そういう運命。

先日も書いた通り、この病院の緩和ケア病棟では

入院初日にはどの家族にも必ず1晩病室で付き添う決まりがあるという。

まあ、わたしが泊ればいい話なのだけど

退院後から始まった1日2回の通い介護からずっと父のことにかかりきり。

もうずーーーっと、自宅でも病院でも「この先どうしよう」と

結局、頭の中を父のことで支配されている状況がずっと続いていて疲労感はMAX。

そのうえ泊ってくれだってぇ・・・・?と、

正直、あまり気が進まなかった。

なので、兄に打診してみたら快く付き添いを引き受けてくれると言ってくれたので

ちゃっかりお願いしてしまったわけだが・・・・。

ここからが、いろいろと全く想定外のことの連続になった。

 

初日の夜を兄に託して

わたしはほんの一瞬、久しぶりに頭を空っぽにして眠ることができたのだけど

兄は翌朝すぐに東京へ戻るというので、

朝には病院へ行かなければならなかったわたし。

そう。兄をまた駅まで送るためにね・・・(汗)

できれば兄には2~3日残って欲しいのが本音ではあったけれど

現実的な問題・・・・兄はペーパードライバーであるため

実家⇔病院までの行き帰りすら、わたしが送迎しなくてはならない。

この日の朝だけでも、

自宅ー(40分)-病院ー(30分)-最寄り駅ー(25分)-自宅

・・・と、兄を病院まで迎えに行って駅まで届けて自宅に戻る・・・という

それだけでもこれだけ時間がとられた・・・。

 

 つまり、兄に来てもらうということは、

父の面倒を半分任せられるという面では楽になるけれど、

移動のたびにわたしが運転手にならなくてはいけなくなるため、

入院中に来てもらうことは、必ずしも総合的には自分の負担軽減にならず

楽になるけど楽じゃない・・・というジレンマを味わうことになる。

  

ここから先は兄に聞いた就寝中の話。

 

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

前日夕方、わたしたちが留守にしている間に

ナースステーションまで歩いていってしまった父は、

酸素吸入とともに眠り込んでしまい、

(わたしはその間に病室を後にした)

結局、夕食も摂らないままに夜9時まで眠り続けたとのこと。

夜9時に、寝る前の薬を飲ませるために看護師さんがやってきて、

無理矢理起こす形で薬を飲ませると、再び眠りについたとのこと。

ところが、それから1時間すると

父がムクリと起き出して、ベッドの上に腰掛けた状態で

〇〇に書類を届けなければいけないだの(※会社員に戻っている)

ちょっと隣の様子を見てくる、と言ったり

そろそろ家に帰ろう、と言ったり・・・

個室の部屋の中をウロウロしはじめたという。

酸素のチューブで壁からつながっているので、室内を歩き回るには限度があったが

チューブのせいで歩けないと気が付くと、鼻からチューブを外してしまい

もうその後は自由に部屋をウロウロし続けたという。

それを制しようとすると、攻撃的になるので兄はあえて口を出さず

ただ座って見守っていたという。

そのうち、部屋の外へ出て「帰る」というので、

兄はそれに付き合って一緒に廊下に出た。(もちろん、酸素は吸っていない)

父の場合「帰る」と言ったところで、病院の出口にたどり着く前に

呼吸苦で動けなくなる事は確実だったこともあり

とにかく父の気が済むように・・・と、廊下を歩かせたらしい。

そして案の定、息苦しさに気が付くと力尽きて歩けなくなるため

兄が支えて部屋に戻り、やっと酸素を吸ってベッドに倒れ込む。

で、しばらくするとまた記憶がリセットされて「帰る」と言い出して

部屋の外へ・・・・。

と一連の動きを、だいたい1時間半くらいの間に何度も繰り返していたという。

最終的に午前0時頃になるとようやく疲れ果てたのか深い眠りにつき、

その後はなんとかそのまま朝まで眠ってくれたとのこと。

しかし、朝ごはんが運ばれてくると

「こんなまずいものが食べられるか」とまた不機嫌に。

「ちょっと文句を言ってくる」と言って、またナースステーションまで歩いていき

(※もちろん兄も付き添って)

そこまで行ったものの目的を忘れてしまい、うま~く誘導されてまた病室へ戻る。

朝食は食べないままにまた眠りに・・・。

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

 

・・・とまあ、こんな一晩だったらしい。

「初日の夜は不安になる患者さんが多いので」と看護師長さんが言ったことが

父には想定していた以上の形で当てはまったことになる。

 

「せん妄」自体は今までも何度も経験している。

けれど、それらはすべて「ベッドの上で妄想や記憶違いのことを話し続ける」

という程度のかわいいもので、こちらの負担になることはなかった。

それだけに「徘徊」という事態は、前例がなく驚くばかり。

しかも、前日までほとんど無気力状態で

ぐったりと1日ベッドの上で寝てばかりだった人が・・・・!だ。

 

 

兄を駅まで送って一旦自宅に帰ったものの、

父のせん妄状態が心配であったことと、

長期療養できるわけではない緩和ケア病棟を「退院したあと」どうするか?について

ケアマネさんに相談もしたかったので、

3時間後にはふたたび病院へと向かっていた。

 

