プロフェッショナル。

10月19日(金曜日)

 

まだ自分のことが何一つできない父。

朝食の介助をしなくてはいけないので、朝7:30に病室へ入ると、

そこには思いもよらぬ光景が。

 

父のベッドが、窓際に追いやられている。どういう意味のある配置換えか?と

一瞬思ったがそれよりも大変だったのは、父が横向きに寝たままで、

まさにベッドの柵を持ち上げていたことである。

酸素マスクは外れて、モニターには、酸素濃度70台という数字が。

もちろん、アラームが鳴っている。

 

「お父さん、何してるの?ダメだよ!」

と、なだめながらベッドの柵をつかんでいるその手をほどき、

柵を取り上げようとするが、柵は何かにひっかかって持ち上がらない。

よく見ると、柵は根元のところで包帯で縛って固定されていた。

 

そこへ、おそらく酸素濃度70という数値にびっくりしただろう看護師さんが

あわてて飛んできた。

事情を話し、「柵を外して持ち上げようとしていた」とわたしが説明すると

なんと、夜中にも同じことをしてベッドから降りてしまったのだと言う。

 

「申し訳ありませんがベッドから転落すると危険なのでベッドを壁に寄せて

柵を付けさせてもらいました。」

と看護師さん。

 

どうやら、前日から引き続いてまだ父は頭が混乱しているようだった。

わたしの顔を見ると、「ここは~〇〇びょういんなの?」

と、今自分がしていたことをまるで理解していない様子でゆっくりと話す。

「そうだよ。お父さんは入院してるんだよ?」と大きな声でゆっくり答えると

「へ~。知らんかったなあ」と言い、窓の外をぼんやり眺めた。

 

前夜と同様に、朝食を父に食べさせるが、

相変わらず自分でスプーンを持てる状態ではなかったため、

これは昼食も手伝わないといけないなと思った。

朝食のあとに、主治医がやってきたのでそれとなく

「まだ頭がボーっとして記憶があいまいなようなのですが・・・」と私が言うと

主治医は

「いや、鎮静剤はもう抜けていると思いますよ」

とあっさり薬の影響を否定された。

じゃあ、鎮静剤をやめて24時間も経つのに、いまだに私の名前が言えないのは

なぜなのだ・・・???

 

わたしはどうしようもなく不安で不安でたまらなかった。

父が生還して、「奇跡だ」と気持ちが舞い上がったのはほんの一瞬だった。

その後は自分にとって大変なことばかりが続き、

父が人工呼吸器で眠ったままだったときよりもやることが増えて

入院してからずっと続いていた病院通いも手伝って心身ともに疲弊しきっていた。

 

そんなところにふと目に入ったのが、

テーブルに置かれていた「地域包括支援センター」からのチラシだった。

「何か不安なことがあればどんなことでも相談してください」と書かれている。

 

目の前の父は、どう見ても以前のような一人暮らしができる状態ではなかった。

わたしはそのチラシをバッグにしまった。

その後、目を離せない父とお昼まで病室で一緒に過ごし、

昼ご飯を食べさせたあと、

その足で、病院内にある地域包括支援センターへと向かった。

 

とにかく、何もわからなかったので

「今の父が退院した場合、いったいどんな選択肢があるのか?」を聞きたかった。

 

午後1時頃だったか・・・・地域包括支援センターのドアを開け、中に入ると

その場にいた5~6人のスタッフが一斉にわたしに注目した。

さて、どうやって切り出したものか・・・と思い

「あの・・・相談がしたいのですが、予約とかが必要だったりしますか?」

と言うと、一人のスタッフがこちらへやってきた。

 

患者の家族だけれど相談がしたい・・・とわたしが告げると

「えーっと・・・病棟ごとに担当が決まっているのですが、担当は誰でしょうか?」

とそのスタッフは言った。

わたしは「病室にチラシが置いてあったので来たのですが・・・」と、

バッグからそのチラシを取り出して見せると、

ああ、確かに隅っこに名前が書かれている。

「ああ、Sですね。申し訳ありません。

Sは、午後3時までは予定が入っていまして・・・」

と、その方は言う。

スタッフが大勢いるのだから、対応してくれた人がそのまま相談に乗ってくれても

いいじゃないか・・・?と、少々釈然としなかったが

 

「それでは、その時間にまた出直します。」

と言って、いったんその場を引き上げた。

 

午後4時ごろまで院内で時間をつぶし、もう一度改めてセンターを訪ねた。

その日はそれまでになく不安に襲われていて、なんとしても相談したかった。

 

そのときもやはり担当者は不在だった。

でもすぐにその場にいた人が電話で探してくれて、父の担当だというその人は

センターに息を切らせて戻ってきた。

「何度も来ていただいてしまってごめんなさいねぇ~~!」

 

と、バタバタとせわしなく室内に入ってくると、ニコニコしながら

カウンター越しにわたしの前に着席された。

 

そして座るやいなや、開口一番

 

「お父さん、大変だったよねぇ。ホントによかったよねぇ」

 

と人懐こそうな笑顔を浮かべ、

眉をハの字にさげて心配そうな、ホっとしたような表情で言った。

その瞬間、午前中にこの場所にやってきたときに「担当が決まっているので」と

言われた意味がわかった。

 

