

でも、あのお父さんの”こうして欲しい”の欲求には上限がないから

あの人の気持ちを汲みだしたらキリがないんだよ。

だからお前もほどほどに・・・な。

頼むよ。お前に病気になられると〇〇さん(わたしの夫)に申し訳ないから。

 

と、父の感情にほだされやすいわたしより

ずっとわかりやすく毅然とした考えを持っていた。

 

介護や看護の参考にするつもりで読むブログを読んでは

老親に、注げる限りの愛情を注げているよそ様の温かい愛情あふれる姿に

とてつもない自己嫌悪に陥ることもあるけれど、

 

子供だからみんながみんな、

必ず親を愛せるわけじゃないんだよね・・・と思う今日この頃。

 

親がどれだけ自分の気持ちや考えに「共感」してくれたか・・・

自分の経験や楽しいことつらいこと、

成長する過程で経験するさまざまな喜怒哀楽入り混じった出来事に

どれだけ耳を傾けて、同じ目線で「共有」してくれたか・・・・

その経験の多さが、子から親への愛情を左右する気がする。

 

わたし達と父の間には、それが全くなかった。ゼロだ。

 

子供を尊重して、そして決して親の自己満足ではなく・・・

子供がちゃんと「愛されている」と感じられる形で愛情を示して育てるのって

やっぱり大事なんだな・・・と、思った。

自分はもう子育て終わってるから今さらな話ではあるけどね。

 

昔を思い出していたら、

とてもじゃないけど兄に今以上の「感情」を求めるのは無理だとわかった。

 

世間でよくある、面白くて優しくて温かい父親像とはかけ離れている以上・・・

わたしたち兄弟は、その一般的な「普通の親子像」にとらわれず

 

わたしたちのやり方で接して行けばいいのだと思う。

 

 

 さて、旅行二日目・・・。

 

何事もなければいいけどな。