緩和な日々の始まりは。

バタバタしていてブログを書いている時間がなかったのだけど

ようやくなんとか・・・。

 

父は無事に予定通り緩和ケア病棟へと移動した。 

火曜日の午前中・・・車椅子に乗せられた父とわたしは

大部屋に置いていた荷物を荷台に乗せ、

呼吸器科病棟の看護師長さんにエレベーター前まで見送られて病棟を後にした。

看護師長さんが、笑っていいのか神妙な顔をしていいのか迷っているような

かろうじてわずかにひきつった笑みとともに

「どうかお大事に」と送り出してくれた姿が印象的だった。

その時点で、緩和ケア病棟へ移ることを父本人が理解していないこと、

緩和ケア病棟がどういうところかも理解していないこと・・・は

周囲にとっては気まずさがなくてよかったと思う。

わたしを含めて。

 

看護師長さんのその言葉には「もうこれが最後かもしれませんね」と

いう気持ちが込められていたのがよくよくわかった。

もちろん、わたしはそれを別に不快に思ったりなどしておらず、

むしろとってもサバサバしていた。

一時的とはいえ・・・

治療をしないのに入院させてもらっていたこの数日間の気まずさを思えば。

呼吸器病棟とのお別れ時は

治療をしないことを当然として、療養させてもらえる緩和ケア病棟に

受け入れてもらえることへの安堵感が勝っていた。

呼吸器科の看護師長さんにはお世話になりました、ありがとうございましたと、

お礼を何度も伝えて一旦お別れをした。

 

そして、緩和ケア病棟へ・・・と入っていくと、

今度はそちらの看護師長さんが、

ぱあっとひまわりが咲くがごとくの明るい笑顔で迎えてくださった。

初対面の時にも思ったけれど、やはりわたしはこの人が好きだなあ。

「作り笑顔」ではなく、

本当にこの病棟でのお世話にやりがいを感じているように見えるから。

 

父は・・・というと、まだまだ絶賛”せん妄”中。

薄暗く狭い、穴ぐらのような大部屋の片隅から、

突然だだっぴろく明るい個室に移ってきた刺激はあまりにも強すぎたようで

しばらく部屋を見回し、目はキョロキョロ泳ぎっぱなし。

そして開口一番

 

「ここの家賃は高いんじゃないのか?」

 

うん。やっぱり混乱している(汗)

父の担当になるという病棟看護師さん2人から挨拶を受けて、

いろいろ説明など聞く。

緩和ケア病棟は、患者の数も少ないので病棟は「本当にほかに入院患者がいるのか」

と思うくらいに静かなのだけど、看護師さんの数もその分少ないので、

おそらくすぐにスタッフ全員の顔と名前を覚えそうな気がする。

 

そして看護師さん2人は、父の年齢が年齢なので・・・一応誤解のないように

「もともとは認知症はありませんでしたが今回の入院からずっとせん妄を発症して混乱しているのでおかしなことを言うかもしれません」

と説明してお願いしておいた。

 

緩和ケア病棟に移って1時間もすると昼食が運ばれてきた。

この病棟で最初に感じた「違い」はその食事だった。

食事の量が少ない。

器自体がどれもこれも小さいので、

おそらく普通病棟の食事の1/2ではないかと思う。

ああ、この病棟では一般食を平らげる人ほど元気な人は少ないということなのかなと

・・・と思った。

一般病棟であれば、どんぶりのような器に盛られてくるおかゆも、

ここでは幼児用のお茶碗くらいのサイズだった。

(もちろん、本人に食欲があって要望があれば一般食に変わるのだろう)

父はその少ない食事を7割くらい食べて「ごちそうさま」とした。

器が小さいと、7割食べただけでも「ずいぶん食べたね~!」

となるから、この少量食は達成感があっていいかもしれない。

 

この部屋に移ってきてから

 

父「ここはどこ?」

私「ここは新しい病室だよ。移ったんだよ」

父「どうして?」

私「こっちのほうが広くてリラックスできるからだよ。」

父「へ~。どうしてこんなにいい部屋に移れたんだ?」

私「〇〇先生がこっちの部屋へどうぞ、って言ってくれたからだよ」

 

という会話を父と交わしたのだけど、

せん妄中の父はひと眠りするたびにこの記憶が毎回すべてリセットされていた。

なので、眠りから目を覚ますたびに、父は同じことを聞き

この会話はこの日だけで4回繰り返した(笑)

認知症の親と話すとこういう感じなのだろうか?