わたしは地域包括支援センターなんていうところを訪れたのも初めてだし、

当然ほかの病院の地域包括支援センターがどんな体制になっているのかも知らない。

だから、これはもしかしたら世間の病院の常識なのかもわからないけれど

 

この、父の担当を名乗るSさんは、わたしと初対面でありながら

父がどんな病気で入院しているか、ここまでどんな経過をたどっているか、

もちろん主治医は誰か・・・・までも、すべてを把握していたのだ。

 

わたしはここに来る前に、父が入院したところから人工呼吸器をつけていたこと、

今回復途中だけど退院後が心配だ・・・ということ、

最初から最後まで順を追ってまずは現状を説明することになるとばかり思っていたが

それは全く必要のない情報だった。

 

「わたしは〇階の患者さんを担当させてもらっているので、いつも〇階を

ウロウロしてるんですよ(笑)ナースステーションの看護士さんや先生たちから

Aさんはどんな感じ?とかって、情報をもらったり。」

 

と気さくな笑顔でハキハキと答えてくださった。

 

驚いたことに、

「お父さんはゴルフが好きなのよね?あの年齢でタブレットまで使いこなしてて

すごい!って看護師さんから聞いてますよ~(笑)」

と、そんな話まで知っていた。

 

そんなわけで、前置きは全く必要なかったことで

わたしはストレートに

「退院後の生活が不安でたまらない」

「自宅介護はできない」

「その場合、退院後にどんな選択肢があるか今のうちに知っておきたい」

という、自分の不安と疑問を彼女にぶつけた。

 

もちろん、それが彼女の仕事だといえばそれまでだ。けれど、気さくな笑顔の裏に、

その仕事に対するプロ意識のようなものを感じずにいられなかった。

彼女は、わたしの一言一言に、

「うんうん、そうだよね。そうだよね。心配だよね。わかるわかる。」

と、大きくうなづき、共感してくれた。

 

「でも、B先生(主治医)は、”治ったらさっさとベッド空けて~”という

先生じゃないよ。わりとゆったり患者さんの回復を見てくれる先生だから、

退院を急かすようなことはないはず。そんなに早い退院にはならないと思うから

きっと大丈夫よ。早くても10月末じゃないかしら?」

と、そんな情報までくれた。

 

その「聞く姿勢」は本当にわたしの不安な気持ちに寄り添い、

親身になってくれているとわかるもので、

もうそれだけでわたしの訴えは止まらなくなってしまった。

誰の助けも借りることができない。兄弟はうわべは「協力する」と言ってくれても

実際には何の戦力にもならない、すべてが自分の肩にかかっている状態で

それまでの1週間、蓄積されていたずっしりと重くて黒い正体のハッキリしない

「不安」という名の重荷は、

不思議なことに彼女と話しているだけで、すう~っと瞬間的に軽くなった。

 

わたしは自宅介護をしているわけではない。

ただ、病院に毎日通って身の回りの世話をしているだけで、

世間的には全然大したことはしていない。

だから、こんなことくらいで「つらい」と思ってしまう、自分の耐性のなさに

罪悪感や情けなさを感じていたけれど、

家族には「話したってどうにもならない」とあきらめてしまってきた話を

こうやって「老人介護」の専門家に聞いてもらうことの大切さを今回初めて体感した。

 

介護を受ける親だけでなく、家族にとっても大きな支えとなってくれるということを。

 

彼女から、退院してから考えらえる選択肢、介護認定のこと、施設の種類と

費用、入るための難易度・・・あらゆることを説明してもらった。

 

我ながらずいぶんと情けないと思ったのは・・・

わたしは数年前にFP1級まで取っているので、介護保険についても

当時イヤというほど勉強し、暗記もしたのに、説明してもらわないと

わからなかったことだ。

それは、「覚えたことを忘れてしまった」という意味ではなくて、

介護保険の概要だったり自己負担額、それを超えたらどうのこうの・・・など、

介護保険の基本的なしくみや知識は覚えていたが、

それはあくまで「丸暗記」の状態で、漠然とした知識でしかなく、

自分の親のことに置き換えて、イメージしたことは1度もないため

「じゃあ父が要介護〇だったらどんなサービスをどのくらい受けられるんだろう?」

などといった、具体的なイメージが何も浮かばなかったことだ。

わたしは「ただ概要を知ってるだけ」に過ぎなかった。

 

わたしは父が非常に難しい性格で気位も高いこと、なので施設へ入れることは

難しく、また自分も介護はできないため、できる限り一人暮らしを続けさせたい旨を

伝え、担当者Sさんは、それを情報としてウンウンうなづきながら

時間をかけてわたしが理解するところまで丁寧に説明してくれた。

 

面談の結果、とにかくもう少し時間が経って、退院が見えてきてからだね!

という彼女の言葉もあり、

今回は情報をもらっただけで終わった。

それでも十分だった。

 

今回、父の入院で献身的にお世話をしてくれた看護師さんたちに感謝の気持ちで

いっぱいだったが、今回の相談員Sさんにも本当に救われる思いだった。

病院は、社会は、こうやって困っている人、弱っている人の支えになってあげたい

という気持ちをもって懸命に働く人達のおかげで支えられているんだと改めて思った。

 

相談してみて本当によかった。

さて、次の問題は

父に介護保険の申請の話をどうやってするか・・・?だった。