遠いのか、近いのか。

緩和ケア病棟見学の話の前に・・・・

再び、センター長との面談の話にもどります。

 

実はこの面談・・・最初のうちはものすごく違和感を感じていた。

なぜかというと、センター長の言葉の端々から、

「在宅へ在宅へ」と持って行きたがっている空気を感じたから。

 

わたしと兄弟・・・そして関わってくれたケアマネさんや訪問看護師の皆さんも

父の自宅暮らしはちょっと厳しい・・・という判断のもとに

入院させる方向で話を進めてくれて、この面談に来たにも関わらず

センター長の口から出てくる言葉は

「今の緩和ケア病棟は何か月も療養できるところではない」

「6か月、1年とずっと療養していただく・・・というわけにはいかない」

「ご本人が家で過ごしたいと言われるなら・・・」

訪問看護訪問介護を活用することで在宅も可能ですよ」

 

などなど・・・明らかに在宅に戻そうという意向を感じ取れるものばかり。

特に最後の「訪問看護訪問看護を使って」のくだりは

それを聞きながら、

(いや、それでなんとかしようと頑張ってみたんですよ。でもそれも万能ではなくて

じゃあせめてショートステイを使って・・・とも模索したんですがダメだったんです。

だから最終的に緩和ケア病棟で休養とらせてもらうに至ったんです・・・)

と心の中で叫んでいた。

 

 

緩和ケア病棟には1か月しか居られないことは承知の上。

けれど「レスパイト入院も受け入れている」と明記されているから、

わたしたち家族としては、今後「緩和ケア⇔自宅」という関係で

行ったりきたり・・・という使い方ができたらいいなと思っていたのだが

 

センター長はあくまでも「自宅主体でいいんじゃないですか」な雰囲気だった。

 

けれど、何度かやり取りしているうちに、

この方がなぜ自宅主体と考えているかの理由がわかってきた。

センター長が何度も何度もしきりに「6か月~1年も・・・」

という言葉を使うことに気が付いたのだ。

 

父は肺がんステージ4ではあるものの、

癌の進行状況自体は、一応検査上ではすぐに命をおびやかす状態ではない。

(骨転移は苦痛ではあるけれど命にかかわるものではないので)

だから、センター長にしてみたら、

「まだ余命6か月~1年もあるわけで、今から看取り目的での緩和ケア・・・は、
気が早いのでは?そんなに長くは入院できませんよ?」

 

・・・と、そういうことを言いたかったのだと、会話の途中でやっと気が付いた。

わたしは医師や看護師ではないけれど、

素人目にも、今の父親が半年以上も生きていられるようには到底思えないでいる。

悲観的になっているわけではなく、

冷静に「このやせ細った身体で年を越せるのかな」と思うからだ。

 

ところが目の前の緩和ケア医師は「6か月~1年と・・」という話をしている。

それがお互いの考えにズレを生じさせていた。

 

 

なぜ気が付いたかというと、

会話をしながらわたしが

「この2か月の間に、急に食事が摂れなくなり、
劇的にやせてしまってもうガリガリなんです。」

と話した時に、センター長の目が「え?」と変わったからだ。

わたしが急激に食べられなくなり、体重はみるみる落ちて・・・と説明すると

 

医師「あ、そういう状態だったのですか・・・。うーん・・・となるとこれは
もう少し(死期は)早いかもしれません・・・。「悪液質(あくえきしつ」というのですが、そういう状態になってくると、ガンの進行度とは関係なくどんどん衰弱が進んでしまうので、6か月~1年とはいかないかもしれません。」

 

わたし「(←もちろん悪液質についても既に知っていた)やはりそうなんですね・・・。今は手足の筋肉も全くなくなってしまいました。」

 

医師「なるほど。そうなるといずれ”せん妄”という症状も出てくるかもしれません。」

 

わたし「せん妄はもう出ています(汗)ガンが原因かはわかりませんが、前回の入院のときも、今回の入院でもすでにせん妄が・・・・。どうも環境が変わるとダメなようで退院して家に帰った時ですら数日は自分がどこにいるのかわからなくなってました。かなり波があるのでまともに話せるときもあり、いろいろですが。」

