長い夜。

鎮静剤が少しずつ身体に染みわたり、父の動きが静かになるのと同時に

例のヘッドギアのような形をした人工呼吸器のマスクが、改めて装着された。

 

マスクにはシュノーケルに使うゴーグルのように厚めのゴムの縁取りがされている。

そして、そのマスクを後頭部から耳を通って横のラインと、

同じく後頭部から鼻にかけてつながっだ縦のラインで、

十字にしっかり締め付けて固定することで、

鼻と口を隙間なく覆い、密着するような構造だ。

これを意識のある状態で何日も装着するように言われたら、

圧迫感で気が狂いそうになるかもしれないと思った。

 

一方、わたしは一旦、自宅へ戻ることにした。

今夜は病室に泊まることになったからだ。

「今すぐに人工呼吸器をつけないと半日持たないです」と言われたとはいえ

それは人工呼吸器を付けたら安泰という保証ではなかった。

呼吸状態が改善されず、さらに原因となっている肺炎に抗生剤が効かなければ、

いつ命を落としてもおかしくない緊迫した状態は続いていた。

そんな中、自宅で緊急の電話がかかってくるのを待つなんて緊張感は、わたしには

到底耐えられそうになかった。またその際の自宅から病院までの距離を考えても

この日は付き添うほうがいいと思った。

さらに泊まり込みのもうひとつの理由として、父の監視があった。 

 

鎮静剤の効果で、見た目は眠っている父であったが

無意識にマスクを自分で外そうとしてか、何度もマスクを持ち上げようとしていた。

 

マスクの位置がズレて隙間ができ、そこから酸素が外へ漏れる状態になると

マスクが正しく装着されていないという警告のアラームが鳴る。

 

そして、マスクがずれていることによって

十分に酸素が体内に取り込めず、酸素濃度が下限を下回ると、

今度は反対側のベッド脇に置かれた酸素濃度を監視するモニターの数値が下がり、

アラームが鳴り出す。

父は、当初私が想像していた以上に、寝返りを打ったりマスクを手で掴むので

そのたびにマスクがずれて、数分おきにどちらかのアラームが鳴っている状態だった。


もちろん、それらのアラームは看護師さんがちゃんと監視してくれることは

わかっていたが、ちょっとマスクの位置を戻せばすぐに鳴りやむアラームのために、

ましてや、ただでさえ人員が多くはない夜間に

何度も看護師さんに病室に足を運ばせるのはシンプルに申し訳ないと思った。

 

そんなわけで、いったん家に戻り、夫に「危険な状態」であることを説明したあと

再び病院まで戻ってきた。

 

夜になって、ようやく父の主治医が現れた。

過去記事でも書いた通り、入院が金曜日の夜になったために、

主治医にこのときまで会えていなかったのだ。

主治医は、この日(日曜夜)別の病棟の当直に入っていたため、父のところまで

足を運んで現状を改めて説明してくださった。

 

とはいえ、それまでの当直医から聞いていた話と内容はほとんど同じもので、

希望の持てる材料は少なかった。

「肺がすでにボロボロ」というフレーズは、この1~2年で何度聞かされたことか。

 

この時の主治医もやはり「〇〇さんはすでに肺がボロボロなので」と前置きしつつ

とにかくこれまでとは比較にならないほど肺炎が重症であることを説明した。

人工呼吸器による呼吸の改善と、抗生剤の効果が1週間以内に現れない場合は

「鎮静状態のまま(亡くなる)・・・ということもあるので、

覚悟は必要になるかと思います。」

と、言葉を選びつつもハッキリ言われた。

 

延命治療はしないと決めている以上、

父をよみがえらせるための”次の一手”はもう何もない。

この治療が効果がなければ、あとは弱っていく父を見守るしかなくなる・・・。

 

先生の説明を兄弟3人で聞いた後、兄と弟は実家で一晩過ごすために帰宅した。

 

わたしと父。二人きりになった。

 

わたしは鎮静状態にある父のベッドの横に座り

父をただただ見つめた。

 

父は「うーーーー」とか「あーーー」とか

うめき声とも、ため息ともわからないような声をあげながら、時折眉間にしわを寄せ、

苦しそうに顔をゆがめて眠っていた。

その表情が胸に突き刺さった。

またしても「父をだまして眠らせてしまった」という罪悪感がこみ上げた。

 

そして、どういうわけかその手はよく動いた。

薄暗く明かりを落としたベッドの上で

父の細い両手は宙を舞い、何かを追いかけるようにふわりふわりと動き続けた。

かと思えば時折マスクをつかんで外そうとするので、

そんなときには、わたしは優しくそれを制した。

 

父の手も、頬も、高熱で熱く火照っていた。

わたしはそっと、自分の冷え切った手で父の手を握ってみた。

 

父親の手を握るなんて、何年ぶりのことだろう?

いや、子供のころ手をつないで歩いた時以来かもしれない。

 こんな年では・・・目と目を合わせていたら、照れくさくて絶対やらないことだ。

 

そうやってひんやりしたものが自分に触れると、ちゃんと父にはわかるようで、

ふっと目を見開いてこちらをジっと見つめ、わたしを驚かせた。

 

本当はそのときに、父に話しかけてあげるべきだとわかっていた。

しかし、わたしはどうしても言葉をかけることができなかった。

それは、怖かったからだ。

「いたい」「つらい」「苦しい」と言われたらどうしよう?と怖かった。

わたしのことが分からなかったとしても怖かった。

何より、12時間前まで、頑張って朝食を食べようとしていた父が、

こんなふうに焦点の定まらない目でまどろむ姿になっている現実が怖かった。

  

見回りに来た看護師さんは、私を気遣って

「娘さんが倒れてしまってはダメですから。どうか眠ってくださいね」

と優しく声をかけてくれた。

 

が、どうやっても眠れそうになかった。

 

絶え間なく動き続ける、人工呼吸器の音。

苦しそうな父の表情と思わず漏れてくる声。

赤く光るアラームと、鳴り続けるエラー音。

 

どれもこれも、わたしの不安を駆り立て、寝かせまいとしていた。

看護師さんが用意してくれた簡易ベッドに一旦は横になったが、

たびたび鳴るアラームに、父の容態が悪化したのでは?と、飛び起きることになるため

 

結局、わたしは簡易ベッドで眠ることをあきらめ、

椅子に座ったまま、壁にもたれてウトウトと眠るだけで夜を明かした。

 

長い1日だった。

 

長い長い夜だった。