過剰な防衛本能。

前回の記事で、松居直美さんのブログがとても素敵という話を書きました。

いろいろとサポートが必要になって来た

我が家の(推定「要介護1」の)愛犬との暮らしと照らし合わせ

感じるところが多々あり・・・。

 

松居さんのブログがあまりに心地よかったので、

到底全部は読み切れませんが過去記事もかなり読んだわたし。

 

そして、読んでいるうちに

思わぬ「うらやましさ」を感じてしまっている自分に気が付いた。

 

それは・・・うまく言えないけれど

「誰にも邪魔されず自分のペースで暮らせている」というその暮らしぶりそのものが

なんだかいいなあ・・・と思ってしまって。

 

ひとり暮らしは、もちろん楽しいことばかりではないかもしれなくて

わたしなんかが安易に「自由」というところだけ切り取って

「いいなあ」と感じるのは間違っているかもしれないけれど

わたしは自分が(これでも)あまりに「心の隠し事」の多い生き方をしているせいで

ときどき疲れてしまう。

 

夫との関係は別に何の波風も経っていないし見た目いたって平穏だけれど

それは、わたしのほうが本能的に「夫に知られるとめんどくさいから隠す」という

行為を日常的にしてしまっているからだと思う。

 

似たようなことはたびたびブログにも書いていて

たぶん「自分のやることに夫からコメントされたくない」なんて言ってたと思う。

 

わたしは自分の嫌な思いや面倒な思い、

不機嫌な顔を他者に見せることを極力避けたい平和主義者なので

(たとえ心の中はドロドロだとしても!)

・・・・つまり、夫婦間をできるだけ平和に保ちたいがために

そうなりそうなこと材料をことごとく夫の目に触れないように

もうこれは反射的に隠すことが癖になってしまっているといった感じ。

(ああ・・・説明が難しい)

 

 

松居直美さんのブログを読んでいたら

特に老犬介護の部分で・・・

こんなふうに、夫のことを気にせず「わが子」のお世話だけにできたら

もっと穏やかな気持ちでいられるだろうになあ・・・など思ってしまった。

 

愛犬の身体が少しずつ老いていっていることを

もちろん夫には説明しているけれど、

夫には生まれつき「繊細さ」「デリカシー」「思いやり」というものがない。

そして多分、他者への共感能力というものが著しく欠如している。

だから、例は挙げないけれど、ときどきびっくりするほど冷酷なことを平気で言う。

(わたしのことじゃなく、一般的な世の中の出来事に対して)

逆にわたしはすぐに他者のことを自分のことのように捉えて心配しすぎてしまうので

つまりは両極端な夫婦なのだと思う。

 

 

老犬介護の問題については・・・・

たとえば愛犬もうトイレの成功率が現在はもう20%くらいなんじゃないかと思う。

じっと観察していると、トイレではない・・・部屋のあちこちでしているのがわかる。

(※マナーベルトをつけているのでおしっこで部屋が汚れることはない)

 

わたしはもう犬のトイレには全くこだわらなくなった。

とにかく元気でいてくれたらそれに勝るものはないので、

おしっこをどこでしようが、いちいち騒がないし

犬に罪悪感を与えないように努めて笑顔で

「おしっこ出てよかったねえ~」と話しかけるようにしている。

 

ところが夫は違う。

いちいち、「こいつ、完全にボケちゃったの?(笑)」とか平気で言うのだ。

その言葉は愛犬ではなく、わたしのほうに突き刺さる。

ただ今日も1日元気でいてくれてたらそれでいい、

と思っているわたしの思いを無にする言葉だから。

 

 

そして、そもそも愛犬のマナーベルトが汚れていても交換してくれない。

「おーい、しょ〇べ〇出たぞー」

とキッチンにいるわたしを呼ぶだけ。

 

このやりとり、息子の赤ちゃん時代のデジャブーでは・・・?!

(夫は息子のおむつ交換ほとんどしなかった人)

 

 そう。夫にとって結局、老犬介護は自分の生活の中には存在しないのだ。

犬のことはかわいがってくれるけれど、撫でたり抱っこしたりするのみ。

それはまさに息子の育児と重なる(←遊びのみ担当)

 

犬の耳がずいぶんと遠くなって、名前を呼んでも反応できなくなったことも

夫はバカにする。

今までのドッグフードが食べられなくなって、

わたしが毎食作っていることも

「すっかり贅沢な犬になったもんだな」とからかいの種にする。

(↑作ってるのはわたしなのだから黙ってろ!というわたしの心の声)

 

悪意がないのはわかっている。冗談がキツイ人なだけなのだ。

でも、こういう人は自分の言葉にトゲがあるということに気が付かない。

「ご主人にやめて、って言ったらいいのでは?」と言われそうだけど

そういうことじゃないの・・・。

 

自分の言葉の何がいけないのか?を心から理解できない人に

わたしの思いを伝えても、

「なんかよくわかんないけど不機嫌になるからやめとこ」

くらいにしか伝わらないから。

それはその場の雰囲気を凍らせて、虚しさを増すだけだから。

 

まあ考えてみたらわたしも相当な頑固者(笑)

 

結果的にわたしが選ぶのは

「言われたくない言葉を聞かなくて済むようにするためには

極力、夫に見せない・知られないようにする」

という行動になる。

 

愛犬がもういろんなところでおしっこしちゃてることも夫には言わない。

手作りごはんの栄養バランスとか量で試行錯誤していることも言わない。

腎臓が悪いので、おしっこの量とか色とか常に観察していることも言わない。

 毎日スキンシップをかねて体のあちこちさわり

しこりがないかチェックしてることも言わない。

 

ほかにも数えたらキリがないほど、

わたしの今の生活は実は「お犬様」状態で回っているのだけど、

 

夫にとって、犬の世話は育児同様にすべてわたしの仕事であって

全く関心のないものだから・・・

何かを話した時のリアクションはびっくりするほど他人事だったりするので・・・

 

そこでいちいち傷ついたりショックを受けたり、怒り感じたりしたくない。

そんなふうに自分の心を守るために

なんだか年々、心の壁が高く分厚くなっていっている気がしてしょうがない。

 

松居直美さんが、誰にも干渉されることなく

のんびりとマイペースに、いい意味で自分の精いっぱいやりたいことをやりつくした

老犬介護の日々の記録を読んで

その部分が、なんだか妙にうらやましくなってしまった自分がいる。

 

もちろん、夫のことで尊敬している部分もたくさんあるし

わたしとは真逆の夫の楽天的な性格に助けられてきたこともたくさんある。

 

一方で、「ここから先は進入禁止です」と

自分の心の中に、こうして鍵をかけて

その存在すら隠している秘密の部屋があるのも事実。

(夫はまさかわたしが心の中にそんな秘密部屋を持っているとは思うまい)

 

 

夫婦って難しいね・・・。