魔法の言葉。

愛犬が食事を摂らなくなって1週間経ってしまった。

正確には、一切食べないわけではなく、

毎日何かしら、ほんの少しだけ口にする状態。

本当にほんの少し。たとえばササミジャーキーを1日に2~3本とか。

 

腎臓病の犬猫の嗜好は長く持たない。

症状が顕著に表れるようになって半年くらいだけれど

年明けからそれらはさらにひどくなってきた。

(つまり気に入った食材のブームが1週間くらいで終了する)

 

が、今思えばあの頃なんてまだまだかわいいレベルだったなー。

今や、昨日食べたものは今日もう食べない。

なんなら昼に食べたものはもう夜には食べない・・・頑なに食べない。

 

冗談抜きでこの1週間で愛犬のために買った犬用おやつや人間用おやつは

何十個になったかわからない。

そしてそのうちの大半を1日でゴミ箱に捨てることになった・・・。

今なら一切れ10万円の肉でも迷わず買いますよ、わたし。

お腹いっぱい食べてくれると分かっているなら!

 

前回の記事を書いたときに「流動食を与えるつもりはない」と宣言していたけれど

ツイッターで同じ病気の犬猫を抱える人たちのツイートを見ていると

強制給餌をしている人がいることに驚く。

「強制給餌」という言葉の持つ罪悪感から逃れるためか

「これは強制給餌ではなくお食事サポートです」と言い換えている人も多い。

 

「秘密結社老犬倶楽部」というハッシュタグをつけて老犬介護を仲間同士

支え合っている人がとても多いことにも気づく。

わたし自身はその輪の中に入って、同じ境遇の飼い主さんたちとつながりたい・・・

とはどうしても思えず

(そういうコミュニティみたいなものがそもそも苦手なのと、自分のことで

精いっぱいなので他の人達を励ましたりなどする心の余裕がないから)

 

なので一方的に眺めているだけなのだけど、

強制給餌している人の多さを知ると、だんだんと・・・

 

「わたしも強制給餌をしなければいけないんじゃないだろうか?」

「強制給餌しない自分のほうがかわいそうなことをしているのか?」

という、だんだん何が正しいのか不安になり、焦りにも似た感情が湧き上がってきた。

 

 もう1週間、毎日点滴のためにかかりつけ医に通っているが

先日、ふと先生にこの不安をもらしてみた。

 

「強制給餌はしないって決めてたつもりなんですが、これだけ食べないと・・・
やっぱりシリンジとかで流動食を与えるべきなのか・・・とか迷います」

 

と。

 

すると獣医さんは

 

「それは絶対によくない。やめたほうがいい」

 

ときっぱり。

 

「食べないのは、この子なりの食べない理由があるの。」

 

 

そして、力強い口調で

 

「ここから先どうするかは
全部この子にまかせておけばいいんだよ。」

 

 

と言ってくれたのだった。

 

 

その瞬間、肩の力がすぅーっと抜けるような感覚になり

こんな不安な状況にも関わらず、気持ちが驚くほど軽くなった。

 

(※病気の種類や年齢もあっての話なのでケースバイケースだけれど

わたしがお世話になっている獣医さんは

「腎不全が原因で食欲不振の子に強制給餌はするべきではない」というのが

基本的なスタンスらしい。それは病気が原因で消化機能が衰えているところへ

無理矢理食事を流し込めば嘔吐や下痢を誘発して犬猫を苦しませるだけだからと

という理由)

 

老いた犬猫のオーナーというのは、

「わたしがこの子をサポートしなければ」

「何かもっとこの子にできることはないだろうか?」

と四六時中考えがちだ。もちろんわたしもその一人だった。

 

「老犬が旅じたくを始めた」なんて、

口では受け入れているようなことを言いながら

「まだ出来ること」の可能性をずっとずっと探り続けていたんだなーと

この言葉をもらった瞬間に気付かされた。

同時に、ようやく本当の覚悟ができた気がする。

 

今、もしかしたらわたしと同じ境遇にあるペットオーナーさんがいたら

この言葉をシェアしたいです。

 

飼い主としての迷いがなくなる手助けになるんじゃないかと。

 

わたしはこの日以来、毎日自分に言い聞かせてます。

どんな姿を見ても、食べてくれなくても、

 

「心配するな。全部この子が決めるんだから任せておけばいいんだ。」

 

と。