PM5:00~PM11:00【そして入院】

「やっぱり今から救急に連れて行きたいです。連れて行ってもいいですか?」

 

と、訪問看護師さんに電話で尋ねたわたし。

今考えれば、何もお伺いを立てる必要なんてないのだけど、

 

この時は皮肉にも・・・

お昼に訪問看護師さんを呼んで、父の状況を判断してもらったことが

かえって自分を迷わせることになってしまっていた。

「看護師さんの言うことが正しいに決まっているのだから」というような

縛られた思考を、自分に作ってしまっていたというか・・・。

 

まず、看護師さんが昼間来たときに

「救急車を呼ぶほどではないですね」と言われたこと。

「この状態なら入院にはならないでしょう」と言われたこと。

 

この2つの言葉がずっと頭から離れず、

目の前にいる父が自分基準で「これはヤバイ」と思えた姿でも、

その日のうちに受診させたい、と言う自分は

無理を言う、心配性すぎる家族なっているかのような

とにかくそんな心境で、看護師さんに言いづらかった。

 

とはいえ、このまま一人で動けない父と夜を越す自信がなかった。

なんとか入院させてくれないか・・・

点滴でもいいからとにかく症状を緩和してほしい・・・と必死な気持ちだった。

 

電話の向こうの看護師さんは、もちろん診察をダメとは言わないが

「座薬とか・・・解熱剤ってありませんでしたっけ?」

「今から行っても、診てもらえるのは〇〇先生ではないけどいいですか?」

など、やはり言葉のニュアンスから、

「受診は明日まで待っては?」と言いたげな様子だとわかった。

 

素人目にも・・・・父の全身状態は

看護師さんが来た2~3時間前よりも悪化しているように見えてならなかったわたしは 

もう「絶対に受診させる」と決めて電話をかけていたので、

主治医じゃなくてもいいので診てもらいたいから連れて行きます、

と看護師さんに伝え、電話を切った。

 

電話を終えると、父の枕元へ行き

「お父さん、やっぱり今から病院行こう」

と話しかけたが、父はぼんやりと目を開いて

「(行かなくて)いい・・・。」

と、案の定・・・・首を横に振った。

熱がものすごく高いし、寝ていても絶対に良くはならない、だから今から行くよ

と父を説得し、しぶしぶ了解させる。

 

ここからが大変だった。

細い父の身体でも、脱力しきったそれは、鉛のように重く

持ち上げることすら一苦労であることは、

さっきトイレに連れて行ったときに経験済み。

その父を、今度は車に乗せなければいけない。

しかも、忘れてはいけないのが「酸素ボンベ」

父を酸素ボンベにつないだままの状態で車に乗せなければいけないので、

わたしは酸素ボンベを担いだ状態で、同時に父を車まで運ばなければならなかった。

 

これは・・・無理かもしれないと思い、

この日は午前中だけ仕事で、午後から家にいるはずの夫に初めてSOSの電話を入れた。

父宅まで来てもらい、車に乗せるのを手伝ってもらおうと思ったのだ。

 

しかし・・・・電話に出た夫はすでに飲んでいた・・・・(汗)

あああああああ・・・・・なんて間の悪い。

「ごめん・・・でもオレ全然酔ってないから今から行ってもいいぞ?」

お酒に強い夫は申し訳なさそうに言ったが、

そんなことは当然許可できるはずもなく、

「ダメ!来なくていい!!なんとかするから来ないで!」と言って電話を切った。

 

もうこうなったら、火事場の馬鹿力で父を車まで運ぶしかない!

