お盆休みがなければ。

今日は毒を吐きます(予告)

 

 

主治医から父の病状について話を聞くことができたちょうどその日、

実は兄からLINEが送られてきた。

 

それはお盆休みの帰省についての連絡。

たぶん、そろそろ来る頃だろうなあ~とは思っていた。

 

「弟の都合次第だけど、〇日か〇日あたりで墓参りどうですか?」

 

来たよ。来た来た。例の墓参りの話。

 

norako-hideaway.hatenablog.com

 

まあね。まあ、まあ・・・・

何一つ、これっぽっちもこちらの生活について知らせていないので、

こういうLINEが来ることは仕方ないことだとはわかっている。

けれど父の体調不良に翻弄され続けてきた怒涛の1か月をやっと乗り切った自分には

 

は?何を能天気な。

 

と言う以外の感想が見つからなかった。

墓参りの予定の前に、父のことを聞かないの?気にならないの?

入院していることは知らせてないにしろ、肺がんだって知ってるよね。

まさか妹から連絡がないから平穏無事に暮らしてるんだろうとでも思ったか。

 

 

「今、お父さんが入院してて、いろいろ大変だから。二人で行ってください。」

 

・・・という、棒読みな返事を送ったところ

兄からは当然「え?入院?いつから?」と少し驚いた様子の言葉が届いた。

これまでの1か月の経緯をごくごく簡単に・・・

わずか10行くらいに超凝縮して要点だけ送った。

 

いつもこれだけだらだらと長文のブログ記事を書くわたしがたった10行で

この1か月の出来事を要約したのだ。。

やればできるじゃないかと思った。(←簡潔なブログが書けない人)

 

もう、何なら

「このブログを隅から隅まで全部読んで現状を把握せよ」

URLを送ってやりたいくらいの心境だったわたし。

 

今の私の、兄弟に対する姿勢は

ブログを読んでいるみなさんには、頑なすぎるように映るかもしれない。

でも、わたしの中ではもう完全に、

父のことで、兄弟に協力を頼む気持ちは持っていない。

 

むしろ、今さら罪悪感や自己満足を埋めるために、

「できることはするよ」などと、中途半端に介護に手を出してくれなくていい。

老親問題において兄弟間の「それぞれができることを」って言葉は本当にキライだ。

離れた兄弟姉妹はそれでいいと思っているかもしれないけれど

キーパーソンは違う。できないこともできるように努力しなければならないのだ。

 

介護のキーパーソンになっている人たちが、

距離を理由に見て見ぬふりをするほかの兄弟をどう思っているのか?は、

仕事や距離、家族関係が大きく絡み合って事情が違ってくるので、

完全にケースバイケース、人それぞれだけど

あくまでも「わたしは」と、一人称を主語にして気持ちを言えば

 

自分はいまや一人っ子だと思っている。

兄弟はいないも同然。いなくていい。

それが今の気持ち。

 

数か月に1度、たま~~~に帰ってきて、

「介護の手伝います」みたいな顔をされても、こちらの面倒が増えるだけ。

それはもうあなたたちの自己満足を満たしたり、

兄弟姉妹に普段任せきりにしていることへの、

自分の罪悪感を軽くするための「体験ボランティア」でしかない。

 

「兄弟に手伝いをしてもらうために迎える準備」

すら必要になるのが煩わしいという本音を、おそらくわたしの兄弟はわからない。

 

親御さんがまだ健康で介護の問題に直面していない主婦の方だったら、

この状況は、たとえば

「家事スキルもない夫が、”手伝うことあれば言って”と、自分の気が向いた時だけ指示を仰いでくること」

くらいの面倒くささだと思ってもらえると、わかりやすいかもしれない。

そういう夫の申し出に対して、

「これから毎日ずーっと自分の役目としてやってくれる、ならありがたい話だけど、
今日だけ、とか、毎回指示が必要になるなら、それはもうめんどくさいだけ」

と思ったことって、ないだろうか?

自分から動いてくれ、勉強してくれ、指示待ちじゃなく先回りしてくれ!

と叫びたくなる、とそんな感じ。

 

たとえば、兄が父のところへ3日間くらい帰ってくるとする。

最寄駅から実家までのアクセスが超絶不便な田舎なので、

兄が来ると言えば、わたしが駅までの送り迎えをしなければならないという

面倒くささは以前も書いたとおり。

 

それだけでなく、

兄が〇日に帰ってくる、とわたしに連絡してきた場合、

それは何時なの?お昼なの?夕方なの?と兄に聞かなくてはいけない。

昼ご飯は父と一緒に食べてくれるのか?それとも夕食からなのか?

 

なぜなら、

それによって配食サービスのキャンセルの電話を入れなければいけないからだ。

それをやるのはもちろん、わたしの仕事。

当然、帰る日は午前中に帰るの?お昼は一緒に食べてくれるの?

