1日がかりの退院

一夜明けて退院の日を迎えた。

これまでも何度も入院しているが、退院するときは毎回決まって朝で・・・

9:00頃に病室に迎えに行くと父はすでに着替えを済ませていて、

看護師さんが次の通院までの薬を持ってきてくれたり、

事務員さんが請求書を持ってきてくれたりするのを待っているだけで

これといって煩わしいこともなく、至ってシンプルに静かに病院を後にしていた。

 

しかし、今回は大きく違う。

退院が午後の予定だったので、午前中は介護や看護・・・関係各所のみなさんが

集まり、ミーティングの時間を持つことになっていたため、

ただぼんやりと退院時間まで待つわけではなく、午前中から忙しい。

 

皮肉にも、ボケーっと暇そうに退院のお膳立てが整うのを待っているだけでいいのは

主役である父だけだった。

当初、父もそのミーティングに出席してもらう形が予定されていたのだが

「わたしは聞いても話がわからないから遠慮する。」と、

本人が面倒がって出席を拒絶したからだ。

 

 

実際そのほうが圧倒的に話し合いの効率はいいと思った。

父はおそらくわたしたちの会話のスピードについていけないのは確実で、

その都度会話をストップして

父に「通訳」することになったに違いないからだ。

 

カンファレンスルームに足を運び、驚いたのはその人数だった。

 

*病院の地域包括支援センターのSさん

訪問看護師のYさん

*ケアマネTさん

*父の担当だった病棟看護師さん

*リハビリ担当の理学療法士さん

*市の地域包括支援センターの相談員さん

 

の、6人もの人がカンファレンスルームに集まったのだ。父ひとりだけのために。

 

初顔合わせとなった「市の地域包括支援センターの相談員さん」という外部の方が

この席にいたのは、介護保険の申請中という父の立場ゆえらしかった。

Sさんの説明によると、介護申請中という中途半端な位置の人は

「申請中は暫定的にケアマネージャーさんが動くことができる」らしいが、

認定の結果が出た後は、その結果によって

 

要介護の認定だったとき

事業所のケアマネが担当につくので、Tさんがそのまま担当になる。

 

要支援認定だったとき

要支援の人には、事業所のケアマネは担当につけないらしい。

なのでTさんは外れる。代わりに市の直轄である地域包括支援センターの人が

担当につく決まりらしい。

             

・・・と、介護認定の判定結果によってサポートをする管轄が変わるため、

必然的に担当になる人が変わるのだということだった。

そのため、「どちらの判定がついてもいいように」今の段階で両方の担当者が出席して

情報を共有しておきましょう、というSさんの配慮だった。

まさにかゆいところまで手が届く万全の体制だった。

 

 話し合いはSさんが司会進行をするという、

何やら本格的なミーティング方式で進められ、

まず病棟の看護師さんから、これまでの父の回復状況と現在の状況が説明された。

 

つづいてリハビリ担当の理学療法士さんから、リハビリ中に見られる酸素濃度の

変化の様子、現在どのくらいの負荷の動きができるか?などの説明がされるとともに

 

労作時に注意するべきポイントなどが伝えられた。

 

訪問看護師さんやケアマネさんが、リハビリの先生に「こういう場合は?」などと

他に配慮するべきことがあるかどうかを詳しく質問する場面もあった。

 

また、わたしのほうからも父のことについて多く語ることができた。

このとき「この話し合いの場に父本人がいなくてよかったな」と思ったのだが(笑)

 

■ 病気のことを軽く考えており、酸素吸入が始まったことで自分がものすごく

元気になったかのような錯覚をしていること。

 

■ だから訪問看護や介護サービスなど、自分の意に反して外堀が固められて、

介護のムードが高まっていくことに抵抗と戸惑いを感じていること。

 

■ 難しい話が理解できなくなっているので、

訪問看護や介護サービスもあまり理解していないだろうこと。

 

■ 非常に気難しくプライドが高いため、些細な言葉でも自分がバカにしていると

感じると、キレてすべてを拒絶する可能性があること。

 

■ 年寄りのくせに、年寄りの集まりが嫌い。

そのため、デイサービスのようなところには絶対に行かないタイプであること、

そのくせ淋しいので誰かに構ってもらいたいやっかいな性格であること・・・・

 

などなど、「父の取扱説明書」として、洗いざらい話して共有してもらった。

 

「あの年代の人には多いよね」と世間で気難しい老人のことをよく言ったりするが

ハッキリ言って、父のそれは「普通の気難しい高齢者」の何倍もの破壊力である。

どこに地雷があるかわからないタイプだ。

 

「きっと父が失礼な態度を取ったり、失礼なことを言ったりして、

お世話してくださるみなさんにイヤな思いをさせてしまうと思います。

その点、先に謝らせてください。本当にご迷惑おかけすると思いますが

よろしくお願いします」

 

と、オーバーでもなんでもなく、わたしはその点が一番不安だったので

何度も頭を下げた。

もちろん、高齢者相手のお仕事をされている人たちだから、

ある程度は慣れていると思うけれど、それでも「慣れてるでしょうけど」とは

お願いするわたしの立場からはとても言えない。

 

さしあたって目先2週間については、

週3回の訪問看護と、その際の入浴介助をしてもらうことに決まった。

 

その後、ひとりで入浴しても大丈夫な感じになってきたら、

訪問看護は在宅酸素のチェックと健康管理のための週1回にし、

介護サービス(介護度によってどこまで利用できるか?まだわからないけど)を

活用していく方向で・・・という流れ。

 

先の見通しが立つということが、これほど安心感につながるとは。

そして、今後は困ったことがあったら相談できる相手ができるということも大きい。

 

話し合いは45分程度続き、終了した。

病室に戻ると、そこにはすでに病衣から私服へと着替えをすませた父の姿が。

 

しかも、非常にヘンテコな格好をしている。

黒い長袖Tシャツの上に、半袖のグンゼの肌着を着ているのだ。

半袖Tシャツと長袖Tシャツの重ね着は確かにある。

だが、父のそれは明らかに「グンゼの肌着を洋服の上に着ている」のでおかしいのだ。

どうしてそうなった???