 

ちなみに・・・・きっと読んでいる方は

「いや救急車呼べばよかったのに」と思っているだろうし(笑)

実際に入院になったあとに、この話をした例の相談員Sさんなどからも同様に

「救急車を呼んだらよかったのに・・・!」と苦笑いされたが、

 

これも同様に、昼間訪問看護師さんから

「救急車を呼ぶほどでは」と言われた言葉にがんじがらめになってしまっていて、

看護師さんもああ言ってたし、

このくらいで救急車を呼ぶのはきっとヒンシュクなんだという

思い込みにとらわれてしまっていて、

「自分で連れて行かなきゃ」と、それしか頭になかったのだ。

 

トイレに連れて行ったときと同様に必死に父を立たせる。

父は高熱でフラフラなうえに、体中が痛いといって、苦痛に顔をゆがめた。

わたしが父の前を歩き、父を背中に背負うような形で

背中に全体重をかけさせて、わたしの肩越しに父の両腕を掴んで支え

ゆっくりゆっくり、父を引きずるように、小さな歩幅で玄関まで歩いた。

「お願いだからがんばって。車までなんとか頑張って。
そうしたらあとは座っているだけでいいから!」

と、父に必死に声をかけ続けた。

普通に歩けばせいぜい20歩程度の・・・

寝室から玄関先に停めた車までの距離を10分くらいかけて必死に運んだ。

玄関で靴を履くにも一苦労、

玄関の20センチほどの段差を降りられずに座り込んでしまう父。

座り込んでしまうと今度は立つことができない・・・

そして車に乗り込む段差も上れない父。

本当に、わずかな距離が100mくらいに感じた。

 

 

そしてようやく病院へ。

父を車から降ろすのがまた一苦労だったが、その先は病院の車椅子で運べるので

ずっとマシだった。本当にやっとの思いで時間外受付へ。

 

このとき、わたしは思っていた。

 

「連れてきたはいいが・・・・入院にならなかったら、こんな状態の父を

また連れて帰らなければならないってことだよね?

無理だ。絶対に無理だ。お願いだから入院させてーーー!一晩でもいいから!」

 

と。

それはもう祈るような気持ちだった。

実際、父を車まで運んだことで爆弾を抱えた腰が悲鳴をあげていて、

自分のほうが今すぐ横になりたいほどに疲れていた。

 

診察室に通されると、おそらく研修医であろう・・・・

ちょっと軽めな若い男性医師にこれまでの経緯を話す。

その若い医師は

「あ~じゃあ、とりあえず血液検査とレントゲンしますねー、
あと脱水もあるみたいなので点滴も・・・」

と、マニュアル通りといった対応をした。

 

点滴が1時間かかると言われたので、

わたしはその間ずっと廊下の長いすで待つ。横になりたい衝動に駆られながらも。

 

午後7時を回ったころだったと思う。

さっきの研修医らしき男性医師から呼ばれて処置室へ入っていくとこう言われた。

 

「レントゲンの結果、ちょっと肺に影があるように見えます。
あと血液検査の結果で白血球と炎症反応を示す数値が異常に高いので、
もっと詳しく調べるために、これからCTを撮りますから。
ちょっとご本人動けそうにないのでストレッチャーで行きます。」

 

若い男性医師は、最初に診察をしたときは半笑いな軽い感じだったのに

(発熱くらいで時間外受診ね~~~ハイハイ、とあしらわれた感じだったのが)

口調が明らかに変わっていた。

 

そして・・・・なんとも不謹慎な話だけど

わたしはこの診断結果を喜んでしまっていた。

やっぱり異常があるんだ!と。

むしろ「検査結果に異常はありません」と言われることの方を恐れていた。

だって、あの動けない父を連れて帰らなければならなくなるってことだから。

 

そして思わずハッキリ言ってしまった。

 

「お願いです。入院させてもらえないでしょうか。
ちょっとあの状態では連れて帰ることができません。」

 

と。そのくらい自分の気持ちは切羽詰まったものだった。

研修医らしき男性医師はわたしがいきなり「入院」と言ったことに少し戸惑い

 

「入院ですか・・・?えっと、それはちょっと・・・僕の一存では判断できないので

CT検査の結果を見て、病棟の内科か呼吸器の先生に相談して判断してもらいますから

もう少し待ってください。」

 

と返答した。(実はこの言葉から、ああ彼は研修医なのかな?と思った)

 

それからまた1時間くらい待たされたと思う。

病棟のほうから、内科か呼吸器の当直医が下りてきてくれるのを

待っていた・・・という感じ。

 

そして、病棟から一人の男性医師が下りてきた。

 

「娘さんですか?・・・・えーっと、じゃあちょっとこちらに来ていただけますか?

