温度差。

わたしは三人兄弟の、真ん中ひとり娘である。

兄は2つ上、弟は5つ下。

兄弟仲はとても良いほうだと思ってきた。それぞれバラバラな場所で暮らし、

年に数回しか会わない関係だけれども、

父のことは兄弟LINEで普段から共有してきたし、

私がそのLINEに投下する父に対する日頃の愚痴も、

「それを受け止めるのが自分達の仕事」というスタンスで

「なんでも言って」「いつでも聞くよ」と、受け止めてきてくれた。

 

しかし、いざこうして

家族にとって今までに経験したことのないような危機に陥ってみると

それまでの兄弟関係の中では感じたことのなかった、苛立ちを感じたり

些細な一言がいつまでも頭の奥に残ってわだかまりを生んだりするという

あまり喜ばしくない感情を味わうこともあることを知った。

 

兄弟は、「無理をするな」「ちゃんと休んでくれ」とは言ってくれる。

そして、「できることがあれば言ってくれ」とも言ってくれる。

けれど、「俺たちがなんとかするから、お前は休んでくれ」とは絶対に言わない。

私の代わりを務めてくれる人がいなくて、どうやって休んだらいいのか?

 

そして、最後はいつも「お前(お姉ちゃん)が倒れたら困るから」だ。

 

困る?困るのは一体誰なのだ?

父なのか?それとも、自分たちのことか?

と、言葉の揚げ足を取りたくなる衝動に駆られることも。

 

あまり深く考えずに受け止めたらいいのだろうが、心身疲れ切っているところへ

その言葉を聞くと、「どうしてわたしの仕事になっているんだ?」と、

受け流せずに、胸の奥にじわりじわりとイヤな感情が蓄積してしまう。

 

たとえば夫婦の間の家事分担については、このごろは

「夫が妻を”手伝う”という考え方自体がおかしい。やって当たり前では?」

という考え方が増えてきて、若い世代を中心に一般的になってきているのに対し

(もっとも、一定年代以上は、その自覚のない配偶者が世間に多いことも事実だが)

 

親の老後については、一番親に近いところにいる兄弟の誰かが、

いつの間にか都合よく「責任者」「担当者」のような立場に押しやられ、

それが家族間で、決定事項にされてしまう。

そして、ほかの兄弟は「自分たちは面倒を見ることができない」前提で話し

いつも「手伝う」という考え方で物を言う傾向がまだまだ強いのではないか?と思う。

 

実は、父に人工呼吸器を装着した日の翌日、10月15日には

わたしは別の総合病院で、自分の腰椎手術についての年に1度の術後検診の予約が

入っていた。 

父が生死をさまよっている状況なのだから「予約変更」するべきかと迷った。

しかし、こういうところでは意外と冷静に頭が働くもので・・・

常に予約で埋まっている忙しい主治医の診察予約を取り直すと、次はいつになるか

わからない。そして1日先の状況が全く読めない中では、変更した日に行けるとも

限らない・・・などと考えてみると、

むしろ兄弟が帰省してきているこのタイミングで数時間、父親のことを兄弟に

任せて病院を離れる・・・ということが最も現実的なのではないかと思った。

もちろん、急変があればそのときは当日キャンセルの電話を入れるというスタンスで。

 

同時に、ずっと病院に缶詰めになっている自分を少しリフレッシュさせないと体が

もたない・・・!という気持ちでもあった。

 

そのため、車で帰省してきていた(いつでも病院に来られる)弟にその旨を話し、

「・・・というわけなので、明日の朝できれば付き添いを代わってほしいんだけど」

とお願いしてみた。

弟は快くOKしてくれた。そして「何時に来ればいい?」と聞くので

わたしは自分の予約時間(9:00)、病院へ到着したい時間、その前に自宅に寄って

お風呂にも入りたい、そしてこの病院から自宅へ戻る時間・・・を、逆算していき、

「遅くとも午前6:30までには病院に来てほしい」

と告げると弟は

 

「ろ、ろくじはん・・・?!そ、そんなに早く?」

 

と、目を見開いてあからさまにため息をついたあとに、

「う、うん・・・まあいいよ。わかった。がんばるわ。」

と、”本当はめんどくさいけど”というムードを漂わせ、苦笑いしながら言った。

 

おい。

僕にできることは何でも言って」と言っていたアレはなんだったのだ?

