義父の入院に思った事。

ごく最近のことなのだけど、義父が救急車で運ばれて入院するということがあった。

異常を感じてかかりつけ医を受診→先生が救急車を呼んでくれるという

スピード対応のおかげで、重大な事態にならずに済んだ。

 

その義父が最近、退院できることになったのだけど、いざ退院のお迎えに義母と義兄が

病院を訪れたところ、わずかな入院期間だったけれど高齢のせいもあって、思いのほか

足がもつれて一人で歩くのは難しいのでは?という状態になっていたらしい。

 

コロナ禍ということで、高齢の義父が入院したにもかかわらず、家族は面会謝絶。

入院時に顔を合わせたきり、退院まで一切面会していなかったので、

家族のだれも、退院のその日まで義父の様子を知らない・・・という特異な状況。

義母はヨボヨボとしてしまった義父に驚きを隠せなかった様子らしい。

 

細かい経緯は省くけれど、一旦義父の退院は保留になった。

「病気自体は治癒したものの、足が弱っていてこれでは家で生活できない」

となったのが理由。

 

それで「介護保険とか使わないといけないんじゃ?」という話になったそうで

なんとわたしにその役目が突然回って来た。

 

別居の次男の嫁であるわたし・・・だ。

理由は「介護保険のことがわかるのはお前だけだから」というもの。

 

経験していない人はみんなそうなっちゃうのかもしれないけれど、夫はわたしに

「誰も介護保険とかわからないから。お前はオヤジさんのときに経験してるからわかるじゃん。だからお前が行って話聞いてきてくれよ。」

全丸投げしてきた。

さきに断わっておくと、わたしは義両親の介護については「自分も家族の一員だから

出来る限りのサポートをしたい」と思っている。だから夫からこう言われても

そのことにカチンとくるとか、そういうことは一切ない。

 

ただ、わたしはあくまでも別居家族なので、そういう自分が包括支援センターなんかに

行って義父の現在の様子を聞かれても何にも答えられないわけで・・・。

その場合、「お父様のことがよくわかる家族の方に来ていただかないと・・・」と

先方から言われるのがオチだよ、と夫に説明した。

 

しかし、サポート役として同席するのはもちろんOKだとも話し、

結果、夫と義母、そしてわたし・・・の3人で病院のケースワーカーさんにまずは

相談してみようということになった。(もちろんこれもわたしが提案)

 

病院での面談に向かう途中の車内。

義母はあまり感情を表に出さない人で、普段口数も少ないほうなのだけど、

この日はものすごくよくしゃべった。

介護保険のこととか、これからどうするのがいいのか・・・など、

すごくいろいろなことをわたしに聞いてきたので、

それは「心配でたまらない」という気持ちの表れだとよくわかったし、わたしは

「別居の嫁」の立場でどこまで義両親をサポートしてあげることができるだろうか?と

義母の不安に耳を傾けながら、一生懸命頭の中で考えていた。

 

実は結論から先に言うと、義父は介護保険が必要な状態では全然なかった。

 

まあ、いろいろ行き違いがあったというか・・・兄弟間でしっかりと

連携が取れていなかったのが大きな原因で、義父の実際の状態よりも話が2~3倍

大きくなって夫(弟)に伝わっており、実際はそこまで深刻ではなかった。

うれしい誤解なので、これはこれで結果オーライだったと胸をなでおろした。

お義母さんはかなり申し訳なさそうにしていたので

「笑い話にできるほどお義父さんが元気で良かったですよ、うんうん」と

笑顔で慰めると義母も笑ってくれたので本当にホっとした。

 

 

 

この一連の出来事を通して、わたしは改めて思った。

人それぞれ考え方があるので、自分の価値観が絶対正しいと思っていないし、

あくまでも・・・・あくまでも「わたしはこう生きたい」という話でしかないけれど

 

実の親であれ、夫の親であれ、分け隔てなくわたしは両親を大切に思っているのだと。

自分の両親については、胸を張れるくらい頑張ったつもり。

心身ともに大変なことや腹の立つことも多かったけれど、

それでも、特に父に淋しい思いはさせないように努力していたと自負しているし

「いい娘がいてくれて幸せだった」と思って人生を終えてもらいたいと思っていた。

そのために感情を抑え込んで父のために多くの時間を割いてきた。

で、それはすべて今の自分に繋がっていて、

何一つ恥じ入ることなく前に進めている要因になっていると思っている。

 

そりゃ・・・・世の中にはいろんな親がいるので、一概には言えないのは当然。

ただ少なくとも、毒親とか・・・

自分が精神的にズタズタにされるような仕打ちでも受けて育ったわけでもない限り、

年老いた親には精いっぱい

「愛されている」「頼っていいんだよ」と感じさせてあげる

生き方のほうが、結果的に自分の人生を心を豊かにするように思えるのだ。

全部、将来の自分に返ってくると思っているから。

 

だから、親が歳を取ればとるほどに、「子供から気にかけてもらっている」と

感じさせてあげることはものすごく大事だと思う。

まあ・・・単にわたしが知らん顔できない性格・・・というだけかもしれないし、

知らん顔出来る人にとってはそんなこと自体、どうでもいいことなのかもだけど。

 

親の今の姿は将来の自分の姿。

 

って、わたしは思うのだ。

 

自分が親を大切にしていなかったら、わが子が高齢になった自分を大事に思って

くれるわけがない・・・・って。

それは「子供には迷惑かけたくない」という自分の気持ちとは別の話。

迷惑かけたくない・・・と思っていたとしても、あと20年くらい経ったときに

息子夫婦が全く連絡さえよこさなくなったら、こんな淋しく悲しいことないと思う。

 

 

子供は本当に見ていると思う・・・親の背中を。

自分の親が祖父母に対してどんなふうに接していたかを。

学ぶべきことを学ばずに大人になったわが子が

「年老いた親は自分の人生の足かせでしかない」って思っても不思議じゃない。

 

 たまに聞く、「所詮、わたしは嫁だし」という言葉も私はあまり好きじゃない。

これもいざ、息子がお嫁さんをもらったら、

とたんにナイフのように感じられるようになってしまった。

 

 

だって、息子の結婚相手がこんなふうに言ったらショックに違いないよ?

息子ではなく娘だったとしても、娘の結婚相手が「オレの親じゃないし」と言ったら

やっぱり悲しくない?と思うのだ。

 

 

ちなみに私自身は「わたしは嫁なんだし」と思ったことは一度もない。

義母との関係は希薄だったけれど、

むしろわたしはもっともっと義母に近づきたいと

思っていたほうなので、今回のように「頼ってくれた」ことなんて

本当にうれしくてたまらなかったくらいだし(こういう考え方はレアなのか?)

 

けれど、今わたしがこういう考え方ができていること、それ自体がもう

「母が自分の背中で教えてくれた姿勢」だと思っている。

母が親を大切にしない人だったら、きっとそういうドライな考え方を持ったと思う。

そう考えると、母の人生はあまりにも短かったけれど、

わたしが親として生きて行くための大切なことは、その背中で

たくさん示してくれていたんだなと今更ながら思う。

いつまでも、どこまでいってもわたしのお手本であり、最も尊敬すべき人。

 

 

今回は、義父のことで結局自分の出番はなかったけれど

年齢的にもこれからまた問題は浮上すると思うし、

「何かあればいつでも言ってくださいね」と義母には伝えた。

 

伝えることができてよかったなと思った出来事だった。