画像を見ていただいてご説明したいので。」

 

と何やら改まった言葉。

言われるままに個別ブースのようなところへ連れていかれた。

 

そして、今撮ったばかりのCT画像と、3か月前に撮ったCT画像を比べながら

あれこれ説明を受けた。

 

そしてその診断は・・・・

 

なんと、「肺炎」だった!

 

肺炎だなんて、これっぽっちも思っていなかった。

昼間来てくれた看護師さんは、

「胸のイヤな音はしないので肺炎ではないでしょう」と

言っていたので、肺炎の可能性は早々にわたしの中でも消えていたからだ。

まさか肺炎だったなんて・・・・!!! 

思わず、「訪問看護師さんからは肺炎ではないでしょう・・・と言われていたので」

と話すと、

「そうですねー。ちょっと胸の音がわかりづらいものなので、気づけなかったのかも」

と医師は言った。

  

左肺の末端、背中側に炎症の影ができていることは

素人目にもCT画像を見比べてハッキリとわかった。

そしてその炎症は結構な大きさにも見えた。

 

私「これは・・・・肺炎としては悪いほうなのですか?」

 

医師「そうですね。重症の肺炎と言っていいと思いますよ。

しかも・・・主治医から聞いていらっしゃるかと思いますが、お父様の場合、

肺気腫があったり、肺がんもあったり・・・と、すでに肺全体がかなり悪い状態で

正直、わたしもこれほど悪い肺はあまり見たことがありません・・・(汗)

今は、残っているわずかな肺の機能を使って、

なんとか呼吸を維持している状態なんですね。

そこにこの肺炎なので・・・現在の呼吸状態もあまりよくありません。」

 

と、非常に分かりやすく、説明をされた。

 

そして、この瞬間

 

「どうか父を入院させてください」などと、わたしが頼むまでもなく・・・・

父はその場で当然に「即入院」となった。

 

気が付けば、当直の看護師さん2人ほど、

そして最初に対応してくれた若い研修医らしき男性が

父のCT画像を見ながら周囲を囲んで、この医師の説明を一緒に聞いていた。

これほど悪い肺の画像はあまり見る機会がなく、興味があったのか・・?(汗)

 

 

医師の説明を聞き、父を入院させるための手続きや準備が進む中

父の状態の悪さとは対照的に、わたしは安堵の中にいた。 

 

不謹慎だけれど、この日・・・・

昼からずっとずっと不安な気持ちで過ごしていたわたしは、

この父を「肺炎」という立派な?病名のもとに、

後ろめたさもなく病院に託すことが出来る状態になったことに

心の底からホっとしてしまっていたのだ。

 

あの父を連れて暗がりの中、帰るなんて絶対に無理だった。

でも父は入院になった。。。医師のほうから入院を言い渡された。

 

今日はこのままひとりで家に帰ることができるのだ。

夜通し、父のそばについて見守らなくていいのだ。

父のことを心配して、何も手につかない状況にならなくていいのだ。

 

病院のスタッフのみなさんが、父の面倒をみてくれる。

その目先の安堵感でいっぱいになっていた。

 

それから煩雑な入院の手続きのために、いくつもの書類にサインをする。

ついこの間も、同じ手続きをしたばかりだ。

病室へと運ばれ、早速肺炎のための抗生剤の点滴が始まる。

 

入院というのは、本当に時間がかかる。

入院が決まってからの時間のほうがむしろ長いかもしれない。

 

一通りのことを済ませて、わたしが自宅に帰り着いたとき、

時計はPM11時を回っていた。

この日、昼食も夕食も食べていないことを思い出したが、それよりも眠りたかった。

 

本当に7月は次から次へといろいろありすぎた。

1日たりとも、気持ちが楽になる日はなかった。

肺炎のため、予定入院期間は2週間。

その間、少し楽になれるだろうか・・・。

 

父には本当に申し訳ないけれど、入院が決まったときの・・・

それがわたしの本音だった。