退院しました。

今日、父が退院した。

 

7月28日~まる1か月以上の入院だった。

肺炎の点滴治療が終わったあとも3週間という長い期間、酸素吸入と服薬のみにも

関わらず入院を継続させてくれた主治医の寛大さには感謝の気持ちでいっぱい。

 

 

 退院時はもちろん車椅子を使った。病室から病院玄関まで。

父が歩いたのは、自宅の駐車場から寝室までの、

自宅の駐車場から寝室までの5~6mくらいの距離だけ。

しかし、玄関までの3段ほどの階段を必死で昇り、

昨日届いた介護ベッドに腰掛けた瞬間は、

まさに「たどり着いた」という表現がぴったりなくらいに息絶え絶えの状態でだった。

このときのSpO2は80%という低酸素状態。

 

以前、相談員Sさんが

「トイレに行ったものの、息が切れて帰ってこられなくなる可能性もある」

と不安を口にしたけれど、まさにその状態。

「トイレは自分で行ける」ではない。

「トイレが限界」という状態での退院になった。

 

 

実は退院前日の昨日、

レンタルする予定の歩行器を父に実際に試してもらうことになり

業者さんが3台も抱えて病室まで持ってきてくれた。

(その3台はわたしが選んだもの)

病室の中で、父に歩行器を押して歩いてもらい、

本人が一番しっくりくるものを選ぶ予定だった。

ところが、父は3台ある歩行器のうち、たった1台しか試すことができなかった。

理由は、歩行器を使ってベッドから病室のドアまで、

歩数にして20歩程度、往復するだけで息切れがひどくなり、

立っていられなくなってしまったからだ。

「息が苦しい。座りたい」と言うので、慌てて支えてベッドに戻すことに。

 

SpO2を測ってみると、このときも80%まで落ちてしまっていた。

5分も安静すると、90台までSpO2の数値は回復したが、

父が「もう動きたくない」と言うし、無理はさせられないので

2台目以降の歩行器のお試しができなくなったというわけ。

 この歩行器お試しの時と、退院時の短時間での急激なSpO2の下がり方。

 

これだけでも、退院後の生活への不安を増幅させるものだったけれど

何よりわたしを驚かせたのは父の背中だった。

 

退院前、借りていた病衣から自分のパジャマに着替えたわけだが

その背中・・・・

いつも父が痛い痛いと激痛を訴える、右の肩甲骨の下部分。

そこには、ちょうどわたしの手と同じくらいの大きさの

大きな赤いアザのようなものが皮膚の下から浮き上がっていた。 

その中心部は青あざのように紫色に充血している。

 

場所的には間違いなくガンの痛みを訴えている位置だ。

これはガンが背中まで浸潤して浮き上がったものなのか?

それとも皮下出血でもしているのか???

・・・と、そんなことを考えるほどにグロテスクなものだった。

(ただ帰宅してそういう画像検索しても同じような症状の画像が探せなかったので、
あれが本当にガンが浮き出たものなのか?は謎のまま)

 

主治医はこれを知っているのだろうか?

診察といっても血液検査と画像だけで、

おそらく父の身体なんて見ていないだろうから知らないと思う。

けれど、看護師は体を拭いてくれるから当然知っているはず。

それは主治医に伝わっているのだろうか・・・?

 

まあ、それを主治医に「これはガンからきている何かですか?」と聞いたところで

きっと「どうすることもできないので」と、

いつものように表情一つ変えずに言われるだけだろうな・・・と思い

退院に際して主治医が病室に来てくれた時にも、そのことは聞かなかった。

・・・どのみち、背中がそんな恐ろしい状態になっているだなんて、

父には聞かせられない事実だったし。

  

ところで・・・

実は、今回の退院に際しては兄に付き添ってもらった。

 

 

トイレ以外はほぼ寝たきり状態といってもいい父。

退院直後にひとりきりにすることはあまりに不安が多すぎた。

「本当にトイレはひとりで行けるのか?」

「薬は自分で時間を見計らって飲めるのか?」

「食事はどのくらい食べられるのか?」

などなど。一人暮らしができるのか?の見極めが必要なことがたくさんあった。

 

 

本当は、わたしには「ここまできたら最期まで自分ひとりで対処するんだ」という

兄弟に対する意地のような気持ちがあった。

けれど現実には

わたしはこの2か月ほぼ毎日父に接して父のことで奔走し続けてきたことで

情けないけれどストレスで心身疲れ切っていた。

この余裕のない状態で自分が退院後の父の家に泊まり込む

・・・ということまで、どうしてもできそうになかった。

 

なので、ここは父を安心させるためにも意地を捨てなければ・・・と、

素直に兄にSOSを出したというわけ。

昨夜のうちに実家にきてもらい、今日は朝から一緒に病院へ行き退院に付き添い、

週明け・・・訪問看護と訪問ヘルパーさんのサポートが始まるまでの間、

ずっと実家に泊って父の身の回りの世話をしてもらえることになっている。

  

わたしが「来てくれないか」と頼んだ時、

兄は快く応じてくれた。

春に早期退職してすでに無職の身、ついでに独身。

いくらでも時間の融通は利く人だ。

 

 

まあ正直なところ、兄がこれほど「気づかない人」だとは思わなかった。

なんというか、根本的にわたしとはズレているというか・・・。

「そのくらいなぜわからない?」と言いたい場面もたくさんあったけれど

今回は兄に助けられているのは確かなので、

小姑のような口うるさいことは言うまいと我慢している(笑)

 

退院時に兄にも付き添ってもらったことは大正解だった。

入院荷物を抱えて、酸素ボンベも背負って、

父を車椅子で運んで・・・はひとりでは絶対に無理だった。

今日は、父を運ぶことは兄が受け持ってくれたし、

車の乗降りや、車から家まで連れて行くのも

兄が肩を貸して歩いてくれたので、

無事にわたしは腰を痛めることもなく1日を乗り切れた。

 

 

父をやっとこさ病院から連れ帰り、ベッドに寝かせて、ほっと一息ついたところで

「お兄ちゃんにきてもらってよかったわ~」

と何気なくわたしが言うと、兄が

 

「よかった。やっと具体的に役に立つことができた。」

 

とポロっと言った兄。

兄も「自分もちゃんと助けたい」と思っていたのかも。

まあ、悪人ではないのできっとそうだったのだろう。

 

けれど、今回の泊まり込みには感謝しているものの、

基本的には

「わたしがケアマネさん達と入念に相談して決めていくことに

外から何もわかっていないのに、ごちゃごちゃああすればいいのに、

こうすればいいのに、って言わないで。

こちらがお願いしたことだけやってくれたらいいです。」

・・・という気持ちだ。それはわがままなことかな・・・?(汗)

 

 ともかく・・・この週末だけは、

父のことを兄に全面的に丸投げして、久しぶりに・・・

本当に久しぶりに自分だけのために頭と時間を使える日をもらうことができた。

 

父の今後について考えなければいけないことはたくさんあるけれど

まずはその前に、つかの間一呼吸ついて、ゆっくりしたいと思う。