愛される老親になるための条件。

自分がブログを始めたのは息子が高校生のときなので、

かれこれ10年以上このブログを続けていることになる。

はてなブログに移ってきてからの年数は浅いけど)

 

自分がブログを書くのと同時に、同世代と思われる人たちのブログをFeed登録して

顔も知らない人たちの、悲喜こもごもな生活のワンシーンを

覗かせてもらってきたけれど

その人たちも軒並みアラフィフ前後となり、

親御さんの面倒をみるとか以前のわたしのように通い介護をするとか

そんな年代になってきた様子。

そしてツイッターで相互フォロー関係にある人達にも、

今親御さんの介護をがんばっている方が数人いて、

いつも心の中でエールを送っている。

けれど最近、ふたりのブロガーさんと、

ひとりのTwitterフォロワーさんのフォローを外した。

 

なんだか悲しくなってくるのだ。

自分の親を思い出して悲しくなるとかじゃなく、

あまりに親御さんに対する感情が冷たくて、いたたまれなくなるせい。

 

そして最近しみじみ考える。

大半の親たちは、わが子を無条件に愛しているし、

また子供を愛さない親は非難されがちなのに対して、

子供が親を愛さないことはあまり責められることはない。

なんなら、それにはよほどの理由があるのだろう、

その親が愛されるに値しないだけのことをあなたにしてきた報いなのだから

あなたは何も悪くないよと周囲から擁護してもらえる。

 

たとえば「いじめ」。

「いじめられる側にも問題がある・理由がある」という一部の主張を

世間は断固として許さない。

そんなわけあるわけなかろう、いじめるやつが一方的に悪いに決まってる、と。

けれど、そういうことを声高らかに叫ぶ一方で、

子が親に冷たくしても、「それは親に問題があるのだから無理もない」となる不思議。

 

もちろん、肉体的虐待・精神的虐待を受けてきたであろうことを思えば

親を拒絶するのは当然の反応なので、もちろん責められない。

「子は親を選べない」ともいうし。

 

けれど実際の世間の親子関係って、

そこまで重大な問題が潜んでいるケースのほうが少ないわけで・・・。

結局、今の時代の親は子供を精いっぱい育て上げても、

自分が老いたときにには、子から大事にしてもらうためには

「条件」が必要なんだなと思うと切なくなる。

 

現実的に「愛される老親になるための条件」ってなんだろう?

 

・子に対してお金を惜しまない。なんなら役に立つこと。

・自分のことは自分でやって子を決して頼らない。

・子に愚痴を言ってはいけない

・病気にならない・入院しない・認知症にならない。

・親は親で楽しくやってるよ~という「老親リア充」にならないといけない。

 

そんなところか。

わが子が子供~成人するまでに、親がどれほど手をかけ愛情をかけたか・・・は

実はあまり関係がないのかもしれないなあと思う。

結局のところ、親がシニアになったときにどれだけ「自立」しているか?なのかも。

つまり、子の人生を邪魔しないこと、もしかしたら求められるのはそこだけ・・・?

 

なんだか切ないな。

わたし自身はそんなこと考えたこともなくて、ただひたすらに母が大好きで

(まあ母は若く亡くなってしまったけど)

父の場合は、とてもとても難しく問題の多い人だったけど

自分が胸を張って生きて行けるだけのことはしようと、

その背中を息子に見せよう、と頑張ったつもりなので

そんなふうに、親は無条件に愛してもらえる存在ではなくなりつつあることに

寂しさを覚えてしまう・・・・

とはいえ、共働き・核家族がマジョリティになっている現代社会では、

みんな忙しくて心のゆとりもなくなるし、しょうがない時代の流れなのかな。

 

自分は子供に迷惑をかける親には絶対ならない・・・・って

 

わたしもそんなことを思っていた時期があったよ。

でも、父の通い介護で「それは空想」って思い知ったから。

 

誰かの手を一切借りずに老後を暮らすのは不可能だから・・・

 

でもさ、わたしたちもみんな年を取るんだよー。

歯槽膿漏用の歯磨きとか使うようになるのだ。

その次はインプラントとか、入れ歯だよ。

そのうち、入れ歯の出し入れも子供にやってもらうようになるし、

子供に歯を磨いてもらうようになるんだよ。(何の話だ?)

 

 

みんな老親になるのだ。