お盆休み中の進展~退院後の行き先~

お久しぶりです!

息子は明日まで実家滞在のようですが、とりあえずまず

お盆休み中リビングに終日居座っていた夫が今日から仕事に行ってくれたので(汗)

ようやくひとりでこっそりブログを書く状況を確保することができました。

 

いろいろと変化のあったお盆休み数日間・・・。

まず、結論から言うと、

父はまだ入院中です。

そして、療養型病院へ転院やむなし・・・の状況だと書いていましたが、

これも、結論を言うとなんと「自宅へ帰る」ということになりました。

 

そうなったいきさつやら、兄弟の帰省やら・・・

振り返りつつここ数日の出来事を書こうと思います。

 

 

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先週金曜日までは、安静時酸素流量5L・・・という高い流量の続いていた父。

なんど先週土曜日の午前中に病室を訪ねてみると、一気に3Lに下げられていた。

 

これは・・・・まさかの展開。

 

本来は、劇的な回復のサインでもある。

でも手放しで喜べないわたし。

 

が、父の方は数字という、目に見える形で改善が見られたことに顔がほころび

もうそこからは

「これはもう退院が近いな」

「先生から退院と言われたらどうしよう(ウキウキ)」

「退院したら・・・」

と、皮算用が止まらない。

この場合の皮算用は当然お金のことではなく

「退院したら、以前のように動けるし今まで通り暮らせる」という、体調の皮算用だ。

 

わたしはこの日まで・・・あえて父に対して「退院したら」という

言葉を使わないように気を付けていた。

それは退院してひとり暮らしが継続できるような状態からは程遠かったからで

「転院」のことばかり考えていたから。

父の様子を見た相談員Sさんですら「今なら要介護3はつくだろう」と言ったほど。

 

そんな状態だった父に対して、

無責任に「退院したら」と期待を持たせるようなことは言えないと思い

「もっと体力がついたら」「肺炎が良くなったら」と言葉を濁してきた。

 

しかし、安静時の酸素流量が3Lとなってくると話はちょっと違う・・・。

なんといっても・・・・

 

一番の懸念材料になっているトイレについては

相変わらず紙パンツ着用&看護師による見守り(監視)付きではあるものの

看護師の手を借りずとも歩けているようで、(ベッドから10歩くらいの距離)

その後漏らしてしまう失敗もしていないらしい。

そのため、「トイレが無理ならひとり暮らしは無理だよ」と、

本人を納得させることが難しい状況になってしまった。

 

 

お風呂は・・・というと、酸素流量が下がったことで

週末に初めてシャワー浴をさせてもらったらしいが、

動くとやはり酸素の数値が一気に下がる&本人も身体がしんどい・・・ということで

入浴は看護師さんに洗ってもらい、父は座っているだけだったという。

つい先月まで・・・「看護師に風呂に入れてもらうなんて」と憤慨してキレていた父も

今回の入院で紙パンツまで使っているくらいだから、

裸を見られることに慣れっこになったのか・・・?

もういろいろとあきらめたのか・・・・?

そこも素直に受け入れて洗ってもらったそう。

 

そんなわけで・・・・

これはどう見ても「退院して一人暮らし継続」するしかない状況。

 

けれど・・・・わたしは父の回復を素直に喜べないでいた。

以前のように・・・わたしが週3回通えば済むくらい元気になってくれるのなら

それはバンバンザイなのだけど、

以前よりもQOLを下げての退院になることは確実で・・・

トイレはかろうじてクリアしているけれど、

逆に言うとトイレに行く以外の体力と心肺機能はもうない。

そんな、「以前よりさらに面倒をみなければいけない状態での帰宅」は

ハッキリ言って不安と憂鬱しかないからだ。

 

いろいろ不安はあるのだけど、

その中でもわたしにとって、何が一番不安か・・・いや、不安というより憂鬱か?

