兄と弟の気持ち。

(昨日の記事からのつづきです。)

 

夜、兄弟LINEに旅行の話を投下した。

実はこの旅行計画の話は、兄と私との間で話していただけで弟は何も知らなかった。

特に隠していたわけでもなんでもなく、

もともと毎年GWには兄が自主的に父を1泊旅行に連れて行っていたので、

その延長のような形だったから。

 

昨日のブログを書きながら、わたしの中ですでに答えが出ていた。

それは、

今の父の身体の負担を考えると、公共交通機関を使った旅行は乗り換えだけで

くたびれてしまうので、旅行は車で連れていくことがベストでは?という思いだった。

1泊旅行なので距離的には車でも問題はない。

 

時間を気にせず、マイペースで観光できるのでいいと思う。

が、この案の問題は兄に運転を任せられないこと・・・(笑)

なぜなら、東京暮らしの兄は15年くらい前にもう車を手放してしまい、以後は

数えるほどしか運転していなくて、事実上のペーパードライバーだから。

 

・・・というわけで、ここは弟を引っ張り出すしかない。

弟は「お父さんと二人きりで出かけるなんて絶対無理」と

ハッキリ拒絶するタイプだけれど、兄と2人で連れていくならマシだと思ったのか?

快く運転手役を引き受けてくれることになった。

 

ところがここでまためんどくさいことが・・・。

 

昨日の記事にも書いた通り、外泊する場合、

主治医に指示書を書いてもらい、それを酸素屋さんに提出することで、酸素屋さんが

宿泊先への装置やボンベの手配をしてくれる・・・というのが「一般的な手順」だ。

(※よく知らないけれど在宅酸素自体、処方箋に基づく行為なので、主治医の指示書がなければ酸素屋さんは他所へ手配できないのだと思う)

 

なのに、どういうわけか兄も弟も

「車で行くんだから、酸素ボンベ2日分積んでいけばいいだけじゃないの?」

「酸素屋さんに黙って旅行に行くのはダメなの?」

「大量にボンベを注文したら何か問題があるの?」

などと、酸素屋さんに連絡することに対して消極的なのである。

 

わたしに言わせれば、いくら車だといっても酸素ボンベを5~6本も積んで持ち歩く

ほうが不自然じゃない?って思うし、

そもそも酸素屋さんに「旅行に行くのでボンベ6本持ってきてください」なんて

頼んだら、その時点で「え?旅行なら事前に相談してくだされば・・・(汗)」と

言われてしまうに決まってる。

 

だからむしろ、

「主治医にも酸素屋さんにも連絡せずにボンベ大量に積んで旅行したい理由は?」

って聞きたいわ。

ホテルを予約する前に、

ホテル側へ「酸素発生器設置させてくれるか?」という

確認の問い合わせが必要だったりとかが、地味にめんどくさいのかもしれないけど

(それを設置させてくれないようなホテルはバリアフリーじゃないってことだから

そんなホテルがあるならこっちから願い下げだと思うんだけど?)

主治医に許可を取って酸素屋さんに手配してもらう・・・とか

そいう手続きが多い点に「気楽に行けない」と感じるのだろう。

 

でも、在宅酸素になった父を外泊に連れ出すって、そういうことなんだよ。

今までのように宿だけ予約したらあとは行き当たりばったり・・・とは

いかないんだよ。

 

 

 

もちろん、2人が言うように医者や酸素屋さんに黙って外泊することが、

何も禁止されているわけじゃない。

でも、ウソをつくのが嫌いなわたしは、まるでコソコソ旅行に行くみたいなことの

ほうが気持ち悪いのだ。

 

とはいうものの・・・そこにわたしが首を突っ込みすぎると

別のイライラを生み出してしまいそうだと思ったので、適当なところで引き下がった。

旅行に連れていくのはこの2人なのだから、もういいや。好きにさせよう。

それで大変な思いをしたとすれば、

「やっぱり素直に酸素屋さんに頼んだほうがよかったね」と気づくだろう。

 

ところで、兄弟と久しぶりにLINEで話した時に・・・・

この機会に、父の肺がんの進行具合をちゃんと伝えるべきなのかも?と一瞬迷った。

でも・・・結局言えなかった。

なんだかこの旅行計画が急にしんみりしたものになってしまいそうで。

 

norako-hideaway.hatenablog.com

  

大きくなっているといっても、確定診断というわけじゃないし、

主治医が「元気そうですから、問題ないでしょう。」とスルーしているのと同じで

(↑※これはこちらが積極的に治療する気がないと知っているため)

 

今、肺がんによって弱りつつある状況・・・というわけでもないのに、

わざわざ「肺がんは大きくなっている」って兄弟に正確に伝える必要あるのだろうか?

