ここからはようやくリアルタイムの話になります。
日曜日の夜に入院してから、気が付けば今日で6日目。
入院後の父の様子は・・・?というと、
さっぱりわからない。
【月曜日】
入院翌朝の8時。面会時間は午後1時からだと知っていたけれど、
この日は朝いちばんに父の薬を病棟に届けなければいけなかったので、
そのついでに病室を覗かせてもらった。
(※個室なのでほかの患者さんへの迷惑にはならないと思い・・・)
すると、驚いたことに、父は前夜とは別人になっていた。
表情も明るく、自分の状況もしっかり認識して、会話もちゃんとできている。
熱もすでに平熱に戻っているというではないか。
「ああよかったねぇ~」と、父に笑顔で語り掛ける一方で・・・
わたしの心の中はものすごく複雑だった。
抗生剤がぴったり合って、素早く熱が下がったのは本当に喜ばしい。
パッと見、めちゃくちゃ回復している。
しかし、そのことにわたしはとても戸惑っていた。
「どうしよう?退院が予定(2週間)より早まったら?!」と。
前回の入院は「薬の影響による傾眠と衰弱」という、
一時的な全身状態の悪化による入院だったために
入院期間も1週間・・・とあっという間だった。
けれど、退院後も「傾眠」がなくなった以外、食欲がなかったり吐き気があったりと
体調はずっとグズグズとくすぶった状態が続き・・・・
毎日、それはそれは気が滅入る思いで父の元に通っていたので
同じ生活が来週にも、すぐまた戻ってくるのでは?と、不安でならなかった。
肺炎だけが治って、足腰ガタガタ(一人でトイレにも行けない)状態で
退院を勧められたらどうしよう・・・???と、
明るい表情の父を見ながら、複雑になる心。
父はこの10年で何度も肺炎を起こして入院してきたが、
去年までは「退院後」のことなど心配したことがなかった。
毎日の病院通いが面倒で、「早く退院してくれないかなー」とのんきに思っていた。
退院後、多少体力は落ちていても、
日にち薬で元通りの生活に戻っていくことができたからだ。
が、去年の秋、重症の肺炎で在宅酸素になった時を境に状況は変わった。
以前は週3日で済んでいたけれど、
気が付けば1か月前からは毎日父のもとへ通っているし、
今後も毎日通い続けることになるだろう・・・。
そして、過去の入院時は「あ~あ。毎日の病院通いめんどくさい」
などボヤいていたのが、
今は、「同じ”毎日”なら病院へ通うほうがずっとマシ」と思ってしまっている。
なぜなら、病院に預けている間は「父のことは自分がなんとかしなければ」という
責任を負わなくて済むからだ。
体調は悪くないか?、食事は摂れているか?、
食べられないなら何か食べられるものを用意しなければ、
放置される残飯にはあっという間にコバエがたかる、こまめに処理しなければ、
薬は飲めているか?、酸素はちゃんと吸っているか?
夜はどうしているだろう?電話しても応答がない、LINEしても既読が付かない!
大丈夫か?ぐったりしているんじゃんだろうか?
・・・・・という、
そういう日々の不安から解放されて、
すべて病院にお任せてできる安堵感に浸ってしまっているのだ。
「元気になってほしい。でも入院はもう少し長めでお願いしたい・・・」
という、今まで経験したことのない感情は、
そんな「父を看る責任」から逃避したがっている自分がいるせいだと思った。
朝は簡単に顔だけを見て、その日は午後の面会時間にもう一度病院を訪れて
そのときは1時間くらいじっくり父を見舞った。
帰りに、ナースステーションを覗くと、奥に主治医の背中が見えた。
けれど、(看護師に)呼びだしてもらう勇気がなく・・・
その日は素通りして帰って来た。
(いい先生だとは思っているけれど非常に声をかけづらい雰囲気の持ち主なので、本来はとても苦手な先生なのだ)
【火曜日】
父は前日にも増して元気になっていた。
入院当日、月曜日・・・と、おむつを付けていたけれど、
この日は朝からフラつきながらも自分で室内のトイレにも行けるようになったと
居合わせた看護師さんから聞き、そのことには本当に安堵した。
入院時には足腰立たない状態だったので、そのまま入院になってしまうと
ますます弱ってしまうのでは・・・?と懸念していたからだ。
トイレ問題はわたしにとって深刻で・・・
退院後の父の行き先(自宅か?療養型病院か?施設か?)を左右する。
最低限、トイレさえ行くことができればひとり暮らしは継続できるだろう。
しかし・・・この日も、帰りにナースステーションに主治医の姿を見つけたが
情けないことにやっぱり声がかけられなかった。
どうして声をかけられないのか自問自答してみたけれど
一番の理由はやはり、