普通逆だろうが?

退院が完了したら、外で遅い昼食を食べる予定にしているのに、

そんなみっともない格好で・・・と、思ってやんわり指摘すると

「上から上着を着たらわからないからこれでいいじゃないか」と憮然としたので

(おっと!この先には地雷がっ・・・!)と判断して、目をつむることにした。

 

”わたしの父親は認知症ではない”と、前置きしながらこのブログを書いているが

実のところ、ここ数日若干気になることが出てきている。

それは、別記事で改めて書くことにしよう。

 

退院は酸素を提供してくれる医療関係の業者さんと一緒にすることになっていた。

病室で携帯用酸素につけかえて、自宅までついてきてもらい

酸素発生装置を自宅の寝室に設置してもらうなどしてもらうためである。

 

病院の精算を済ませ、父の自宅に帰って来たのはようやく午後2時。

正直、すでに疲れ切って昼寝でもしたい気分だったが

当然そうはいかず、そこから改めて酸素屋さんに話を聞く。

厳密には決して「酸素屋さん」ではなく医療器具の代理店さんなのだが(笑)

父と話をするときに彼のことを「酸素屋さん」と呼んでしまっているので

ここでもわかりやすくそう呼んでしまおうと思う。

 

ありがたいことに、この酸素屋さんも若い男性ながら、本当にいい人だった。

物覚えの悪い年寄りが、酸素の扱い方で同じことを繰り返し聞いても

イヤな顔ひとつせず、笑顔で何度も根気よく教えてくれる。

酸素屋さんは、今後、ボンベの交換をお願いするときにもずっとお世話になる人なので

「気持ちよく連絡できる人」であることはとても重要だ。

人柄のいい人で本当によかったなあと、ここでも思った。

 

在宅酸素については、ブログ読者さんの中で知りたい人がいるかどうか不明なので、

詳しい説明は省くとして・・・

その使い方は・・・というと、部屋の中に据え置きで使う装置はタッチパネルを

操作するだけなのでいたって簡単である。

 

しかし問題は携帯用ボンベのほうで・・・・

器具を取り付け、酸素が出るように設定するには何段階かの操作行程がある。

わたしくらいの年齢であれば、数回やれば覚える程度の操作だが

物忘れの激しくなってきている父には、到底すぐには覚えられそうにない。

しかも、

 

「外出するとき(酸素を使う時)」

「家に帰って来たとき(酸素を止めるとき)」

「ボンベを交換するとき(新しいボンベに器具を付け替える)」

 

この3パターンの使い方を覚えなければいけない。

 酸素屋さんは、写真つきの手順書も用意してきてくれたので

忘れてしまっても、その画像つきの手順書を見ながらやればOKなのだが、

これがまた画像も字も小さい(笑)

できればもう少し高齢者向けに大きな文字にしていただきたかった・・・。

 

ともかく、なんとか在宅酸素の体制も整い酸素屋さんを見送って

ようやく父の退院イベントはこれでようやくすべて終了した。

 

 わたしたちは昼食も食べていなかったので、

その後早速、父はリュック型の携帯酸素をかついでわたしの運転で遅い昼食に出た。

午後3時という、昼食には遅すぎる時間だったので

ファミレスくらいしか空いていなかったが、仕方がない。

帰りには、スーパーに寄って、さしあたって翌日1日(まだ配食サービスは来ない)

の食料品などを一緒に購入して帰った。

 

わたしもヘトヘトだったが、

病院ではせいぜい1日100歩程度しか歩いていなかった父にとっては、

酸素をつけているといっても、スーパーへ行くだけでひどく疲れた様子だった。

酸素を十分に吸っているにもかかわらず、ハァハァと息が荒かった。

 

「とにかく今日はゆっくり休んで。

しばらくは張り切って動きすぎないでボチボチやるんだよ。

それから明日、早速訪問看護師さんが来て、お風呂に入れてくれるからね。

わたしは明日は来られないけど、大丈夫だよね?」

 

と、大事なことをあれこれ伝えると、父はもう何度も説明したにもかかわらず

 

「もう明日看護師さんが来るのか?せわしいなあ。明日じゃなくてもいいのに。」

 

と、ブツブツと不満げに言った。

 

父が訪問看護を煩わしいと思っていることは、その態度でわかったが

それはあえて見ないフリをした。

疲れていたせいもあるが、今後のサポート体制について

正直なところ、わがままな父の意向を全部汲んでいたらとてもやっていけないのだ。

 

なので、父がもの言いたげなことに気が付いても、そこはできる限り流して

「気づかなかったフリ」をしたいと思っていた。

 

そんなこんなで・・・ようやくわたしもその日のミッションを終了した。

朝8時に家を出て、自宅に戻ってきたのは午後6時近かった・・・。

 

たぶん、今回の一連の入院で、この日が一番疲れた日だったと思う・・・。

 

よく頑張ったよ、わたし・・・(´;ω;`)(←自画自賛を許して)