混沌とした時間。

人工呼吸器2日目。

10月15日(月)のお昼、

弟はわたしが病室へ戻ってくるのを待って、再び自分の生活圏へと戻っていった。

  

兄のほうは東京の大企業で働いている。

そして年齢的にも、今は多くの部下を抱えて仕事をしている立場らしい。

土曜の夜にやってきた時点で

 

「とりあえず駆け付けたが、週末で仕事の調整が何もできていない状態なので、

一旦、月曜朝いちばんには会社に戻って各方面へ連絡して体制整えてこないとまずい。

状況が悪ければまたとんぼ返りするから。」

 

と最初から言っていた。大きな組織の中で、責任のある立場として働いていれば

電話一本で「休みます」というわけにはいかないだろうということ、

ましてや親の葬儀となったら1~2日で戻れる話ではなくなる・・・ということを

見越しての言葉だったろう。兄の事情もよく理解できた。

一方で弟は、

「僕は水曜日まで休みを取ったから、何でも言って」と昨日は言っていたはずだった。

しかし、今日になって「悪いけど、帰りたいんだよね。」と言い出した。

  

おそらくは・・・弟は「お父さんの顔を見るために」やって来た、あるいは

もう亡くなるという前提であらかじめ多めに休みを取って来たけれど

父はかろうじて低め安定を保っているし、どうやらこのまま待機していると、

わたしに付き添い要員としてあてにされると思ったのが本音だろう。

別にもういいよ。ため息つきながら付き添いする姿を見せられるのもゴメンだ。

  

そんなわけで、月曜日の朝一番で兄は東京へ戻り、弟も昼には病院を後にした。

そしてわたしはその日も病室でずっと父と過ごすこととなった。

 

父は・・・というと、

人工呼吸器をつけた最初の12時間くらいは、寝返りやうわごとを繰り返し

(マスク越しで、呂律も回っていないので何を言ってるかは聞き取れないが)

両手をフワフワと手踊りのように動かしていたかと思えば、

ときどきベッドの柵を両手でつかんで寝返りを打つような、結構力強い動きもした。

もちろん、すべて眠った状態である。

 

そして、眉間にしわを寄せ、苦痛に顔をゆがめる姿も多く、それを見るのはとても

つらいことだった。

主治医によると、苦痛に顔をゆがめるのは、人工呼吸器がつらいというよりは、

おそらく喉の奥に痰が絡み、それを自分で吐き出したり飲み込んだりといった

処理ができないために苦しそうな顔をするのだということだった。

(もちろん、看護師さんが定期的に痰を吸引してくれていた)

 

夜中ずっと、父は呻いたり動きが激しく落ち着かない様子だったのが

1日経つと、あまり動かなくなって眠っている時間が増えてきた。

もしかしたらこれは、症状がよくなってきたということではないのか?と

好意的に考えたり、一方で

苦痛に抵抗するだけの体力がなくなり、単に弱ってきているだけなのでは?という

悪い想像が膨らんだりした。

 

 

人工呼吸器によって、さしあたっての呼吸は確保されていた。

しかし、熱は下がらない。

この日の午後、主治医が病室を訪れたが「呼吸状態は安定していますね。」

と言い、部屋に備え付けられた数々のモニターの画面を一通り見ただけで

それ以上は良くなっているとも悪くなっているとも言ってはくれなかった。

 

決してイヤな先生だとか、冷たい先生ということではないが、

父の主治医は推定30代前半くらいの若い男性医師で、

聞いたことには率直に答えてくれるものの、少なくとも患者に笑顔を見せる医師では

なかった。それは普段の定期検診のときからそうだった。

笑顔がない雰囲気によって、簡単には話しかけづらい相手であったことに加えて

父の状態について問いかけた結果、悪い見通しを聞かされたら怖くなりそうだったので

わたしは自分からは聞くことができなかった。

普段、悪い話もストレートに話すはずの主治医が、ハッキリと言ってくれない。

たぶん、これがそのまま現在の状況なのだろうと解釈した。

つまり、呼吸は確保されているが、まだ命を落とす瀬戸際のところで、かろうじて

命が保たれている状態であり、

抗生剤が肺炎に対して効果を発揮してくれるのを待つ以外できることはなく、

その効果はまだ出ていない・・・・と。

  