病室のドアを開けると、父が酸素なしに立ち尽くしていたのでびっくり。

何をしているのかと聞くと、「家に帰る」と言う。

けれどそれは、自分の今の状況を理解しているというのではなく、

「本能」だけでそう言ってるだけなのは明らかだった。

 

少しイライラと言葉も攻撃的だったので、ソファに座らせて話を聞き

穏やかに穏やかに、話して落ち着かせた後にさりげなくベッドに誘導し、

なんとか寝かせることに成功。

まるで大人の事情がわかるわけのない幼児をごまかしごまかし・・・

寝かしつけるような気分である。

 

やれやれ・・・と思っているところへ、

病棟の看護師さんがやってきた。

 

「すみません、ちょっとお話があるのですがいいですか?」

 

何やら改まってイヤな予感である。

 

カンファレンスルームに通されて、看護師さんと向かい合う。

 

話はやはり・・・というか、父の徘徊についてだった。

前日夕方の件(←兄を迎えに行って帰って来た時の)までさかのぼり、

また前夜の徘徊についても(←兄同伴の徘徊)姿を目撃して把握しており

 

いろいろ前置きしてからの

 

「私たちが一番危惧していることは、目を離した隙に、

お父様が病棟から出て行ってしまうことなんですね。

病院から出て行ってしまうことはないとは思いますが、

それ以前に倒れてしまう可能性もありますし、どちらにしてもとても危険です。

日中はスタッフの数も多いのでなんとか対応できますが

夕方から夜にかけては、看護師2人で対応するため

どうしても、お父様だけに気を配っていることができません。

それで、娘さんには本当にご負担かと思いますが

スタッフが手薄で一番忙しい時間帯・・・

なんとか毎日夕方5時~夜21時までの間と

病院が休みの日(土日祝日)には朝7~9時も・・・

お父様への付き添いをお願いできないでしょうか?

 

まさかのお願いだった。

 

1日2回、朝晩の父宅への通い介護が続き

「こんな生活はとても続けられないぞ」と思ってケアマネさんと相談を重ねて

ようやく緩和ケア病棟への入院が叶い、

少しだけ息をつけるものと思っていたら、

 

ここでも夕方から夜まで付き添うことになるだなんて・・・!

 

目の前の看護師さんは、

当然わたしが入院するまで1日2回の通い介護をしていたとは知らずに

この依頼をしている。

わたしは、このあまりに皮肉な・・・ジョークですか?と言いたいような展開に

ガックリくるのを通り越して笑いが出てしまった(笑)

いやほんとに。

 

看護師さんが付き添いしてほしいと指定したその時間帯は、

スタッフの数も少なく、また各病室を巡回しなければならない時間で

ナースステーションが留守になるため

父がふらふらと病棟から出ていくようなことがあっても

気づくことができないという理由だった。

 

看護師さんの話はいちいちごもっとも・・・だし、

わたしが隣市から通っていることも理解した上で

とても丁寧な態度で頼んでくれているものだったので、

嫌な気持ちになることは全くなく、

徘徊なんてこれが初めてなんです・・・と、チラリと言い訳しつつ

とにかく「面倒かけて申し訳ありません」という平謝り状態だった。

 

そのほかにも、話し合った結果・・・

これまで父のベッドの足元に置かれていたセンサーマットも、

病室の出入り口のところに設置場所を変更しましょうということになった。

これも、看護師さんの負担を減らすためである。

 

つまり、今までは

「ベッドから降りただけでセンサーが反応して看護師さんが飛んでくる」

という状態だったものを、

「もうこの際、室内の徘徊はOKということにしましょう。
廊下に出てしまったときだけ対処しましょう」

・・・と、そういう対応に変更することとなったのだ。

 

わたしに異論はなかった。

もともと、「患者を出来る限り拘束しない」というのが

緩和ケア病棟のスタンスであるから、

一般病棟のようにきっちり患者を管理してほしい!

と思う家族は利用するべきじゃないかもしれない。

 

わたしとしては、途中で一時退院することはあっても、

最期までこちらでお世話になりたいともう決めている。

・・・というか、事実上・・・療養病院への転院以外、行ける場所は他にはもうない。

そういう、先々のことを考えるとやはり「面倒な家族」とは思われたくないという

気持ちも手伝って、協力的な家族でいなければ・・・と思った。

 

看護師さんに迷惑はかけられない。

だから、父が酸素を外してしまったり、徘徊によって転倒のリスクがあっても

それはもう自己責任でいい。

  

大前提として、父を24時間体制で医療的ケアをしてもらえて

緩和ケア病棟・・・という、終末期だからといって

どんな病気の人でも入れるわけではない病棟で看てもらえるだけで

どれだけわたしたちが助けられているかを思えば・・・・

それに替えられるものはないという気持ちだ。

 

 

・・・・と、そんなわけで

わたしはまた

毎日夕方から夜21時まで病院に通う日々を始めております(汗)

 

たぶん、いろいろとそうなる運命なんだろうなーと

もはや開き直りです。

 

 がんばりますよ。