自立の意味。

今朝、SNSを眺めていてハッとさせられる投稿を目にした。

 

それは子供の自立について。

 

「子どもの自立っていうのは、親がしてほしいと思うことをやってくれる子ではなくて

自分がやりたいことを自分で見つけてどんどんやっていける子のこと」

 

という言葉。

 

なるほどーーーーー、確かにそうかもしれない!となった。

 

このごろ特に思うのだ。

わたしの子育ては楽だったなあ・・・と。

「そりゃひとりだからラクにきまってる」と

二人以上の子育てをしている人からはきっと言われるに違いない。

(一人っ子親って、「うちは一人だからできたのよ」と、自分で頑張ったつもりでいることも、人に話すときには謙虚でいなければならない風潮がある)

 

そういう労力的な話じゃなくて、

 

親が先走りして道筋を探してやる必要があまりというかほとんどなかったと思うこと。

自分でやりたいことを見つけてレールを敷いていく子だったなと思うから。

 

唯一わたしが探してやった道筋は「高専進学」という道筋だけ。

あれはきっと、わたしが教えてやらなければ息子が知ることはなかったと思う。

親の直感として、彼は普通高校よりもこちらのほうが向いていると

信じることができたから提示できた進学ルートだったけれど

 

そこへ進むということは、途中で「やっぱり文系」というルート変更はできないので

何度も「高専へ進むデメリット」も説明した。

それでも、即座にとびついた息子の気持ちは一切揺るがなかったので、

もうこれはここしかないと思った。

 

実のところ、わたしの子育てはそこで終了していたのかもしれない・・・と

今振り返って思う。

高専に入ってからの息子は、どんどん自分で世界を広げていった。

わたしの心配事といら立ちは

「朝起きない」と「夜帰って来ない」の二点だけだった。これは本当にそう。

特に入学した年、15歳で夜中の0時まで帰って来ないのはヤバかった。

高専は5年制なため、最年長20歳なので、20歳の先輩らの車の乗って遊びに行ったりしていてそれはそれはヒヤヒヤした。でも頭ごなしに叱れないし・・・という葛藤でモンモンとした日は多い)

 

部活がとにかく楽しすぎて、家には寝に帰ってくるだけ・・・・な毎日だったし

夏休みや春休みなどの長期休暇もほぼ部活の合宿所で共同生活をしていたので

家にいなかった。

 

大学受験に関しては、高専から大学編入・・・というのは

受験システムがこれも特殊で・・・・わたしはさっぱりわからなかったので

なんとか親として理解せねばと思ったものの、難しくて早々にあきらめた笑。

「通っている息子本人のほうが、わたしよりも情報を持っているに違いない」と

思ったし、実際先輩や友達と情報交換してやっていたみたいなので

わたしは必要なかったんだと思う。

 

高専での5年間はものすごく息子を自立させて成長させたと思う。

そういう意味で、高専に行かせたことは大成功だったと思っている。

本当に勝手に自分の世界を広げて行ってくれた。

わたしは学費を出してお弁当を作っていただけだ。

 

だから大学進学するときの志望大学も自分で勝手に決めていたし

わたしは受験料をお願いされるまでどこを受験するか?すら知らされていなかった。

 

その志望大学の中に、県内の最寄大学が入っていないことを知ったときに

不思議に思って1度だけ、

「どうして〇〇大学は受けないの?あそこも工学部あるんでしょ?」と

と聞いたところ

 

「工学部は確かにあるんだけど、
あそこは僕のやりたいことができる学科がないんだよね」

 

と言った。

その言葉を聞いたときに、なんだかものすごーく安堵したのを覚えている。

そっかー。ひとくちに「工学部」っていっても

学べることは大学によって違うのか~~・・・と。(←何も知らない素人)

そしてそこまで調べつくして大学決めてるなら、

わたしが言うことなんて何にもないわ・・・と。

 

生活面は本当にだらしなくて、

朝は自分で起きられないし、食べたもの・脱いだものはそのままだし、

高校時代はそういうことでいつもガミガミ怒ってばかりいたけれど

「自立」ってそういうことじゃないんだって。

それは「苦手」なだけなんだって。

本当の自立は自分でやりたいことを見つけてやっていけること・・・だ

・・・・というのを、今朝のSNSの投稿で見て

今更腑に落ちた感じ。

 

それを自立というなら、うちは確かにそうだったな。

だから、あまり息子を育てる上で「大変だった」と思わなかったんだな~って。

 

育て方を何か工夫したわけでもなんでもないし

たぶん、たまたまそういう気質の子だったのだと思う。

だから、とてもラッキーな子育てだったのだろう。

 

いずれにしても、ありがたいことだ。