人工呼吸器2日目のこの日もまた、引き続き病室に泊まるか迷っていたところ、

看護師さんから

「今のところ呼吸状態は安定していますから、お帰りになって大丈夫だと思います。

何かあれば携帯に連絡させてもらいますから。どうぞ休んでください。」

と言われたため、この日以降は病室には泊まらないことにした。

 

その代わり、この日から朝8時には病室へやってきて、

夜6時まで、ほぼ1日中、病室で過ごすことにした。

マスクがずれてアラームが鳴ったりしたときには、看護師さんが飛んでくる前に

自分で調整するなどした。

合理的に考えたら、完全看護なのだから全ては看護師さんたちに任せていればよくて、

必ずしもわたしがそうやって1日中病室で過ごす必要なないということは

ちゃんと自分でわかっていた。

しかし、これはもう気持ちの問題だった。

 

実は昨夜、人工呼吸器を装着した父を見守りながら、わたしたち兄弟3人とも

同じことを思っていた。それは

 

「”本人を苦しめたくないから、延命治療(挿管による人工呼吸器)はしません”、と

お医者さんに言い、でもいつでも取り外せるマスク型があると聞かされたから

だったらすぐにそれをつけてくださいと頼んだけれど、

鎮静剤で意識を無くして、機械によって無理矢理呼吸をさせられている今のこの状態は

結局、延命治療ではないの?」

 

ということだった。

あの「このままだと半日持ちません」と言われた状況では、その場にいた

兄弟全員が当然に「すぐにでも人工呼吸器をつけて!」という気持ちだった。

緊迫した状況で、他の選択肢はありえなかった。

しかし、数時間が経って状況が落ち着いてくると

「これもまた延命治療ではないのか?」という複雑な思いに駆られはじめていたのだ。

 

なぜなら、「挿管タイプと違って、いつでも外せる人工呼吸器だ」と言われたところで

外したら息絶えるとわかっている状況では、外してくれと言えるわけもないからだ。

 

人工的に呼吸をさせられているだけの父親を病室にたった一人残して、

すべてを看護師さんたちにお任せし、

自分は自宅でいつも通りの生活を送りながら、待機する・・・だなんてことは

心情的にわたしにはどうしてもできなかった。

そもそも、家に帰ったって何も手につかなかった。

いつ病院から電話がかかってくるかと不安でたまらなかったこともある。

 

だからこそ、 父の意思もわからないままに人工呼吸器を装着してしまった責任として

わたしはできる限り傍にいて、この先父親に起こることをすべてちゃんとこの目に

焼き付けようと思っていた。

父がこのまま息を引き取ってしまったとしたら、

そのとき、すべてを病院に任せきりにしていたとしたら、

最期の数日間にほとんど傍にいてやらなかったということを、

わたしはこの先の自分の残りの人生で、間違いなく一生後悔していくと思ったからだ。

 

また、もうひとつ現実的な問題として、

主治医がいつ病室を覗くかわからない・・・ということもあった。

過去、父が意識のある状態で入院していたときは

わたしがその場に居合わせなくても、主治医が父と直接話をしてくれたので

わたしは父から「主治医はこう言ってたよ」ということを聞くことができたが

今回の場合、父本人は眠らされている。

主治医は多忙なので、朝昼夕・・・いつ病室に顔を出すか全く読めない。

こちらが病室に常に待機していることが主治医に会える一番確実な方法だった。

 

これらの理由により、わたしはこの日から朝8時には病室に待機することにした。

 

今までになく、持久力が必要となる入院生活のはじまりだった。