It's just a part of my life.

年明けからずっと腎不全で体調が不安定だった、うちの愛犬。

1日おきの皮下輸液と、週に1度の造血剤注射でなんとかかろうじて

がんばってきたけれど、

どうもここ数日で一気に悪化。

上手く説明できないけれど、「飼い主だけがわかる変化」というやつかな。

 

小さな体で投薬に点滴に注射・・・ここまで頑張っているというのに

ここへきて、さらに角膜潰瘍を患ってしまい、

先週から2時間おきの点眼まで加わってしまった。

治療しなければ失明する病気なので、早い段階でしっかりと点眼することが

ものすごく大事と聞き、時間をはかってせっせと点眼している。

おかげで・・・痛みで開けられなかった目はパッチリ開くようになってきた。

でもまだ当分点眼は必要だけど。

 

しかし、ここ2~3日で急激に体調が悪化したのを目の当たりにすると

「この点眼に何の意味があるんだろう?目が治る前に命が尽きるんじゃ?」と

ふと思ってしまう瞬間がある。

かといって、体調悪化は一時的な憎悪であってまた持ち直すかもしれないから

やっぱり点眼はやめられず・・・「ごめんね、いいこだね」と言いながら

点眼を続けてしまう。

 

獣医さんによると、同じ腎不全でも犬と猫はちょっと違うんだそう。

犬猫、どちらも腎不全(腎臓病)は多い病気なのだけど

猫の場合は悪化のスピードが遅く、

慢性病として年単位で比較的長く付き合っていけるケースが多いのに対して

犬の腎不全は急激に悪化するパターンが多く、悪化したと思ったらあっという間に

尿毒症(腎不全末期)に至ってしまうことも多いらしい。

実際、1週間前まではそれなりに安定していたはずだったのに、

ここ2~3日で「何が起きた?」というほど変化してしまって

ああこれが急性憎悪なのか・・・とひしひし実感。

 

 

昨夜(夜中)に、結構いろいろあったのだけど

(長くなるので説明は省くけれど、今までなかった症状とかね)

それに対処する自分は、びっくりするほど冷静だった。

 

おそらく、自分自身がちょっと毎日のこの緊張感と重圧に疲れてきているのと

それとやっぱり、「もう頑張らなくていいよ」という気持ちと半々かな。

 

こういう毎日の中で心掛けているのは

 

「老犬介護に飲み込まれてはいけない」

 

ということ。

老犬介護はものすごく孤独だ。(特にうちは夫が関わらないのでよけいに)

人間の介護はプロに委ねることもできるけれど、動物はそうはいかない。

短期的な入院を除けば飼い主が24時間体制で見守り、看護することが大前提だ。

 

幸い、わたしの場合は点滴を病院でやってもらっているおかげで

(この段階になると自宅で点滴をする飼い主が多いという)

1日おきに通院、そのたびに獣医さんに

不安を聞いてもらったり励ましてもらったりしているので

うまくガス抜きはできているほうかもしれない。

 

それでも、日中や夜中、ふたりきりで部屋の中にいると

心が孤独すぎてときどきものすごく逃げ出したい気持ちに駆られることも・・・。

 

それは、そのことだけに頭の中が支配されてしまうから。

ああ良くないことだ!と気づいてから、

ことあるごとに自分に言い聞かせるようになった。

 

あくまでこれは

「わたしの日常の、人生のほんの一部に過ぎない」

と。

 

努めてそう思うようにしている。頭の中でつぶやく。

だから、老犬のお世話をしながらでも、できるだけ自分の日常を守り

頭の中でほかのことを考えたり、楽しむスペースを残しておくようにしている。

そうすることができて、初めて老犬のお世話も

「大変なこと」ではなく「大切な時間」に出来ると思う。

 

 

うちの「次男」に残された時間はたぶんもうそんなに多くなさそう。

16歳の誕生日(5月)まで頑張って欲しいと思っていたけれど

どうやらそれは難しそうです。

 

せめて桜は見せてあげたいけどどうかな。

・・・なんていうのは飼い主の勝手な思いですね。