決め手になった言葉。

介護区分変更の依頼電話を現在の担当さんにかけたのはちょうど8月13日のこと。

土・日・月・・・の休み中に、父の状態が思わぬ回復を見せたので

前記事にかいたとおり、ひとりで考えて考えて考えて・・・

使うかどうかはともかく、申請するなら早いほうがいい、と考えて

連休明けを待って担当さんに電話を入れた。

 

「使うかどうかはともかく」と書いている通り・・・

実はこの時点ではまだ「父を自宅へ戻す」と自分の中でハッキリ決めたわけでは

なかった。

むしろ、これから再び始まる父の暮らしを支えていくことに不安しかなくて、

療養型病院に転院・・・とはならないだろうか・・・?と、まだ考えていたから。

 

13日の朝いちばんで、包括支援センターの担当さんへ電話を入れ

そのすぐあとに、病棟の相談員Sさんにも区分変更依頼をすることを報告した。

なぜなら、Sさんとは「転院」前提で話を進めてしまっていたから、「転院」よりも

「自宅」の可能性が高くなったことは早めに知らせねば・・・と思ったため。

 

そして翌14日の朝。

今度はSさんのほうから電話が入った。

何か問題でも起こったのかと思い、ドキドキして電話に出ると

主治医からSさんのほうへ、相談があったという。

父の肺炎の治療(抗生剤の点滴)は先週末で一応終了して、肺炎は完治。

もう治療としてはすることがないけれど、今後どうしましょうか?と。

 

主治医から相談員Sさんへのこの言葉には理由があって・・・。

 

これまでの入院については、治療が終わった時点で主治医から父本人へ直接

「いつでも退院していいですよ」の話がされてきた。

けれど、今回については父の退院後の行き先(一人暮らし可能かどうか?)が

流動的だったために、

「家族(わたしのこと)と今後のことを調整するまでは
本人に退院の話はしないでください」

・・・と、

Sさんが主治医にお願いしてくれていたのだった。

 

先月の1週間の入院のときもそうだったけれど、

主治医が「いつでも退院していいですよ」と言ってしまうと、

父は大喜びで「じゃあ明日退院します」と勝手に返事をしてしまうからだ。

ひとりで十分暮らせる状態であればそれも問題ないけれど今は違う。

家族が「転院させて療養させたい」と裏で話し合っている最中に

父に勝手に退院の日を決められてしまっては困るわけで・・・。

家に帰るとしても、

父の生活が成り立つように介護&看護サービスの体制を調整しなければならないので

父の一存で「では明日」とはいかないのだ。

 

で、Sさんのほうから

「・・・ということなんだけど、どうしましょう?(汗)
(一人暮らし継続か?療養型病院へ行くか?はたまた施設か?)」

と、わたしのほうへ慌てて電話があったということ。

 

むしろそれはわたしが先生に聞きたいことだった。

「お医者さんの立場から、今の父は一人暮らしが可能だと思いますか?」と。

 

なので、主治医の意見が聞きたい旨をSさんに話し

Sさん経由で主治医との面談の場を急きょその日のうちに

セッティングしてもらえることになった。

 

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今回の面談にはSさんも同席してくれた。

主治医からは、肺炎自体はきれいに完治したとの報告を受けて

今後どうしますか・・・?の話。

 

わたしはそのままストレートに

「ひとり暮らし大丈夫なんでしょうか?」

という不安を主治医にぶつけた。

 

主治医からは

「もちろん、ひとり暮らしのリスクはあります。就寝中などに酸素が外れてそのまま

突然死・・・という可能性は十分にあります。

実際わたしの患者さんで酸素が外れたまま庭に出て、

低酸素状態になって倒れて亡くなっていた・・・なんていう方もいましたし。」

 

と、ちょっと怖い現実を聞かされた。

そして、肺の状態は前から言われている通りボロボロなので、

普通の人よりも感染症にかかりやすいこと、

そのためいつまた肺炎にかかってもおかしくないし、

肺炎を繰り返す可能性が高いこと

もちろん肺がんのほうも進行しているので、

いずれは寝たきりになるであろうこと・・・。

 

楽観的な話はひとつもなかった。

わたしのほうも、そういう厳しい先の見通しは覚悟の上なので、

主治医の言葉に動揺することは全くなかったけれど・・・・

そういった先の見通しについて、一通り厳しい話をした後で

わたしが聞いた「ひとり暮らしは可能なのか」という問いに

答える形で主治医が言った。

 

