難しいこと。

昨日の記事をUPしてから、それを自分で何度も読み返していて・・・

それを読めば読むほどに

「わたしが頑張ればよかっただけの話なのに」

という思いで頭の中がいっぱいになってしまいます。

たぶん、記事を読んだ人の中にも

「仕事してないんだし、子育ても終わったんだし、いくらでもお父さんの面倒を見る時間はあるはず。大変とか、しんどいとか、騒ぎすぎ。お父さんがかわいそうでは?」

と思った人がいるだろうなあ・・・と、

そんなふうにも。

 

片道30分の距離を毎日2往復というのは、

体力的にもきつかったことは確かなのですが、

それよりもやっぱり・・・

続けられないと感じた一番の理由は感情面・・・精神的なものだったと思います。

キレやすく、わがままで注文の多い性格の父と近づきすぎることは

自分にとっては難しいことでした。

もともと、父が元気だったころは、

父とうまくやっていくために

あえて近づきすぎないように一定の距離を保って付き合うようにしていました。

 

けれど、病気が進行するにつれて、そうはいかなくなり・・・

昨年の介護認定から週3回は通うことになり、

それだけでもわたしにはキツいことだったのが、

春ごろからは、ほぼ毎日通わなくてはいけない生活になり、

それがついには、今回のように1日に2回。

本来、距離を置くべき相手に近づきすぎてしまう生活を続けてきたことで

もうとっくに、精神的な部分では限界を超えていました。

 

たとえば、梅干しを買ってきてくれと言われます。

「高級」が大好きな父なので、売り場で一番高い梅干しを探します。

これだと思って買ってきます。

「味がしない」

とダメ出しされます。

塩分が足らないためでした。

それじゃあと思い、塩分10%の体に悪そうな梅干しを買います。

しかも粒が大きくて立派なやつです。

「1粒が大きすぎる。もっと小さい手ごろな大きさのやつにしてくれ」

と、言われます。

そしてわたしはまた買いなおしに行くのです。

 

万事がこの調子で、少しでも「自分基準」に合わないものはきっぱり拒絶されます。

そういうことの繰り返しが、

じわりじわりと心の中にストレスを蓄積していったのです。

わたしの身体や、わたしの生活、夫のこと、

なにひとつ気遣ってくれることもなく、

「明日は何時にきてくれるんだ?」と

当たり前のように、平然と言われることもだんだん苦痛になってきてしまいました。

父親に対して深い愛情があれば、どんなことも耐えられたと思うけれど

わたしの場合・・・兄弟も含めて

「子としての責任を果たす」というそれだけに支えられてやってきたことでした。

けれど責任感と感情のはざまで日に日に苦しくなりました。

 

夜クタクタに疲れて帰宅するも、一瞬で朝を迎える生活。

起きると同時に「ああ今日もまた行かなければ」と思い、同時に動悸がしたり、

腹痛や吐き気をもよおしたり・・・。

こんなことでは自分が病院に通うことになるのでは?と・・・

本当にそれが一番でした。

 

退院してから家で過ごした2週間。

そのうちわたしが面倒を見たのが10日間。

薬の管理ができない、

食事がほとんど摂れない、

どんなものなら食べてくれるのか?もわからず、毎日悩んでいたし

トイレへ行く以外何も身の回りのことができない、

酸素も外してしまう・・・。

 

 

客観的に見て、誰もが「ひとり暮らしは限界だった」と思う状態だった気がするし

実際、ケアマネさんも、訪問看護師さんもみな・・・・

「本当によくやっていたと思います」と

罪悪感に悩むわたしに、優しく言ってくださいました。

 

夏の間の入院で顔なじみとなった、病棟の看護師さんは

今回の再入院でわたしと再会したときに

わたしの背中にそっと手を当てて

「やっぱり家では大変だったね。」

と言ってくれました。

 

そういう周囲の温かい言葉になんとか励まされて

自分の判断は間違っていないはず、と必死で思おうとしているものの

 

退院して2週間・・・・

少しだけ足腰はしっかりして、退院直後は伝い歩きしかできなかったのが

今はなんとか掴まらずに歩けるくらいには戻った身体を

この入院によって、きっとまた後退させてしまうのだと思うと

そこに罪悪感がつきまとって離れません。

 

休養のための一時的な入院なので、おそらく1~2週間でまた退院になるでしょう。

けれど、入院生活は高齢者にとって「寝たきりを作る場所」でもあります。

父は、栄養状態は多少改善されたとしても、

きっとまた、伝い歩きしかできない身体に戻っているでしょう。

 

そう考えると、本当にこれでよかったのか?

わたしが頑張れば自宅暮らしを続けさせることはできたのに・・・

と考えてしまいます。

「最後の一人暮らしのチャンス」を、

わたしが簡単にあきらめさせてしまったのでは・・・・と。

 

まだ自分の判断に自信が持てないままで葛藤し続けています。