ある春の日に②

愛犬の身体が麻痺して動かなくなる様子を目の当たりにした衝撃は

言葉では例えようのないものだった。

 

ひとしきり泣いた後に冷静さを取り戻したわたしは

夕方の診察が始まっている獣医さんのところへ

愛犬を抱えて駆け込もうかどうか迷った。

何度も言うけれど、獣医さんは徒歩1分なのでいつでも駆け込める距離だ。

その間にも犬は遠吠えのように数回鳴いては静かになり、

また2~3回鳴く・・・というある種リズミカルな悲鳴を上げ続けている。

 

診てもらおうかどうかしばらく迷い・・・・結局診察を思いとどまった。

 

思いとどまった一番の理由は

完全に下半身の麻痺したこの子を見せたところで

「もうできることはない」と言われるに違いないと思ったこと。

もう、それがわかりきっていた。

その宣告を受けるのが怖かった。知りたくなかった。

 

麻痺が起きるということは脳に異常が起きているということだ・・・という事実は

素人のわたしにも容易に推測できた。

以前、「脳は神の領域だから(手が出せない)」と

かかりつけ医が言っていたことも覚えていた。

だから、連れて行ったところで、辛い宣告を受けるだけに違いなかった。

 

同時に、泣きはらした顔で愛犬を抱えて来院する様子を

待合室の他の患者さんから「かわいそうに」という憐みの目で見られたくない

この子を、気の毒そうな目で見てもらいたくないという・・・

そんなプライドのような気持ちもあった。

誰の目にも触れさせたくないと思った。

 

そんな危機的状況にあって、

妙なところで冷静になっていることに自分であきれていた。

 

 

けれど、診せないと決心した以上は・・・・もう泣いている場合じゃない。

あとどのくらいの時間が残されているのかはわからないけれど

最期の瞬間まで、この子が不安にならないよう、安心して旅立てるよう

笑顔を見せて「強くて頼れるお母さん」であり続けなければと

自分に言い聞かせて、何度も大きく深呼吸をした。

  

午後7時頃になって、夫が帰って来た。

気持ちを落ち着かせて冷静に対処していたわたしだったけれど

帰って来た夫に「もうダメだと思う。足が・・・足が・・・もう・・・」と

そこまで言うのが精いっぱいで、その先は言葉にならなかった。

 

その後、状況を理解した夫と午後9時ごろまで交代で愛犬を抱き、

撫でて落ち着かせていた。

わたしたちのことは認識していなかったと思うけれど、それでも抱いていると

鳴き声が小さくなったので、きっと安心していたのだと思う。

 

夫は翌日も仕事があるので先に寝てもらい、午後9時以降はわたしがずっと。。。。

朝まで一睡もせずに愛犬を抱いたり撫でたり、とにかく不安にさせないよう

ずっと触れていた。

 

そしてふと気が付いた。夕方は前足で必死に這って動こうとしていたのに

いつのまにかその前足も立たなくなっていることに。

つまり、もう完全に寝たきりの状態だった。

そして不自然にずっと目が開き続けていることにも気が付き、

まさかと思って目の前に指をかざしたりしてみたが反応がない。

つまり、目は開いているけれどわたしを認識していなかったのだ。

それでも動かない体で必死にもがいては時折、悲鳴を上げ続けている。

 

長い長い夜だった。

これまでも、夜中のトイレ介護をしていたので毎晩3~4回は起きる生活だったけれど

一晩ぶっとおしで起きていると時間の進みがものすごくゆっくりに感じた。

わたしは一晩中、彼を撫でてみたり、抱いてみたり、

少しでも鳴き声が小さくなる方法を試し続けてみたけれど

完全に鳴き止ませることはもう無理なようだった。

 

 

そして・・・ようやく朝を迎え、夫に託しているわずかな時間に家事を済ませ、

夫を見送ると、そこから再び二人だけの時間になった。

 

 

朝、発作から12時間以上が経過していたが

身体は動かなくなり、鳴き声は時間とともにすこしずつ弱くなり、

そしてその大きな瞳は開いているだけで、わたしを認識していない。

耳はこうなる前から老化現象としてもうとっくに聞こえなくなっている。

 

それでも、きっと聞こえるはずと信じて耳元でひとりで一方的に話し続けた。

思い残すことがないように、後悔のないように

思い浮かぶままに・・・ほぼ独り言のような状態だったけれど

いろんな話をして、いつ息を引き取るかわからない「わが子」に

とにかく言葉をかけ続けた。

 

 

そして夕方。呼吸のリズムが明らかに変わって来た。

浅く早い呼吸と、途切れるほどゆっくりな呼吸を繰り返す。

ああこれは「最期」の合図だ・・・!とわかった。

チェーンストークス呼吸というやつで、父の時にこれを経験している。

この呼吸が出始めたら、最期の時は近い。

 

しっかりしろよわたし。強いお母さんで居続けるのだ。

 

右腕にしっかりと愛犬を抱き、

左手で両手(前足)を握り

 

「頑張らなくていいんだよ。」

 

とやさしく何度も声をかけ続ける。

 

「もう逝っていいんだよ。」

 

お母さんもいつか必ず会いに行くから。空で待ってて。

きっとシワシワのおばあちゃんになってるけど、必ずお母さんを見つけてね。

 

 

途切れ途切れの呼吸が続いたあとに、

 

ハア・・・ッと大きく息を吸ったかと思うと

 

ついにその呼吸が止まってしまった。

鼓動がなくなってしまった。

前日の突然の発作から約24時間後のことだった。

 

既に動かなくなっていたその体だけど、さらに力なく脱力したその体は

まるで砂の詰まったぬいぐるみのようにずっしりと感じた。

 

 

こうして、小さなもう一人の息子は

わたしの腕をすり抜けて、ついに空へと昇っていってしまった。

 

 

ありがとう。

うちの子になってくれて、ありがとう。

いつもいつもそばにいてくれて、ありがとう。

 

 

バイバイ。またね。