もっと違った関係にもできたはず。

前記事の続き。

ようやく、義母への面会が叶った話。

 

病気についての詳細は書けないので、言葉を選ぶけれど・・・

義母は手術によって今、かなりQOLが下がっている状態なので、

果たして自分が会いに行って、イヤがられないだろうか?という不安はあった。

(あまり多くの人には会いたくないだろうという思い)

けれど、義姉が「会いに行ってあげて」と言ってくれたくらいなので

きっと大丈夫なはず・・・と思って、ドキドキしながら夫とともに

義母の病室を訪ねると

そこにはベッドに横たわる義母がいた。

部屋が暖かいせいか、布団をかぶることもなく病衣のまま横になっていた義母。

わたしたちに気が付くと、うれしそうに・・・というよりは

ちょっと恥ずかしそうに笑って、慌ててマスクをして起き上がった。

 

繰り返しになるけれど、義母とわたしは無機質な「嫁と姑」であり、

別に仲が悪かったわけでもなければ、仲が良かったわけでもない。

むしろ何にもなかった。

結婚して30年近く、ずっと他人行儀で、ずっと最低限の会話しかしてなくて

だからいまだに義母に会うと何を話していいのかわからない・・・

義母もまた、社交的な人ではないので会話が少ない・・・

そんなぎくしゃくした関係だった。

 

でも、この日の義母は驚くほど饒舌で、

わたしの顔を見るなり、

「もう大変な病気になっちゃってねえ。こんなことになっちゃったわ・・・」

と照れくさそうに笑ってくれた。

 

ベッドのわきに腰掛ける義母の足元にしゃがんで、わたしは義母を見上げながら

ずっと笑顔のまま、たくさん話かけた。

今までそんなに話す人ではなかったのに、

手術のこと、今の状態のこと、いろいろ話してくれた。

実父の度重なる入院や通院を一緒に過ごしてきたからわかる。

義母がそれだけよくしゃべるのは、きっと不安の裏返しだと。

2か月以上の入院生活。しかも最初の一カ月半は

コロナのために面会謝絶で誰にも会えず

どれほど心細かったことか。どれほど不安だったことか。

それでも、そんな泣き言を照れ笑いに変えて、話し続ける義母の健気さとたくましさに

わたしのほうが涙が出そうになり、でも泣いたら失礼だと思って必死にこらえた。

 

会話の中で、義母はわたしに食べ物についていろいろ尋ねてくれた。

「どういうものを食べたらいいんだろうねえ?〇〇とかがいいんだろうか?

お父さんのときはどうだった?」など。

 

義父の介護認定問題が出た時もそうだったけれど、

義母はこういうときに「norakoさんなら知ってると思って」と聞いてくれる。

残念ながら、この時は役に立てなかったけれど

(食事についてはお医者さんの指導の下進めないといけないので、わたしが無責任に勧めてはまずいという意味で)

 

そうやって義母があれこれ尋ねてくれるのが純粋にうれしかったし、

わたしも父の枕元に寄り添ったときのことを少し重ねながら

精いっぱいの笑顔で義母を励ました。(伝わったかどうかはわからないけれど)

 

そして同時に思ったのだ。

どうして今頃なんだろう?どうしてもっともっと早いうちに

こうして義母との距離を縮められなかったんだろう?と。

なんてもったいない時間を過ごしてきてしまったのだろう?と。

 

でもその答えもその場ですぐにわかった。

「洗濯はどうしてるんですか?」と、義母に尋ねたときに

「ああ、〇子さんにお願いしているよ」と、義母が言ったからだ。

 

そりゃそうだよね・・・〇子さんというのは長男嫁のこと。

二世帯同居している長男嫁に頼むのが当然だし、わたしの出る幕なんてない。

・・・と、思ったのと同時に、

わたしが今日、こんなふうに何の緊張感もなく、

リラックスして義母と会話できているのは

義姉がその場にいないせいだ・・・と気づいたのだ。

 

義母に近づくことができなかったのは、義姉の存在も大きい。

義姉と義母もまた、そんなにベッタリ仲がいいわけではなく(悪くもない)

あまり良くわからない感じだったけれど、

「義母と義姉が二人で出かける」ということも聞いたことがないので、

たぶん、お互いにあまり干渉しない、

一定の距離を保った関係だったのだろうと思う。

 

義母と義姉がそういう距離感なのに、

そこへ気楽な立場の別居・次男嫁がはいってきて、自分ばかりが

義母と仲良くしたり・・・とか、

義姉以上に距離を詰めるわけにはいかないというか・・・(わかる?)

そういう遠慮が大いにあったから、

あまり義母に近づけなかったのもまぎれもない事実。

 

もっといえば、わたしは本当は「嫁同士なかよくなる」こともまた、

想像して結婚したのだけど、

義姉はわたしとも一定の距離を保っていたから、

多分そういうドライな考えの人なのだろうと思う。

 

息子のお嫁さんは、帰省のときによくわたしをランチに誘ってくれる。

もう何度か息子と3人でランチに行ってるのだけど、

それはお嫁さんなりに「お義母さんと近づきたい」「お義母さんと仲良くなりたい」

という気持ちの表れだと思う。(そうでなければ誘ってくれたりしないはず)

お嫁さんとのランチやおしゃべりの時間を一緒に過ごしながら、

「ああ・・・わたしも若いうちから義母をこんなふうに誘えばよかった」と、

よく考えるのだ。

 

ただ、わたしたち夫婦の場合、夫がまた母親に対してそっけないので、

「3人でランチ」とか絶対に実現しなかったと思うのだけどね。

でも義姉への遠慮がなかったら、

わたしは誰に気兼ねするでもなく、義母と仲良くなる努力をしたと思う。

 

話をもどして・・・・そんなわけで

この日、義母とこんなふうに親し気に話すことができたのは

やっぱりわたしが、

義姉の存在を気にしなくていい・・・ということが大きかったと感じた。

同時に、孤独に耐えている義母が、

家族が来てくれたことを素直に喜んでくれていたこと。

 

本当なら、毎日でも来たい。

1度来てしまえば、別にもう夫同伴でなくてもいいし。

 

でもなあ・・・義姉でも毎日は来ていないみたいなのに、

何の手伝いもしない次男嫁のほうが頻繁に来るというのは

やっぱりよくない・・・・。

(義姉は義父の身の回りのお世話もしているわけだし)

 

・・・と、ここでもついつい頭をよぎる「次男嫁として立場をわきまえろ」という

もう一人の自分の声。

 

あまり出過ぎた真似はよくないので、

やはり週に1度、夫と一緒に来る・・・が無難かもしれない。

 

 

ちなみに、義母の退院のめどは全く立っていない。

本当に、一日も早く家に帰してあげたい。