 

医師「ああ・・・・。なるほど、そうですか。せん妄も既にありますか・・・。それは・・・ちょっと思った以上に深刻かもしれません。」

 

・・・と、この会話のやりとりをしたところで、面談の風向きがガラリと変わった。

 

センター長は、父の経過の書かれた書類を見ているだけで、父本人には会っていない。

だから見た目のやせ具合や衰弱がどの程度かは、おそらく知らずに話していた。

 

胸水など重篤な症状が出ているわけでもない(骨転移しているだけ)の患者であれば

そんなに急いで緩和ケア病棟に来る必要もないのでは?と

おそらく緩和ケアの医師は最初はそのように思っていたのだろう、

けれど詳しくきくと、衰弱はかなり進んでいるようで・・・

そうなると話はちょっと違ってくるぞ?と急に口調が変化した。

まさにそんな感じだった。

 

そこからは「在宅推し」の話は出なくなった。

それよりも、緩和ケア病棟に入ったら、できるかぎり寄り添ってあげてください、

という話になり、入院を許可されるに至った。

 

緩和ケア病棟では、

入院後はだいたい3~4週間ごとに患者の状態を判定することになっており、

その判定で在宅でもOKとなれば一旦退院を促され、

危険な状態であればそのまま入院継続・・・ということになるらしい。

 

父の場合はどうだろうか・・・?

病状自体は安定していても、立てなくなっている可能性が高い。

今以上に在宅は困難になっている気がするけれど

とりあえず現時点でそこまで考えると眠れなくなるのでやめておこう。

 

そして、面談を終えて病棟内の見学も終えて呼吸器科の病棟に戻って来たとき

偶然にも父の主治医に廊下で遭遇した。

なかなか主治医に会うチャンスはないので、いい機会だと思い

無事に面談が済んだことを伝えて何度もお礼を伝えた。

 

あとから相談員Sさんから聞いた話では、主治医は緩和ケア病棟へ連絡するときに

父を「即日で緩和へいれてやってもらえないか」と掛け合ってくれたのだそう。

つまり、面談を飛ばして直接入れてやってほしい・・・と。

(面談が必要だとどうしても緩和ケア病棟への入院は数日のタイムラグが発生するため)

残念ながら「規則だから」ということで面談を飛ばすことはできなかったが。

 

父への入院の説得といい、緩和ケア病棟へのそんな交渉といい・・・

この主治医は常にクールな顔をして、患者に対して全然笑わないのに(笑)

中身はものすごく患者思いの医師なんだなあと

改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

主治医との会話でも、

「この2か月で急激に痩せてしまって」の話をしたのだが

いい機会だと思ったので、「これはやっぱりガンのせいですか?」と聞いてみた。

 

すると、主治医から帰って来た答えはわたしが思っていたものではなかった。

 

主治医「がんのせいもありますが・・・どちらかというとCOPD患者の典型的な末期の状態ですね。本当に典型的です。COPD末期の方もやっぱり食事が摂れなくなるし、呼吸にカロリーを消費するので、どんどん痩せてしまうんですよ」

 

ということだった。

COPDは父の在宅酸素の原因になっている肺の病気で

いわゆるタバコ病肺気腫間質性肺炎など)のこと。

(晩年の桂歌丸さんがまさにCOPDの末期の状態だったので、それをイメージしてもらえるとよくわかると思います)

 

 

2つの大きな病気が、いずれも悪化している状態なので、

どちらの病気がどう身体に影響を与えているか?を厳密に区別して考えることは

難しいけれど、

ここ最近の急激な衰弱は2つの重病による複合的な要素の結果で、

その上で、COPDについては間違いなく末期の状態だと繰り返した。

  

しかし、緩和ケア病棟に行くといっても、

主治医が変わるわけではないですから・・・と前置きししつつ

「今後も、緩和ケア病棟のほうで経過を見させてもらいますよ。」

と言ってもらえた。

 

  

「その日」はすぐそこまできているのだろうか?まだまだ遠い先なのだろうか?

医師たちには、うっすら見えているかもしれないけれど

 

 

 現時点では、わたしには全くわからない。