複雑な気持ち×2

父が麻酔系鎮痛薬を服用するようになって1週間になる。

効果のほどはどうか・・・?というと、

 

ちなみに、父が処方されているのはこういう名称の薬。

 

オキシコンチンというのは、1日2回服用する薬で、

「オキノーム」というのは、痛みがひどい時の頓服として処方されたもの。

 

麻酔系鎮痛薬ということで、その強度とかもろもろ・・・自分で知りたかったので

薬を処方されたあとに自宅でネットで調べちゃったりなんかしたのだけど

 

実はこの薬って、「成分は全く同じ」なんだそう。

 

オキシコンチンのほうが持続型タイプで、「オキノーム」速攻型タイプ

・・・言うだけの違いでその中身は同じらしい。

 

けれど、父はそのことを知らないので

 

父「オキシコンチン、って薬のほうはあんまり効かないから意味ないね。

頓服(オキノーム)な? あれは良く効いていいぞ。

30分くらいで痛みがウソのようになくなるんだ。」

 

・・・と、偉そうにオキシコンチンをdisって、オキノームを絶賛している(笑)

 

この2つの薬の成分が同じ・・・ということで、

薬剤師さんが例の「痛み日記」に

毎日服用した量と時間、痛みの変化を必ず記録してくださいね、

と言った意味も理解できた。

 

つまり、次の通院までに、だいたいこの薬を1日何グラム服用していたか?を

チェックして、そこからメインである「持続型の薬」の量を調整していくのだろう。

 

父は最初に処方された量では足らないということだ。

なので、次回はオキシコンチン(持続型)の量が増やされると思う。

毎日毎日、頓服に頼って痛みを止めなくてもいいように。

 

 

 

そして、この「痛み日記」は、わたしが父を訪ねたときにも、

「痛みの状態がどうだったか?」を知るのになかなか役立つ

・・・ということも発見した。

 

たとえば

 

私「え?昨日はオキノーム3回も追加で飲んでるじゃない?!
薬が効かないほど痛かったの?大丈夫?」

 

父「ああそれなあ。薬のおかげで痛みがなくなったものだから、
オンライン囲碁をやってたら、やりすぎで右腕が痛くなってきちゃって(笑)
それで追加で飲んだらラクになったから、調子に乗ってまた囲碁をやって・・・
そうしたらまた痛くなってきたものだからまた飲んで・・・(苦笑)」

 

という、「実は遊びすぎで痛くなったから飲んじゃいました、テヘ」

な事実を知ったりとか。

 

まあ、この鎮痛剤を使うまでの数日間は、

マウスを持てないくらいに右腕が痛んで、大好きなネット囲碁もできなかった・・・

というので、それをやりたいという意欲が戻って来たのはいいことだし

「ほどほどにね・・・」とあきれて笑っておいた。

 

ともかく、父は「痛みが楽になってうれしい」と喜んでいるので、

わたしも「よかったねえ」と笑う。

 

けれど、一方で複雑な気持ちも・・・ないといったらウソになる。

 

(よかった…って言ってるけど、

痛みをごまかしてるだけでどんどん悪くなっていってるんだよなあ。

それに骨が溶けてるってことは、骨折のリスクもあるわけで

この年齢で骨折なんてことになったら、そうなったら一気にQOL下がるぞ?

肺がんは脳転移も多いと聞くからそうなったら何が起きるんだ?

そして、今は一時的に安心できても次にどんな症状が出てくるのか?

痛み止めの量もどんどん増えていくんじゃ・・・?

いつまでこうして笑って話していられるんだろう?)

 

 

・・・と、一度考え出すと想像が膨らみすぎてしまうので

こういう現実的な思考が沸いてきたときには、あわてて打ち消している。

「目の前で起きていないことは考えるな」と自分に言い聞かせて。

 

そして、もうひとつ複雑な気持ちにさせること。

 

それは、父の骨転移確定のことを兄弟には知らせていないこと。

どうも・・・旅行前後の兄弟とのやり取り中で、

わたしから壁を作ってしまった感がある。(表面的には隠しているけど)

 

どうせ知らせたって「了解です。お疲れ様」としか言ってこない兄弟。

そういう素っ気ない返事が来たときに落胆してしまうだろう自分。

 

せっかく今、精神的に安定が保てているのに、わざわざイライラの素を

撒きに行く必要あるだろうか?

知らせようが、知らせまいが、父が入院でもしない限り、

二人が駆けつけることもないわけで、わたしの日常が変わることもないわけで・・・

だったらまあいいか。

「兄弟なんだから知らせるのが普通」という感覚にとらわれるのはやめよう。

・・・と決めた。

 

知らせるべきでは?と思われるかもしれない。

でも、わたしから言わせれば

 

「どうしてそっちから聞いてこないの?気にならないの?
どうしていつも連絡待ち
なの?当たり前のように。」

 

である。

 

本当に親のことが心配だったり、気になるなら自分から聞くのではないの?

これが他人なら「今は大変なときかもしれないから」

とあえて遠慮することもあるけれど家族なのだ。

 

考えてみればこれまで1度もない。

兄弟のほうから、「お父さんの具合はどう?」と聞いてきたことは。

何年もずっと。ただの1度も。

 

まさかそんなに深刻だとは思っていなかったとは言わせない。

だって、「お父さんのあの痛がり方は骨転移していると思う」

先月のうちに、わたしの見解をすでに兄弟には話してある。

それだけで十分に状況の深刻さは伝わっているはず。

実際、弟は「僕もそうだと思ってる」と答えているわけで・・・。

 

だから、兄も弟も父のガンが進行していることは十分わかっているのだ。

 

な の に

 

何の連絡もしてこない。

 

つまり・・・興味がないのだ。

父のことを考える必要のない日常を送っているから。

 

 

夫にはすべて話すと決めたので、

骨転移のこともオキシコンチンを飲み始めたことも全部報告している。

夫は麻酔系鎮痛薬のことについて、興味津々であれこれ聞いてきた。

思いのほか、いつもしっかりと耳を傾けてくれるので、

この頃は「今日お父さんたらね~~」とか、そんな些細なこともいちいち話す。

 

その夫に、兄弟への不満をもらしたら

 

「いや~男はしょうがないと思うよ。そんなものだって。やっぱり。

娘がやるようには、親のこと心配しないと思うよ」

 

と、兄弟の無関心に理解を示していたけど・・・

そうなのか?命がかかってても?

 

男ってそんなものなのか?

 

わたしにはよくわからない。

 

我ながらなかなかに頑なだと思うけれど・・・

心配する気持ちのない人に「お願いだから心配してあげて」なんて言っても

無意味だし、それで駆けつけてもらっても虚しいだけだから

 

気持ちは複雑だけど、

今はこのまま穏やかな気持ちでいられる方を選ぼうと思う。