わたしの姑は義母じゃなかった。

夫の甥っ子の結婚式が無事に終わった。

新郎新婦はそれはそれは幸せそうで、結婚式はいいなあ・・・と

そんな幸せな若い二人を間近で見られて「おめでとう」の言葉を

送ることができたことは本当に良かったなあと思った。

 

けれど、それはそれ、これはこれ・・・・で

わたしの中には誰にも言えない、ドス黒い感情があったのも事実。

 

披露宴中、うれしそうに楽しそうにしている義兄夫婦を見ると

思い出さずにはいられなくなるのだ。

2年前の、わたしの息子の結婚式のときに

「披露宴の乾杯だけで帰ってしまった」ふたりのことを。

今思い出しても、どう考えてもあれは失礼すぎると思えてならない。

 

「親父が疲れてしまうから」と、義兄は義父を言い訳にしたけれど

義父は目の前に運ばれてきた披露宴のオードブルを食べようとしていた。

全然疲れているようには見えなかった。

 

「親父、帰るぞ」と、義兄に席を立つように促されて

義兄と義兄嫁、そして義父の3人は、披露宴を見ることなく帰ってしまったのだ。

 

そしてあれから2年経って、92歳になった義父・・・・

《疲れてしまうから披露宴は出られないんでしょ?》という

意地悪な自分の心の声が頭に浮かんだけれど

義父は、披露宴の食事をモリモリ食べて最後までずっとその場にいた。

 

わたしの夫ですら今頃不思議そうに言った。

「親父、全然大丈夫だったな。なんでうちの結婚式のとき帰っちゃったんだろうな」

と。

夫は鈍いからわかるわけがない。

 

理由は単純、出たくなかったんだよ・・・・・。

義兄嫁が留袖ではなくスーツで来たのが何よりの証拠なのだ。

義兄夫婦は、「まあ式だけでて、披露宴の乾杯だけしたら帰ればいいだろ」

と打ち合わせていたんだろうと思う。

 

義兄夫婦の息子2人よりずっと年下のうちの息子の方が先に結婚するのが

まず面白くなかったと思う。

そしてコロナ禍での結婚式ということも不快に思っていたのだろう。

(会場に来た時から、”ここは密すぎる”だの、義兄は何度もブチブチ言っていた)

また、当時義母が入院中だったので「こんなときに不謹慎」とも

思われていたに違いない。

 

いろいろ思うところはあっても、若い二人のために

それを飲み込んで祝ってほしかった。

それをせずに帰ってしまう姿を見送ったとき、もう本当にショックで、

ぽっかり空いた3人分の席を眺めてわたしは茫然としてしまったほどだった。

息子も上座から親族席が空席になったことにすぐ気が付いたようで

あとから「え?!伯父さんたち帰っちゃったの?」と驚いて聞いてたし。

 

身内なのに、伯父なのに・・・・

「祝ってあげようという気持ちがないんだな」「どうでもいいんだな」

ということがとにかく悲しかった。

これだけは、わたしはきっと一生根に持ってしまうと思う。

 

もう今更細かい愚痴は並べないけれど、今回の結婚式のことでも

義兄嫁に対して「いじわるだな」と思うことがいくつかあった。

 

でも同時に、わたしはいつまでもいつまでも、義兄嫁に対する苦手意識がぬぐえなくて

たとえば結婚式の最中でも、

「お義姉さんにあのことを聞かなくちゃいけないけど、
どうしよう、どのタイミングで話しかけよう」

 

・・・とそんなことでオロオロしている自分がいたのも事実で・・・。

 

そうして改めて思った。わたしにとっての「姑」は

結婚した時からずっとずっと、”本当の義母”ではなく、

この義兄嫁のほうだったんだなって。

思い返してみても、義実家の行事で集まるときはいつもいつも義兄嫁の動向ばかり

気にしていて、「お義姉さんに合わせないと」ってそればかりだった。

話しかけるのも、昔から今もずっと・・・・とても勇気が必要だったし

気軽に話せる雰囲気じゃなかったので、いつもオドオド。

 

「仲良し嫁姑」に憧れていたけれど、

義兄嫁が義母と仲良くしている様子がなかったので、

そこへ次男嫁がしゃしゃりでて義母となかよく・・・なんて、できなかった。

いつもいつも義兄嫁に遠慮していた。

出しゃばらないように、

でもボーっとして気の利かない次男嫁と思われないように、って。

 

 

もう結婚式も終わったことだし、

さっさと忘れて、楽しいことだけ考えたらいいのに

昔のことをあれこれ思い出して、

あのときこんなことを言われた、こんなことをされた・・・って

一方的に傷ついて落ち込んだことをつぎつぎ思い出してしまうわ。

 

 

今週末、お嫁さんと孫娘のところに遊びに行く予定だから

「かわいい」を注入して切り替えよう!

 

ここで吐き出したことだし、嫌な記憶はもう忘れるぞ!