人工呼吸器を使うことになった(その2)

自分の状況がわかっていない父に、まともな説得は通用しない。

兄弟が到着したら、ごはんを食べに行こうという父。

 

私「うん、ごめんね。ここで看護師さんが来るのを待っていないとダメなの。」

父「ここで?」

私「そう。ここで。もうすぐ看護師さんが来るからね。」

父「車で待っていたらダメかな?」

私「ここで待ってて、って言われてるんだよ。ごめんね。」

父「そうか。わかった。」

 

状況が理解できていないわりには、わたしの言葉に素直に従う父は、

まるで子供のようだった。

しかし、同時進行でなんとか人工呼吸器のマスクをつけようとする看護師さん達

(3人)には非常に攻撃的な態度で罵倒し続けた。

「こんな非科学的なものをつけられるか!」

「俺を実験台にする気か!?」

「お前のような素人が偉そうに何を言うか。」

「オレは工学部だからな。こういうものは要らないんだ」

などという具合に。

 

後から先生に聞いてわかったことだが、この支離滅裂な会話の理由は

低酸素が原因らしい。このとき、酸素マスクを外したり興奮状態にあったりで、

酸素濃度の数値は70台にまで落ちていたので、酸素が脳まで行きわたらず、

認知症のような症状が出ていたという。

酸素マスクをつけない状態が続くことは、命に関わるということで、

医師がなだめながら、

「それじゃあ◯◯さん、こっちのマスクならつけてくれますか?」

と、それまでつけていたリザーバーマスクを見せると、

それならつけてやってもいいと、受け入れてくれた。


マスクなしよりはマシ…ということで、ひとまず元のリザーバーマスクをつけた。

その間に、医師が私に鎮静剤を使用してもよいか?と聞いてこられた。

すでにリザーバーマスクで対応できる状態ではないため、

すぐにでもこの人工呼吸器を使用しなければ半日持たないでしょう、と

当直の内科医師は言った。

鎮静剤を使うことによって、マスクを外そうとする可能性は低くなるという。

そして鎮静剤は麻酔とは違って完全に昏睡させるわけではないため、

呼びかければその都度、目を覚ましてこちらに反応もするし、人によって効き目に

差があるため、鎮静下にあっても無意識にマスクを外そうとする人や中には

ベッドから降りようとする人もいる・・・ということだった。

「使ってください。」

と、私は迷わず答えたが、

医師の返事は「ではご兄弟が到着されてご兄弟にも確認が取れた時点で使います。」

というものだった。

私としては、もうすぐにでもやってくれ!という気持ちだったが、医師側としては

家族の総意にこだわるのはトラブルを避けるために仕方の無いことなんだろうなと

察し(”そんな同意はしていない!”と家族の意見が割れないように)我慢した。

 

それから10分ほどして、ようやく兄弟が到着した。

「お父さん、お兄ちゃんたちが来たよ」

と、わたしが父に伝えると、

「へーー。どうして?」

とキョトンとした顔で答えた。

やはりわかっていない。二人が来たことを全く驚かない。

 

父は苦しそうな呼吸状態にありながら、ウトウトとして意識がもうろうとしていた。

そして時折思い出したように目を覚ましては

「もう帰ろう」「どこに行こうか?」などと

と何度も言うのだった。 それは家に帰りたくて帰りたくてたまらない潜在意識の

せいなんだろうか?と、悲しかった。

 

印象的だったのは

父「とりの照り焼きは作る?」と父が突然わたしに問いかけた時のこと。

 

私「ときどき作るよ。」

父「そうか。もうできた?(笑顔)もう食べれる?」

私「ごめんね、まだ作ってないんだ。まだ買い物行ってないから材料がないの。」

父「そうか。じゃあできたら呼んでおくれ。」

私「うん。わかった、もう少し待っててね」

父「うん。」

 

と、こんな会話をしたときのこと。

そのやりとりを聞いていた弟が、「おねえちゃん、すごいねぇ。」と言ったことだ。

兄と弟は、認知症のような状態になった父を目の当たりにして

どう対応していいかも、どう言葉をかけていいかもわからず、

ただその場で父のベッドを囲んで座っているだけだった。

弟は父がどこから投げてくるかわからない脈絡のない会話に、

臨機応変に返事を返すわたしの女優ぶりに感心したらしい。

 

一方で、わたしのほうも兄弟二人と自分との温度差を感じていた。

 

鎮静剤の準備を待っている間に、

父が「おれんじじゅーすがのみたい」とわたしに言ったときのことだった。

わたしが「オレンジジュースはちょっとここにないから、待ってて。今買ってくるね」

と父に言うと、兄が横から

「そこのお茶をあげておけばいいんじゃないの?どうせわかんないんだから。」

と言い、それを聞いて弟も「うん、いいんじゃない?」と同意したことだ。

 

わたしは一瞬、二人に対して怒りがこみあげた。

「お父さんは入院してからほとんど食事が摂れてないんだよ。

だからわたしは欲しいというものを口に入れてあげたいの。」

と、兄弟に言うと

たぶん一口しか飲まないであろうことがわかっているオレンジジュースを買いに

わたしは売店に走った。

だって、もしかしたら鎮静下での治療がうまくいかず、

そのまま目を覚ますことがない可能性もあるのだから・・・。

 

こういうところが、近くで親を看ているものと、そうでない兄弟の違いだと思った。

この20年間、誰よりも父の近くにいたのだから。

何度も入院を経験しているけれど、私は毎回その最初から最後までを見届けている。

今回だって、最初がどんな状態だったか、それがどんなふうにこうなったのか

全部見届けている。「お茶でいいじゃん」なんて考えは到底浮かばない。

イヤな思いもたくさんさせられてきたけれど、同じくらい気持ちこもるものなのだ。

何でもかんでも合理的に割り切れたりしない。そんなに簡単なことじゃない。

 

父はやはり、オレンジジュースは一口しか飲まなかった。

それでも

「ああ、冷たくておいしい」と、笑ってくれたから、買ってきてよかったと思えた。

 

そしてしばらくすると、兄弟もそろって同意が得られたことで、

いよいよ鎮静剤を使っての人工呼吸器の装着準備が整った。

しかし、父にも意識のある状態なので、医師は本人の確認も必要ということで

現状を何も理解できていない父に

「〇〇さん、これから鎮静剤を使って、このマスクをもう一度使ってもいいですか?」

と問いかけていた。

さすがに・・・”鎮静剤”なんて言葉は今の父にはわかるはずがない。

「はあ?なんですか?それは?」と言っている。

先生との会話もかみ合っていないので、わたしが横からフォローした。

 

「お父さんね、ゆうべから全然眠れていないよね。だからね、

ぐっすり眠れるお薬をこれから点滴でいれてもらってちょっと眠ろうね。

そうしたら、寝ている間に息苦しいのもなくなるんだって。

やってもらおうか?呼吸が楽になってよく眠れるよ。」

 

わたしの言葉で安心したのか、

認知症状態の父は無邪気な笑顔で「うん。そうしようか。」と言った。

 

点滴によって、いよいよ鎮静剤の投与が始まった。

 

わたしは父をだましたのではないだろうか?

鎮静剤で無理やり眠らせて人工呼吸器をつけるんだ・・・って、ちゃんと本人に

理解させないままで・・・・・。

わたしは間違ってる?

いや、間違ってはいない。間違ってはいないはず。

このまま、何もしないなんてことはできない。

 

父はこれで呼吸が楽になるんだ。これでいいはず。

 

徐々に眠りの世界に落ちていく父を見守りながら、ぐるぐると葛藤し続けた。