相談員Sさん再び。

 

 今日で入院から5日目。

三連休が空けるのを今か今かと待っていた。

今週中に退院しなければいけないようなプレッシャーを感じていたので

わたしは退院後の体制を整えるべく、相談相手を求めていたからだ。

 

とはいえ、去年の秋に入院したときは、まだ介護認定すら受けていない状態だったので

「何から手を付けたらいいのか、どこに相談してよいやら」と頭の中パニックで

介護申請や障害者手帳、各種サービスの契約などなど・・・てんてこまいだった。

今回はありがたいことにベースとなる体制はすでに出来上がっている。

この違いは大きい!

なので、

 

*包括の担当者さん(介護サービス全体のまとめ役)

訪問看護師さん(退院後はさらに密にお世話になるだろう人達)

ソーシャルワーカーさん(入院患者のあらゆる相談に乗ってくれる人)

 

と、わたしが現状と今後を相談できる窓口は3つもある。

 

どなたに相談すべきか・・・?一瞬迷ったが

やはりここはソーシャルワーカーのSさんだな・・・という結論がすぐに出た。

 

↓Sさんとは、去年の入院時に大変お世話になった人である。

norako-hideaway.hatenablog.com

 

なぜ介護サービスの担当者ではなく、

ソーシャルワーカーさんにしたのか・・・というと、

やはりこの先の父のサポートを考えた時に、

一番重要なのは、「医療面でのサポート」であり、それは在宅だけでなく

「緩和ケア病棟」「訪問看護の見直し」など、今後も確実にお世話になるであろう

この病院を中心とした話となるのは明らかだったので、

入院時のこと、訪問看護のこと、そして介護サービスを熟知している

Sさんに会うのがベストだと思った。

 

 

父の病院では、病棟ごとにソーシャルワーカーさんがそれぞれいて、

父の診療科である呼吸器科病棟はSさんが担当している。

入院するたびに、いつもSさんが相談窓口になってくれることは本当にありがたい。

ただし、

「入院患者の困りごとの相談に乗ります。任期は患者さんの退院までです」

という立場の方なので、退院をしてしまったら、

そこで原則管轄外となってしまうため相談できなくなってしまう。

 

何より、

わたしはこのSさんが大好きだから話したい!

・・・という気持ちがとっても強かった。

 

そんなわけで・・・今朝いちばんに相談予約のTELを入れ、

午後に早速Sさんと会うことができた。

 

前回同様、Sさんは父が入院に至った過程も、現在の病状も見通しも、

そしてわたしと主治医の面談の内容すらも知っていた。

なので今回も、本題に入るまでの過程がショートカットされて、話が速い速い。

 

 

話し合って今後見直すことを覚書として。

 

訪問看護を「介護保険」ではなく「医療保険」で利用する。

入院後の「主治医との面談」の記事の中でも書いたけれど、訪問看護を週2回以上

利用するためには、父の介護度では上限いっぱいで介護保険では無理。

けれど主治医が「末期がん」と認定してくれると言ってくださったことを

Sさんにも報告。

サポートの幅が広げられるということで、Sさんも喜んでくれた。

看護師による医療行為は今のところ必要ないので、体調チェックにとどまるけれど

特に今回の入院の原因となった「服薬管理」に力を入れてもらうこと、

(医療用麻薬の残数確認と副作用がひどく出ていないか?など)

足腰が弱っているため、お風呂サポートも1回はお願いしたいことなどを確認。

介護保険では現状、週2回までしかお風呂サポートが使えないため、週末の1回をわたしが見守りしている。それが結構負担だし、今後は介助が必要になる可能性もあるので看護師さんにお願いしたいということ)

 

介護保険の「区分変更申請」は見送り?

足腰の不安定さがちょっと進んだ感じ&物忘れの激しさが進行中(服薬管理できない)

&肺がんステージ4・・・ということで

介護認定の「区分変更申請」が通るかも?と考え中。

(要支援2→要介護1に変更してもらえる可能性)

要介護1が認めてもらえると助かる。

ただ、訪問看護医療保険で使えることになれば、

当面は介護サービスで補えない部分は訪問看護でカバーできそう・・・ということと、

どのみちあと3か月(10月)で介護保険の更新になるので、そのときでいいのでは?