わたしが「交代して」と言わなかったら、お日様が高くあがったころに、のこのこと

「様子はどう?」と病院に来るつもりだったのか?

父の急変と、前記事までの切迫した状況の連続により、

結果的に24時間病院に居続けることになった姉を思って、

夜の付き添い自体を「僕が残るよ」とか、

検診の予約がなくても「早朝には交代してやろう」という発想自体、持ち合わせては

いなかったんだね?・・・・などと、言いたいことが山ほどあふれそうになった。

 

険悪な雰囲気を避けたい平和主義なわたしは、それらの思いを飲み込んだ。

言葉にしてしまうと、歯止めが効かなくなりそうで。

そして翌朝、弟は眠そうな顔をして時間通りにやってきた。

「ありがとう」とわたし。

ここで「ありがとう」と言うこと自体、

まるで、普段やらない洗い物をした夫に「ありがとう」と思わず言ってしまうのと

全く同じ力関係だな、と思った。

 

一晩、眠ったかどうかも分からない体で自宅へ戻り、お風呂で束の間温まり、

その足で休む間もなく別の総合病院へ車を走らせた。

幸い、この日は予約時間を大幅に過ぎることなく、スムーズに検査と診察は終わった。

自分の予定よりも少し早かったので、帰り道にスーパーへ寄り、

父親が入院してから3日間ずっと「悪いけど自分で惣菜でも買ってきて食べて」と

ひとりきりで味気ない食事をさせてしまっている夫のために食材を買い、

自宅に戻ると手早く夕飯のおかずを作りおき、休む間もなく午前11時には

父と弟の待つ病院へ戻った。

本当に、一息つく余裕すらなかった。 

 

戻ってきた病室の中には、超低空飛行で現状を維持している父親と

その傍らで、ぐったりしている弟の姿があった。

弟はわたしの顔を見ると、うんざりした顔とホっとした顔を同時に見せた。

しかも、部屋に備え付けのテレビを見ていた。

そのテレビは1枚1000円のテレビカードがないと見られない有料テレビなんだぞ?

そのカード、誰が買ったと思ってる?

付き添いが暇つぶしのために、だらだら見ていいものじゃないぞ?

・・・と言いたくなったが、我ながらセコイと思ったので言わずにおいた。

 

弟は、いかに見守りが大変だったかをひたすらわたしに語った。

 

「いやー、こんなところに何時間もずっと座っているのはキツいわ。

お父さんの苦しそうな顔も、つらくて見ていられないし。

お姉ちゃん、よく居られるよね?」

 

一体何を言ってるんだ、こいつは?と、本気で思った。

誰が好き好んでこんなところに居たいものか。

誰だって、親のつらそうな顔なんて見たくないに決まってるじゃないか。

誰かが傍にいてあげなくちゃいけないから、いるのだ。

 

そして悲しいかな、

自分でもそれは自分の仕事だと自分自身に刷り込んできてしまったし

同時に兄弟たちも、結局

どんなときも、まず最初に動くのはわたし、一番時間を割くのもわたし・・・と

そう思ってきたのだ。

 

おそらく、この割合はこの先もずっと変えることができないと思う。

今更変えられない。

わたしは自分の中でうまく折り合いをつけて、モヤモヤとした気持ちを消化して

なんとかやっていくしかない。

 

とりあえず、今回のことで

弟はこの先も「戦力」にはならないことだけはハッキリした。

こんな文句の多いサポートは要らぬ。