かけがえのない時間。

いつのことかはあえて書かないけれど、義母が亡くなった。

このブログでも時折書いていたけれど、昨年10月から入退院・・・どころか

コロナ禍のために、一時退院すら許されず、長期入院を強いられたままに

義母は帰ることなく逝ってしまった。

 

レアな病気であるため、病名含めて詳細についても書かないけれど、

一時は回復傾向にあったものが、悪いことが次から次へと重なった結果

家族のだれもが予想していなかった急な別れとなってしまった。

 

が、そんな急展開の中でも、

わたしにとってはかけがえのない人生の1ページとなる日々を与えてもらった。

 

義母の意識がなくなったのをきっかけに、

(まん延防止等重点措置の最中)初めて主治医から家族の面会が許可され、

それどころか、「いつ何があってもおかしくない」という理由で

家族に対して24時間の付き添いをお願いされたのだ。

 

元気に話せる時には厳格に面会禁止だったのに、

それが、意識が無くなったとたんに24時間付き添ってくれと

言われることのやるせなさときたら・・・。

とはいえ、悪いのはコロナであって病院でも主治医でもないから責められない。

他の入院患者さんをも、感染リスクにさらすことになるのだから

それは致し方なかったことと思う。

 

さあ24時間の付き添い。どう対応するか?とざわついた家族だったが

結局、夫と義兄、甥っ子(義兄の息子)、そしてわたし・・・の4人が交代で

義母に付き添うこととなった。

昼間仕事のある夫と義兄が夜間の付き添いを担当し、

わたしは朝5時~昼12時までを担当した。

 

そして昼間については、朝9時には夫が義父を病室に連れてきたので

(義父をひとりにしておけない&義父が義母を心配して病院に行きたがるので)

わたしは眠り続ける義母と、義母に寄り添う義父と3人で毎日過ごすこととなった。

 

「それは大変でしたね」

 

・・・・と、人に話せば言われるかもしれないけれど

わたしには大変でもなんでもなかった。

とにかく、うれしかったのだ。

 

嫁として受け入れてもらって30年近く・・・

でも、別居次男嫁という立場上、長男嫁に対する遠慮がたくさんあったことで

義母に近づきたいのに近づけない、仲良くなれないジレンマがずっとあった。

息子が結婚して、自分がお嫁さんと仲良くなっていく中で

「ああ自分もこんな風に義母と話したかった」と、より一層その思いは強くなった。

 

そんな中で、やってきた思いもよらぬ事態。

わたしは夫から頼まれたのではなく、

「わたしが付き添うから!1日中でも大丈夫だから」と夫に訴えて、

やらせてほしいと立候補した。

 

朝5時~義父が病室にやってくる9時までは、毎日義母とふたりきり。

わたしは毎日たくさん義母の手を握った。足をさすり、肩をさすって頬に触れた。

そしてたくさん話しかけた。

「わたしに嫁としての役目をくださってありがとうございます。
お手伝いさせてくださってありがとうございます。」

と、もう目覚めることのない義母に毎日感謝の言葉を伝えた。

 

そして、9時になるとやってくる義父とも、いろいろたわいもない話をした。

義父は本当に素朴でかわいらしいおじいちゃんだったので

一緒にいて疲れることも、大変なこともひとつもなく、

わたしは、ただただ「義母と義父と自分だけの空間」・・・という、

特別な時間をもらえたことを心から感謝して、毎日穏やかな気持ちで病院に通った。

 

自分にとって最も意外だったのは、夫から何度も「すまんな」「ありがとな」と

感謝の言葉をもらったことだった。

わたしにとっては、至極当たり前のことでむしろ家族の一員として

戦力になれていることを本当に喜んで幸せに思っていたのに、

夫から見ると、「自分の親の面倒みさせてすまない」という気持ちだったらしい。

 

早朝5時から付き添うわたしは、毎朝夫の朝ごはんにおにぎりを作ってから

夫が起きる前に病院へ行き、

夜は午前0時過ぎに帰宅してくる夫の夕飯を作り置き自分は翌朝に備えて先に休んだ。

つまり、完全なすれ違い生活で、会話はいつも病院でしていた。

 

そんな付き添い生活は・・・ついに2週間で終わりを迎えてしまった。

涙が止まらなかった。その日が来るとわかっていたけれど。

いつもドライなはずだった夫も義母の手を両手で握り、

それを自分の頬に当てて号泣していた。

夫が泣いているのを見たのは結婚前から含めても初めてだった。

 

義母が家族の誰とも面会できずに、長期入院生活に耐えている間

わたしは本当に義母を思って苦しかったけれど

最後の2週間、(決して最善ではなくとも)

義母に精いっぱいのことはできたかなと思うので、

本当に義母があのような時間をくれたことに今も感謝の気持ちでいっぱいである。

 

義母のやわらかな手の感触をしっかりと覚えていることがうれしいし、

それを喜べる自分は、改めてとても幸せな結婚をしたのだと心から思う。