と疑問に思えた。

 

わたし自身はすでにこの状況を冷静に受け入れているので

全く気持ちは動揺していないけれど、

兄と弟はきっとそうじゃないから(画像を見たわけでもないし)

「ガンが大きくなっている」なんて表現は、

無駄に不安だけを煽ってしまうんじゃないか・・・?と思う。

 

本当は、わたしの胸だけに留めておくことは間違っているかもしれない。

 

でも、言わなかった(言えなかった)一番の理由は、

父の肺がすでにボロボロな状態で、次に肺炎を起こしたら、今度はもうダメかも

・・・というくらいには肺が弱っていること自体は、

兄も弟もすでに十分理解しているので、

そこへガンの情報を上乗せする必要はないのでは?と思ったからだ。

 

肺自体がすでにそんな状態なのだから、

肺がんの進行いかんにかかわらず余命はそんなに変わらないのだ。

それで充分じゃないのかな・・・わざわざ悪い話を付け足す必要ないのでは?

と思い、今報告することはやめておくことにした。

だって、「肺がボロボロ」と、「肺がんが進行」とでは

言葉のインパクトが違いすぎるもの・・・(汗)

 

 ところで・・・

 

前記事の中で、わたしはこんなふうに自分の気持ちを書いた。

「正直、ここまでして父を旅行に連れて行かなくちゃいけないのかな?と

日々の生活を普通に平穏に暮らせるように整えるだけじゃダメなのかな?と

冷静にこの状況に疑問を感じている自分がいる。」

 

でも、ゆうべ兄弟と長い時間LINEでやりとりしているうちに、

わたしのこの考えは間違っていると気が付いた。

 

わたしは、わたしなりの向き合い方で

父に対して、ときに優しくなれない感情を抱えながらも、

そう遠くない将来・・・父を見送るときに

「それでも娘として最低限やるべきことはやった」と、自分で思えるように・・・と

そんな思いで、日々のことをこなしている。

 

でも兄と弟はどうだろう?

兄と弟は決して、父親の世話をわたしに押し付けて責任逃れをしている・・・とか

そんな性格の悪い兄弟ではない。

わたしの「こうしてほしい」という要望からズレていることは多いけれど、それでも

彼らなりに「力になろう」としてくれようとする兄弟だ。

そんな兄と弟。

わたしとは別の形で「後悔を残したくない」と思っているのでは?

日常をわたしだけに負担をかけている状態で、自分たちは何もできてない、

何の親孝行もできていない・・・という罪悪感が、きっとあるはず。

 

わたしにとっては「旅行」は必要なくても、

兄と弟は、逆に「それくらいしか父のためにしてやれることがない」という

彼らにとっての唯一の父親孝行の手段なのかもしれない・・・と気が付いたのだ。

 

わたしは普段から日常介護の責任者のような立場にいるせいで、

ついつい自分がどう思うか?ばかりにフォーカスして考えてしまいがちだけれど

 

兄と弟の気持ちを考えたら、

いつか父を送り出すときにやはりわたしと同じように、後悔のないように

「自分たちにできる親孝行はしてやれたんじゃないかな」と、

思わせてあげなければいけないはず。

 

つまり、父だけでなく

兄と弟にとっても「父親を旅行に連れていく」という思い出は必要なのだ。

それが彼らにとっての「老いた父親との関わり方」なのだろう。

 

父の問題に対して、いつも逃げ腰だった弟が「僕が乗せていくよ」と二つ返事で

快諾してくれたことも・・・きっとそういうことなのだ。

わたしに対する罪悪感もあるかもしれないけど、同じくらい、やっぱり息子として

やれることをやらなければ・・・という気持ちからだと思う。

 

わたしはできるだけ手も口も出さず、兄弟のやり方に任せようと思う。

父の体力がガクンと下がっていることも、少し痩せたことも、

わたしが口で説明しなくたって、

本人たちが父と実際に一緒に旅行することで、自然と気が付くだろう。

「以前とはもう違う」ということに。

 

今回連れて行ってやることで、父が「次は〇〇に行きたい」と言い出したとしても

兄弟がそれに応えてやりたいと思うなら、

二人の判断と行動力に任せたらいいのだ・・・。

 

そんなことに気がついたせいか・・・

旅行計画を憂鬱に思っていたわたしの気持ちも少し柔らかくなった気がする。

 

 どんな運びになるかわからないけれど、

とにかく見守ってみよう・・・と。