来年は覚悟の年。

今年は全く予想外だった息子の結婚が決まるなど・・・

父の通い介護&看護に走り続けた2019年と比べたら

ずっと幸せなことのほうが多い1年だったけれど

 

残念ながら、人生

いいことばかりは続かないし、そしてもちろん悪い事ばかりでもない。

 

 

息子の結婚相手と対面して幸せ気分だったのもつかの間

今度は老犬の病気、腎不全がじわりじわりと確実に進んでいるという

現実を突き付けられることが多くなってきた。

 

特にここ1週間くらい、

時々逃げ出したくなるような不安感に襲われてしまう。

誰かに話を聞いてもらいたいけれど

話せる相手がいるわけでもなく・・・

ひとりモヤモヤを抱えるしかなくて。

 

昨日、とうとう我慢できずに獣医さんに行ってしまった。

「どうも2日前から元気がなくて」と。

もちろん、これは事実だったのだけど

どれも腎不全が引き起こしている症状なので

獣医さんに行ったから治るものではないこともわかっていた。

(腎不全は治療法のない病気)

 

だから、本当は

「わたしが不安でたまらなくて元気がないので話を聞いてほしくて来ました」

が診察の本当に理由だった(笑)

 

気休め程度に水分補給のための点滴をしてもらいながら

今の腎不全が実際どのくらい悪い状態なのか

今後、どんな症状が出てきて

そのときにはどういう対処療法をしていくことになるのか・・・

など、

疑問や不安、次から次へと質問攻めにしてしまった。

 

閉院30分前の、もう患者さんが来ないであろう時間帯を狙っていったので

30分くらいかけてじっくり話を聞いてもらい、説明を受けた。

 

不安がなくなったかといえば・・・・

そうはならなかった。

だって、厳しい現実の話を聞かされるわけだから。

それでも、「犬の看護のことを誰かに話す」という

その行為自体に意味があったと思う。

 

わたしは昔、悪性リンパ腫で闘病した母の世話をし、看取り・・・

昨年は在宅酸素&肺ガンの父を通い介護をして看取り・・・・

という、人生において誰にでも必ずやってくる「親の別れ」という

最大級のつらいことを既に2度経験済だけれど

正直、ペットの看取りのほうがその何倍もつらいんじゃないかと思うことがある。

 

それはペットの介護は「会話」ができるわけじゃないので

常に一方通行だから。

どうして欲しいのかもわからない、どこがつらいのかもわからない、

食欲があるのかないのか、何なら食べられるのか?

全部「試して」気づくしかない・・・。

これはものすごく孤独な作業だなと感じている。

 

 

そして、人間の場合は、入院するとか介護サービスを受けるとか

専門家に丸投げに出来る部分や、助けを借りて乗り越えられる部分が大きい。

それに対してペットの場合は

もちろん重症のときには一時的な入院があるとはいえ

基本的には、自宅で24時間看護が基本だ。

その子の病気の進行のすべてが、自分にかかっている・・・という重圧に

押しつぶされそうになる。

 

今からこんなで、わたし大丈夫なのか?って思ってしまう。

 

そういう重圧と強い不安感は定期的にまとめてドっと押し寄せてくる。

それがまさに今で・・・・

これは良くない・・・と思って

獣医さんに「飼い主のSOS」として駆け込んだ形だったのが昨日のこと。

 

わたしの不安を察してか・・・・

 

「NORAKOさんは食事管理など、もう十分頑張ってくれていると思いますよ。
だから数値の悪化を食い止めていられるんです。」

 

と獣医さんから労いの言葉を受けて、泣きそうになった。

 

たぶん、愛犬にとってこれが最後のお正月になる気がしている。

もちろん、まだ今すぐどうこう・・・という段階ではないけれど

 

来年は厳しい現実に向かっていく1年になる覚悟は

しておかなければと思う。