 

基本的に「低活動型」のせん妄状態だった父は、

ベッドの上でうとうとを繰り返すだけ。 

病棟を引っ越してきた初日で混乱するかもしれないから・・・ということで、

わたしはこの日は午前中から夕方まで、ずっと父の病室で過ごしていたのだけれど

わりとあっという間に夕方になり

夜間付き添いのためだけに、わざわざ東京から助っ人に来てくれる兄を

最寄りの駅まで迎えに行く時間になったため、

看護師さんに少し病室を抜ける旨を伝えて、病院を一旦離れた。

 

ほかの用事も済ませて1時間半後くらいに

再び兄とともに緩和ケア病棟まで戻ってくると

なんと

 

 

ナースステーションの前に父が立っている。

 

 

この光景には思わず漫画のように、二度見となった(笑)

絶対にいるはずのない人がいることの衝撃ってすごいんだな・・・と。

緩和ケア病棟のドアを開けた瞬間に、

病衣を着た人が数メートル先の視界に立っているのは認識していたのだけど

「よその患者さん」だと思って気にも留めず普通に通り過ぎようとした。

が、通り過ぎる瞬間にチラリと横顔を見た瞬間、それが二度見となった。

 

父はナースステーションの前で何をしていたかというと・・・

理学療法士さんとしゃべっていた。

しかも酸素もつけず、手ぶらで。

(酸素同伴ではないから、それが父だとは思いもしなかった)

 

「な、なにやってるの?!酸素は?!」

 

と思わず眉をひそめて、叱りつけるような大きな声が出てしまった。

理学療法士さんは

「”家に帰る”と言ってここまで歩いてこられたので、
いろいろお話をして(引き留めて)いたんですよ。」

とニコニコしながら説明してくれた。

 

家に帰る?!

 

ついさっきまで、ベッドの上で朦朧として

終始うつらうつらしているだけだった人だったのに

何が起こったのだ・・・?!

状況がよく飲み込めないまま、とりあえず興奮させないように・・・と思いなおし

父を優しく説得して「お部屋に帰ろうね」と促すと、

素直に応じたが、さすがに酸素のない状態が長かったせいで

「くるしい」と、廊下の途中で立ちすくんでしまった。

あと5mほどだったので「がんばって」と体を支えて部屋まで連れ戻し、

すぐさま酸素吸入をさせると、父はよほどの疲労だったのだろう

ベッドの上にバタンとあおむけに倒れると、そのままあっという間に寝入った。

 

看護師さんがやってきたので何があったのか詳しく聞くと、

わたしが留守にしている間に目が覚めて、

「どうやら何かスイッチがはいってしまったようで」

父が酸素のチューブを鼻からもぎ取り、

病室から出てふらふらとナースステーションまで歩いてきたのだそう。

家に帰ると言ってきかないので、

なんとか話をそらして別の会話で時間をつぶしていた・・・ということだった。

 

トイレ以外ずっと寝たきりだった父が

突然にそうやってナースステーションまで歩いたということも驚きだったが

(父の病室からナースステーションは10mくらいだが今の父にとっては相当な距離)

 

わたしは、父が無酸素状態だったことがとても気になっていた。

父は常時酸素が必要な病気であることは当然病棟のスタッフの方も

わかっているはずなのに・・・と、ちょっと怪訝にも思い

さりげなくそのことを聞いてみると

 

この病棟では、

「患者さんがイヤがることはできるだけしないことになっているんです。」

という返事が返って来た。

特にせん妄状態の患者の場合は、会話がかみ合わないので

酸素を執拗に勧めることはかえって本人を刺激して興奮させてしまうので

あえて無理強いはせずに、見守りに徹するのだそう。

もちろんほったらかしという意味ではなく、危険のないことを見守った上で

本人が落ち着いたところでさりげなく「酸素吸いましょうか?」と促すと。 

 

これが一般病棟であれば、酸素を外してフラフラしていたら

「〇〇さん、ダメですよ」と看護師さんから注意される場面である。

病室から出歩かないように

ベッドの四方を柵で囲われてしまう「拘束措置」がされると思うし

何度も何度も酸素を外してしまうと、ミトンを付けられても文句は言えない。

それが緩和ケア病棟では

どこまでも「温かく見守る」というスタンスだった。

 

酸素については、自宅にいるときから何かあると外す癖がついていたから

わたしも半ばあきらめ気味だったので、看護師さんの説明にも納得。

むしろ「ああ、外しちゃってもイライラせずに見守ってOKなんだ」

と、その言葉に妙にホっとする気持ちになった。

 

・・・というわけで、

緩和ケア病棟へ移った初日は、こんなふうに日が暮れていった。

 

やっと・・・・父が居るべき場所に落ち着いて、

わたしも少しばかり肩の荷を下ろして平穏な日々を送れる予定だった。

 

そう、予定だった。

 

(長くなったのでつづきはまた)