今年もお墓参りに。

毎年恒例の兄弟3人によるお墓参り。

今年は珍しくお盆に台風上陸ということで、直前に延期して「お彼岸にしよう」

ということになっていた。

正確にはお彼岸にはちょっとだけ早かったけれど、

弟の仕事の休みに合わせているので仕方がない。

 

そして例年通りに今年も私がひとりで往復200kmの距離を運転。

愚痴っても仕方がないけれど、

「ひとりで運転するの大変だろうに。」の言葉が1度くらいあってもよかろうに・・・

と思わなくもない。

気が利かないというよりは、その疲労がわかっていないのだと思う。

 

兄はそれでも、彼なりにめちゃくちゃ気を遣ってくれる人なので

で、兄なりの気遣いで、今年は高速道路の

「時短ルート」を調べてきてくれていた。

が、大変申し訳ないけれど

知らない道を走る方がどっと疲れたりするもの。

だから内心

《えーーーー・・・・めんどくさいからいつもの道でいいんだけど》

と思ったのだけど笑、そういうことも言えないので、

「じゃあナビして」と兄おススメのルートで行くことに。

 

しかし、兄がスマホのナビ機能でチェックしながら

「次の〇〇で左に」「そろそろ右車線に」

と細かく教えてくれるのだけど、

もうそれに従っているのが死ぬほどしんどくて・・・・笑

 

わたし、高速は走り慣れているので、高速道路を運転すること自体には

何の抵抗もないけれど、

 

たとえトータルで多少時短になっても、

分岐→分岐→分岐で細かくつないで(車線変更しながら)走るより、

走り慣れたスタンダードな1本道を行く方が楽。。。。って思う派なのだ。

しかも、自分の知らないルートを、3車線くらいある道を、

兄の口頭アシストだけで走る不安さ。

「え?こっち?ほんとにこっちでいいの?」と、

要所要所で何度も確認しながら走るので

今回は頭の疲労がすごかった・・・・。

 

兄には申し訳ないけれど、今までどおりの道で走った方が楽だったよ。

到着時間が10分くらい違うだけなら・・・・。

でも、兄が良かれと思って調べてきてくれた道なので、

たぶん、来年も兄のナビでこの道を走るだろうと思う。

わたしがこの道はイヤだと言ったからといって、別に兄が不機嫌になるわけじゃなく、

むしろ「ごめん、ごめん。早くつける方がいいかなと思って。うん、いいよお前の走りたい道で」

と平謝りしてくると思うので、それが申し訳ないから言えない。

 

まあ、ある意味わたしも兄も「良かれと思って」いろいろ考えるところも

相手を不快にさせないように「気遣い」しすぎるところもそっくりなんだと思う。

 

 

・・・・が、一方でわたしたちとは全く似ていない人がひとり。弟だ。

 

まあ、さすがに今年のお墓参りはわたしはちょっとカチンときましたね。

弟に対しては、父の生前中もいろいろ「はあ?」ってなるところ多々あったけれど。

 

今回のお墓参りで何がカチンときたかというと・・・

1年ぶりの兄弟の再会で、

1年に1度の、お姉ちゃん(わたし)が往復運転してくれるお墓参りで

 

 

弟は、行きも帰りもほとんど寝ていた。

 

ミラー越しに後部座席を見ると、ずっと寝てるのがわかった。

そりゃね、朝4時半に出発しているから眠いでしょうよ。

でもそれはわたしも同じよ。しかも運転してる。

 

でも弟は気遣えない人なのだ。

そして自分が話す気分じゃなかったら(別に不機嫌なわけじゃなく)

いつまでもずーーーーっと黙っている。

「せっかく会ったのだから話そう」とか「場を盛り上げよう」とか

「お姉ちゃんに運転させっぱなしで申し訳ない」とかそういう心配りはゼロ。

 

そして、その態度は、「父そっくり」なんだよなあ・・・と。

父も、自分が話すことがないと難しい顔して黙って車に乗ってる人だったもの。

 

弟は性格が本当に父そっくりだ。(これは兄も言ってるw)

性格って、育つ環境によって形成される部分もあるけれど、

やっぱり遺伝的要素・・・大きいと思う。

自分は親のあんなとこ、こんなところが嫌いと思ってもちゃんと受け継いでいる。

弟は父のことをすごく嫌っていたし、

数年間口も利かずにお互い避けていた過去もあったほどだったけれど

それってつまり性格が同じだったからだと思うし。

親子って似るのだ。

 

自己肯定感低めで、相手のことを考えすぎて気遣いしすぎるわたしと兄は、

ほんと母そっくりだと思う。

相手を不愉快にさせていることに気づかず

ひたすら自分のペースを貫くことができる弟は父と完全一致。

 

 

まあ、1年に1度しか会わなくなった今、腹を立ててもしょうがないし

「あいかわらず自己中だなあ」と思っただけだったけれど。

 

それでも、「みんな健康ならよかった」の確認はした(笑)

 

そして、お墓参りが「兄弟の生存確認の機会」みたくなっていくのは

歳をとったってことなんだなあ・・・としみじみ。

 

いろいろ思うことはあるけれど

来年もまた元気に3人再会できますように。