園児が園バスに取り残されて亡くなるという痛ましいニュース。
胸が張り裂ける思いとはこのことだろうと思いながら、
朝、そのニュースを見ていたわたしと夫。
わたしは最初にこのニュースを見ながら思っていたのは
「どうして園児のこと忘れる?百歩譲ってバスに取り残してしまったとしても
(それ自体決して許されないが)園内の先生が誰か気づかないものだろうか?
該当の園児が来ていないことに。
あれ?〇〇ちゃんは?来てない?誰か連絡受けてる?受けてない?
じゃあお休みかどうか電話で確認しましょう」
・・・くらいの流れが起きるだろう。そこで気づくだろう?ということ。
結局、職員全員が「たぶん(降りただろう)」「たぶん(欠席だろう)」で
動いてしまっていたということか・・・?
・・・とそんなことを思いながら、はらわた煮えたぎる思いで
ニュースを見ていた。
すると、一緒にニュースを見ていた夫がきょとんとした顔で口を開いた。
「え?牧之原ってさ、
牧之原市になったの?
いつから?お前知ってた?」
そこ?!
これほど痛ましいニュースを一緒に見ていて、最初に出てくるのがその言葉?
そんなこと考えながらニュース見てた?
そこにしか興味わかなかった?
呆れるばかりだったけれど、夫はそういう人なのだ。
norako-hideaway.hatenablog.com
ちなみに、夫が「牧之原」に食いついたのはわたしたちがかつて
静岡県に住んでいたからである。
なので「牧之原」は確かになじみのある土地の名前だったし、知っている。
もともと事件や災害のニュースに心を寄せる・・・
なんてことはない人なので、さすがにわたしも今更驚かない。
ああそうだ、そうだったね。あなたはそういうところが気になっちゃうんだよね
と、なんだか夫を生暖かい目で見守ることができた。
本当はこういうニュースを見るとき、
一緒になって憤ったりしたいものだけど
そういうことはまあ無理なので、
ひとり静かにいろいろ思いを巡らせるにとどまっている。
しかし本当にこんな「防げる事件」はなくなってほしい。
アプリとか・・・どれほど最新のシステムを投入したって、
結局は「指さし確認」とか、そこをなくしてはダメなんだよね。本当に。