というと、

それは「父の満足度を満たすこと」だ。

事務的にやるべきことをやるだけなら・・・それほど大変ではないけれど

父の感情面の面倒を見ることが何より精神的にキツイといってもいい。

その大きなものが「食事問題」。

 

体調を崩しがちになった7月初めから、父の食欲不振は今もずっと続いている。

それはブログにも書いてきたとおりで・・・

配食弁当や自分で作るだけ作ったラーメンを全残しし、

わたしが毎日残飯を片付けに行く日々。

そして、

「何かうまいものを買ってきてくれ」

「高級な○○を買ってきてくれ」

と難しい注文をつけられ、

かといって、買って来たものを一口だけ食べて

「旨くない」

「捨ててくれ」

など、言われる毎日。

 

自分が作ったものじゃないとはいっても、

どんなものだったら父は食べてくれるのだろう?と

頭を悩ませて探してくるものを、いともあっさり「捨ててくれ」と言われたり

配食弁当は届くだけで一切手をつけない・・・というのは

これはかなりストレスフルなことだった。

 

本当に体調が悪くて食べられない場合はもちろん仕方がないけれど

父の場合はそうではない・・・・ということは入院してみてわかったこと。

なぜなら、

病食は毎回かなり食べているらしいのだ。

(主食は全粥ではあるけれどおかずは普通のおかず)

その証拠に点滴は施されていない。必要ないレベルに食べているということ。

 

わたしが行くと、「おいしくない」と毎日病食に対して文句ばかり言っているけれど

それでも、出されたものはちゃんと食べている。

つまり、入院中は「それ以外に食べるものがない」から食べるということ。

体調的に食べられないというわけじゃないことがハッキリしたことになる。

 

けれど、おそらく自宅に戻ったらまた「わがまま」を言い出して

配食弁当はほとんど食べなくなること確実で・・・

「食欲がない」「おいしいものが食べたい」と、

連日訴えられると思う。

 

父が自宅に戻ってからの、そういう展開は容易に想像できた。

 

間もなく退院の許可が出るだろう!とウキウキがとまらない父に

わたしは「言うなら今のうち」と、思い切ってクギを刺すことにした。

 

「お父さん、厳しいことを言わなくちゃいけないけど、

退院しても、これまでと同じ生活が出来るとは思わないでね。」

 

と切り出したわたし。

 

「まず、今後は夜寝るときも酸素を絶対に外したらダメだし、

うっとーしいからと酸素をサボることは、絶対に許されないからね。

日頃、先生から指示されたことを守らないくせに、

こんなふうに肺炎になって酸素の数値が悪くなった時だけ、

”治療してください”なんて虫のいい話は今後は許されるわけがないんだよ?わかる?

それから、今後は家でのお風呂は必ず看護師さんに介助してもらうこと。

酸素の数値が下がって危険だし、フラついて転倒でもしたら危険だから。

そして、最後は食事のこと。配食弁当がまずいとか文句を言わずに必ず食べること。

病院の食事はちゃんと食べてるでしょう?それが家に帰ると食べられなくなるのは、

わがままを言ってるだけでしょう?

弁当がイヤだといえば代わりのものをわたしが用意してきてくれると

思ってるようだけど、わたしだって毎日毎日、お父さんの口に合うものを用意できる

わけじゃないからね。

お父さんはいろいろ窮屈に感じるかもしれないけれど、

ヘルパーさんや訪問看護師さん、わたし・・・のサポートを受けないと

一人暮らしを続けるのは難しいということはちゃんと理解していてほしい。

そのためには、そういう大事なことは守ってもらわないと。

今言ったことを、きちんと守ることができないなら、

また入院してもらうしかなくなるからね。(あえて施設とは言わず・・・)」

 

父は退院したくてしょうがない気持ちで弾んでいることもあり、

わたしのこの話を聞いても不機嫌になるようなことはなかった。

ただ、少し寂しそうに

 

「なんか・・・・思っていたよりも大変そうだなあ・・・・。

また海外旅行とか行けるようになると思っていたけれど・・・難しそうだなあ。」

 

と、どこまでが本気でどこまでが願望か、わからないようなことを言い

苦笑いしつつも、

 

「わかりました。ちゃんと言うことを聞きます」

 

と返事をした。

 

まあ、もともとが「喉元過ぎれば・・・」という性根の人なので、

たぶん、退院してしばらくすればまたわがままの虫が出てくると思うけれど

とりあえずは、わたしが言っておきたいことは伝えることができたので

よかったのかな・・・。

 

 

そんな会話をして、わたしも「ひとり暮らしを継続させる」方向で

動かなくてはいけないな・・・という、決心がついた。