「ハッキリ言って、余命もかなり限られている状況ですからね・・・。

なので・・・ご本人が施設には行きたくなくて、

家へ帰ることを希望しておられるのであれば・・・

いろいろリスクはもちろんありますが、

本人の気持ちを尊重して、自宅へ帰してあげてはどうですか。

これが最後になるかもしれません。

次に入院になったときはもう、

おそらく今度こそ、一人暮らしは無理になると思いますよ。」

 

父をもう一度自宅へ帰す・・・と、

わたしに決断させたのは、その覚悟をさせたのは

実はこの主治医の言葉だった。

 

「家に帰してあげたら」というこの言葉を、

もしも兄弟や・・・別の誰かから言われていたら

「わたしの苦労も知らないで無責任なことを言わないで」

と、反発する気持ちが沸いたに違いないと思う。

 

けれど、常に淡々として、どちらかというと「情」というものを感じ取れない

このドライ(に見える)主治医から、

その雰囲気とは裏腹に人間らしい・・・というか

年老いた余命の少ない父の心情を思いやっての言葉が出てきたことが

あまりにもその時のわたしにとって予想外なことで、

胸の奥にヒヤっと冷たいものを感じるくらいの衝撃だった。

 

本当なら立場的には、家族であるわたしのほうが感情を優先して

「父の希望をかなえてやりたい」と言い、

主治医は退院後に自分の患者がどこへ行くかなんて問題に

意見を言うことはないことが一般的なはず・・・。

まして、この主治医がそんなことを言うとは全く考えもしないことだった。

 

けれど、このときのわたしは

この2か月余りの間に起こった父の変化と自分の負担に心身疲れ切っていた上に

この先も一人で父のことを支えて行かなければならないという重圧のほうばかりで

気持ちがいっぱいいっぱいで・・・・

父の気持ちを汲んでやるだけの心の余裕がなかった。

だから、本当は主治医から

「ひとり暮らしは無理では?」と言ってほしいとすら思ってこの場にいた気がする。

 

そういう見解をもらうことができれば、「主治医もそう言ったのだから」という

言い訳のもとに、わたしは後ろめたさを感じることなく、

父を療養型病院か施設へ移すことができたはずだったからだ。

そうやって、病気の父を支える不安から解放されて、

わがままな父の身の回りの面倒を見る負担からも解放されるはずだったからだ。

 

主治医から出てきた言葉は

目の前のことに必死で、すっかり心の余裕をなくしていたわたしとは違い、

冷静に、父の気持ちを汲もうとしているものだった。

 

 

主治医が言った「これが最後かも」の言葉が胸の奥へとグサリと刺さった。

 

わたしは、父の置かれた現実のことを・・・・

わかっているようで、全然わかっていなかったのかもしれない。

自分のことに必死すぎて、父の最後のチャンスを奪うところだったのだ。

 

今ならまだ帰れるのだ。

今ならまだ。

 

情けないことに、わたしは家族でも何でもない主治医から言われるまで、

そんなふうに父を思いやる気持ちを忘れてしまっていた。

自分がこの重圧から逃れたいという気持ちばかりに捉われてしまっていた。

主治医から言われた言葉は、

本来であれば、娘であるわたしが自分で気づかなければいけなかったことだ。

 

主治医は、自宅へ戻してやることを推奨するといっても、

退院を迫るようなつもりで言っているわけではなく、

それどころか、

自宅へ帰るために病院でこのままもう少しリハビリを続け、体力を回復させ

介護の認定調査その他、退院後の介護サービスの体制が整うまで

もう2週間くらい入院を続けてもいいですよ、とまで言ってくれた。

 

その場に同席していたSさんも、一緒に喜んでくれた。

本来ならば(治療が終わっているという意味で)いつ退院を迫られても

おかしくない父なのに

主治医のおかげで、父が入院を延長してもらう間に、

しっかり退院後の介護の体制を調整する時間が確保できることになったからだ。

 

相変わらず、無表情で淡々としているので、話しかけづらい人なのだけど(笑)

実はものすごく丁寧に患者の背景まで考えてくれるいい先生だったんだな・・・と、

この主治医の良さを、はじめて心底感じ取った気がした。

(ただし、こんなに温かいことを言ってくれている間も、この主治医に一ミリの笑顔もないというね・・・なぜ笑わないんだろ?)

 

この主治医との面談、主治医から言われた言葉で

わたしも不安にばかり捉われていないで、覚悟を決めようと思った。 

 

父の一人暮らしの限界は、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。

 

1か月先の体調すら、まったく予想がつかない。

 

父が今のレベルで動ける残り時間も、もう限られているだろう。

 

覚悟を決めて、行けるところまでがんばるしかない。