「父の目覚ましい回復ぶりに、”1週間くらいで退院できるでしょう”など
あっさり言われてしまうのがコワイ」
ということだった。
早々に退院の話が出てきたらどうしよう・・・?と、それを恐れて
この日も主治医に声をかけられず、結局そのまま帰ってきてしまった。
何か問題があれば主治医のほうから家族への面談の希望があるはずだし、
それがないということは、順調っていうことなのだろうと・・・と、
自分に言い訳しながら。
(※ちなみに主治医自身はちゃんと毎日父の病室を覗いて声をかけてくれているそう。ただ父の記憶力がヤバイので、なんと言われたか?聞いても答えらえず・・・な状態)
【水曜日】
ところが・・・この状況は翌日になって一変した。
水曜日、父の病室を訪ねると、酸素が鼻チューブから、マスクに変わっていたのだ。
酸素の流量を見ると、前日まで「3L」だったのが「5L」になっている。
酸素の流量が増やされているということは、呼吸状態が良くないことを示す。
ちなみに、普段は「安静時は1LでOK」という処方なので、
入院時に3Lになっていただけでも、いつもより悪い状態だったのに、
肺炎が順調に回復していっているはずの入院から4日目にして、
それが5Lになっているということは
あまりいい状態ではないはず・・・・。
しかし、それとは対照的に本人は上機嫌でこの日はとてもよくしゃべったので
気にしなくていいのかな?と、前向きにとらえた。
・・・というか、そこは看護師さんや先生が対処してくれることなので
自分が必要以上に心配しなくていいところだ、と言い聞かせた。
【木曜日】
昨日は日中のうだる暑さをさけて夕方に父のところへ。
前日まで「5L」だった酸素量がどうなっているか?心配だったが、
状況は前日よりもさらに悪くなっていた。
通常のマスクからさらに1段階上がって、「リザーバーマスク」という
マスクの先にビニール袋がぶら下がっているタイプのものに変わっていた。
↓(こういうもの)
酸素吸入は、必要な酸素量が増えるにつれて、
マスクの形がどんどん重装備になっていく。
リザーバーマスクを着用していることに驚いて流量を見ると、
この日の酸素流量は「10L」になっていた。前日の倍である。
前日まで元気だった父もさすがにぐったりして口数も少なく、元気がない。
わたしが胸騒ぎとともに父を見守っていると、そこへ看護師さんがやってきて
「今日、酸素5Lでトイレに行こうと動いただけで、どういうわけか
SpO2が一気に80まで下がったので慌てて10Lにしたんです。
今落ち着いてきたのでまた5Lに戻しますね。」
と説明してくれて、その場で流量は下げられたものの、
通常のマスクにするとどうも数値が下がる・・・ということで、
このリザーバーマスクは継続となった。
呼吸状態は改善されたようだけど、父の見た目に変化はなく、
この日はトイレへも立てず、ベッド上で尿瓶で用を足しているらしかった。
順調に回復をたどっていて、
この分だと予定よりも退院が早まるのでは・・・?と焦る気持ちだったのが、
一転して今は、「これ、大丈夫なのか・・・?また元の酸素量まで戻れるのか?」
と回復できるのかどうか?のほうへ心配事が入れ替わっていく。
肺に問題のない人であれば、肺炎になっても、
炎症さえ収まれば何事もなかったような状態になって退院ができる。
けれど、父のようにもともと肺に重い病気を抱えている人の場合、
肺炎を起こすことによって肺の基礎体力がさらに奪われて、
肺そのものの状態が悪化すると言われている。
裂け目のあるスーパーの袋に重い荷物を入れるとさらに裂け目が広がって
さらに耐久性がなくなるのと同じようなもの。
父が、昨年秋の重い肺炎をきっかけに在宅酸素やむなし・・・となったのもそれ。
そして今回、新たな肺炎によって、さらに肺を痛めつけることになっているため
おそらく、入院前と同レベルまで肺機能を戻すことは
不可能なんじゃないかと思われる・・・あくまで推測だけれど。
なんて娘なんだろう。
つい2~3日前まで、「あまり早い退院でも自分が困る・・・」と思っていたくせに
体調が悪化したら今度は「これ良くなるのか?悪化してない?」と
オロオロしてるのだから。
昨夜は、もしかしたら急性増悪もあり得るのでは・・・?と怖くなり
病院からの緊急連絡があるかもしれないと思い、
夜寝るときも携帯をマナーモードにせずに眠った。
この日は主治医が不在の日だったが、
そろそろ、主治医を避けている場合ではなく、
一度きちんと現状を説明してもらわなくてはいけないと反省。
今日主治医を見かけたら、ちゃんと声をかけよう。
もし会えなくとも、
看護師さん経由で、一度説明を聞きたい旨、伝えてもらおうと思う。