というのはSさんの意見。後日また話し合い予定。

 

■緩和ケア病棟は先の先の先・・・。

最終的には緩和ケア病棟のお世話になるつもりだとこちらの意向を告げる。

しかし、Sさんの説明によると、

近年いろいろ制度の変更(国が在宅医療を推進している傾向にあって、今はどこの

緩和ケア病棟でも、長期入院はさせられないのだそう。)があり、

緩和ケア病棟=終の棲家という認識ではなく、だいたい入院は1か月が限度らしい。

なので、一度入ったら最期までいられる・・・とはいかないため、

*一時的な疼痛コントロール(状態が安定したら退院)

*余命1か月程度になったときの最終看取り

に利用できる・・・という場所になっているのだそう。

 

1か月以上になると、療養病棟のある別の病院への転院を勧められることもあるそう。

ヘンな言い方だけれど、父の場合ステージ4といっても、

まだ今すぐ命にかかわる状態ではないため、緩和ケア病棟のお世話になるのは

現時点ではずっとずっと先・・・ということになりそう。

ただ、既にどこかの臓器にガン転移している可能性もあるし、

最近ガンの話の影に隠れて忘れ気味だけど、すでに肺はボロボロなので、

緩和ケア飛び越えて、肺気腫の急性憎悪であっという間に命を落とす可能性もある。

正直、今はもう1か月先の体調がまったく読めない。 

 

■問題は余命1か月じゃないけど、自宅で暮らせなくなった時!

主治医から余命宣告を受けるまで自宅で暮らせたら問題はないけれど、

実際にはそんなうまい具合にはいかなくて

「緩和ケア病棟に入る条件はまだ満たしていないけど、ひとり暮らしはもう無理」

という状況がくる可能性のほうが圧倒的に高い。

そのときはどうするか考えてる?とSさんから聞かれる。

逆にどういう選択肢があるのか?聞いてみると・・・

介護療養型医療施設

*いわゆる介護施設

の大きく2択らしい。

(私は通い介護で対応できなくなったときが在宅の限界と考えている)

 

介護療養型医療施設」というのは施設ではなく、あくまで「病院」なんだそう。

いわゆる「療養型病院」がこれにあたるっぽい?

 

で、「常に医学的な管理が必要な患者」でないと入院させてもらえない病棟なので

単純な寝たきり老人は入ることができず、条件が厳しいそう。

幸い・・・といったらいいのか??

父の場合は「在宅酸素患者」ということでこの条件を満たしており、

いざとなればそういう病院へ入院させてもらえるらしい。

ただし、希望すればいつでも・・・というわけにはいかなくて、空きベッドの問題や

相手の病院が受け入れOKと言ってくれないとダメな話。

 

 

わたしからSさんへの返事は、

「その時点で父が現状を理解できない状態になっているなら施設でも構いません。

でも、頭がしっかりして理解できるようなら、

施設は頑として受け入れないはずなのでせめて”病院”と名のつくほうが

本人比較的抵抗少なく、受け入れられると思います。なので療養型病院で・・・」

としておいた。施設に入ってもらうことは、現状では無理だろうなあ・・・。

 

 

・・・と、大まかな点ではこのくらいのことを話し合った。

 

父本人の様子については、また明日のブログに書こうと思うけれど・・・

実は主治医から今日の午前中に

父に対して「もういつ退院してもいいですよ」と話があったらしい。

父は帰りたいばかりなので、「じゃあ娘に聞いて明日(水曜日)にでも」と

勝手に返事をしてしまい、

まだしっかりサポートの準備も整っていないのに緊急退院になりそうになった。

(※主治医は退院を急かしたわけではなく、”いつでもどうぞ”というニュアンスだったに違いないのを、父が勝手に水曜日退院・・・と決めてしまった)

 

けれど、それもSさんが

「ちょっと早すぎるでしょ~いくらなんでも。

まだ自分で服薬管理できないのに家に帰したら同じことを繰り返すよ~」

 

と心配してくれて、即座に病棟の薬剤師と相談し退院前に服薬管理の練習をさせること

で話をまとめてくれ、水曜日の退院を取り消してくれた。

主治医にも話をして退院は金曜日に・・・ということに。(はあ~よかった)

 

夕方、自宅へ帰宅したあと

「今後のこと、包括支援センターの担当さんにも電話しなくちゃなあ」

と思っていると、

なんと、包括さんのほうから電話がかかってきた。

 

なんでも、わたしが病院を出たあとに、Sさんから包括さんへ電話してくれたそうで

今日話し合ったことについて、Sさんからすべて説明を受けたという。

 

(もうSさんに何から何までお世話になりっぱなしで泣けてくる)

 

今度は包括さんのほうが、動いてくれて

退院前日で「担当者会議」の場を持ち、サービスの見直し、曜日の変更などなど

調整しましょう、場合によっては介護度の区分変更についても考えましょう・・・と

こちらも、親身かつ迅速に動いてくださってもう・・・・。

いっぱいお礼を言って、よろしくお願いしますと言い、電話を切る。

 

 

そんなわけで、連休あけたと同時に

父の退院にむけて慌ただしく動き出しました。

 

 

 今日もまた、いい人達に助けられる1日。

わたしは本当に人に恵まれていると思う。