それもあわせて聞かなくていけない。

そしてそれらの情報は毎回毎回、こちらから聞かないと伝えてこない。

 

そんな電話くらい、お兄さんにやらせたらいいじゃない、ってきっと思われるだろう。

けれど・・・

「お父さんのお弁当が要らないなら、ここの番号に電話してキャンセルの連絡して。でも配食サービスには直通電話がなくて、この番号は〇〇っていう介護施設の代表電話なのね、だから電話に出た人に”〇〇配食につないでください”って言ってね。そしたらつないでもらったら、〇日のお昼から〇日のお昼までお弁当は休みますって伝えて。」

 

・・・たかが電話1本でそこまで説明しなくちゃいけない場合・・・・

もうその面倒くささが「自分でかけたほうが早いわ」になるのだ。

 

離れた兄弟姉妹が、帰省の時だけ張り切って手伝いをしてくれる、

その気持ちはわかるけれど、来ること自体で日常のペースが乱れて迎えることに対して

疲れを感じてしまうこともあるということ。

 

彼らにはわからないと思うけれど

介護って、日々の生活がルーティン化されていることが多い。

〇曜日はこういうスケジュール、〇曜日はこう。

だいたい毎日〇時ごろに親は起きて食事をする、薬は朝はこれ、夜はこれ・・・

だから、離れた兄弟が数か月に1度ひょっこりやってくるときには

そのルーティンを崩すことになる。

「兄弟の滞在中はキャンセルするサービス」

「兄弟に頼んでやってもらうことの指示」

「兄弟にはできないから、結局わたしがやらなくちゃいけないこと」

などなど。

兄弟がやってくる前に、それらがどういう風に変化するか?

シミュレーションするのは誰かと言ったら、それはキーパーソンなわけだ。

 

兄弟が来てくれることで助かるという家族もいるかもしれない。

けれど、少なくともわたしの場合は

兄弟が2~3日チョロっと来ることによって、普段のルーティンが中途半端に

変わるので、むしろ自分の仕事が増えると思う。

 

これが1~2週間、まとまった期間ずっと父の面倒を見てくれるなら

違うかもしれないけれど、兄弟は父と過ごすのがそもそも嫌なわけで・・・

ストレスがピークに達する前には自分たちの家へと戻っていってしまう。

「自分たちもちょっとは貢献した」という満足感とともに。

 

そうなってくると、普段のルーティンをこなしているほうが結果的にずっと楽で

最終的に「口出ししないでほしいし、手も出さないでくれ」という心境になるのだ。

 

前回の1週間の入院のときも、もちろん兄弟には知らせなかった。

そのときだけ「見舞客」のような顔をして来られたってうれしくない。

 

「そうはいっても離れた兄弟だってお父さんのこと心配だろうから
入院の時くらい伝えてあげたらいいのでは?」

と、言われるかもしれない。

 

 

本当に日頃から親のことを心配する子であれば、その親が重病と知りながら

なぜ普段から時間を作って顔を見に来ようとしないのだ?と、むしろ問いたいよ。

 

兄弟が、自分たちのほうから近況を知ろうとしないのは

父の現状を、わたしの負担を知ってしまったら、

そこで何か協力しなければいけないような、

今から実家にかけつけて、わたしの代わりを務めなくてはいけないような

そんな気持ちになるからだろうな・・・・と思っている。

 

その点、「知らなかった」ってとても便利な言葉で・・・・

「知らなかった」から、何も行動しなかったことも許されてしまう。

そして「言ってくれたらよかったのに」と、

さもやる気があったかのような印象を残すこともできる。

 

わたしの兄弟は、「知ろうとしない」ことで、わたしと父の日常も

なかったことにできるのだ。だから、常に受け身で知ろうともしないのだろうと思う。

 

そんなわけでで・・・もしもお盆休みがやってくる・・・

というタイミングでなければ、

わたしは今回の入院も兄弟に知らせることはなかっただろう。

 

 

 

父の入院を知った兄からは、

 

「大変だったみたいだね。いつもありがとう。」 

 

という、コピペのようなねぎらいの言葉が届いた。

 

まるで、それさえ言っておけばいいかのように。

 

何一つ、心に響かない。

 

「お父さんが入院して、少しホっとしてる。」

 

とわたしが送ると

 

「うん、そうだろうね。元気だとお父さんと衝突するしね。」

 

と来た。

 

は?本気でそんなこと言ってるのか?

 

わたしの目の前にいるのは、毎日少しずつ弱っていく年老いた父親なの。

腹の立つことがあっても、どうやったって見捨てることはできない人なの。

思い通りにならない体に時に苛立って、落ち込んで、不安がる

やせ細った父親でしかない。

その不安定でグラグラと揺れ動く日々の体調に翻弄されながら

わたしがどれほど不安な気持ちで、弱る父と毎日向き合って来たか・・・

本当にこれっぽっちもわかってないんだな・・・と、

 

気難しく、わがままな父親という厄介者を病院に押し込めて

まるでわたしが清々して楽ができていると思っていそうな兄の言葉に

今までで一番の温度差を感じずにいられなかった。