ひとつずつ、受け入れてゆく。

改めて言うのもなんですが・・・

このところのわたしは、表面上は普通に暮らしているものの

精神的にはわりと不安定で、

ああもうだめだーーーーーと奈落の底に落ちてみたり、

いいや、まだまだここでへこたれてどうする!と、自分に喝を入れて

這い上がってみたり・・・と、浮き沈みが激しいところがあります。

なので、本音で綴っているブログには、そんな不安定な感情があふれるので

ときに泣き言を書いたり、ときに前向きになったり・・・と

上がったり下がったりすると思いますが、

どうか温かい目で読んでくださるとありがたいです。

 

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前記事にも書いた通り・・・

食事問題については昼の配食サービスはあきらめる、夕方の配食サービスは

わたしが毎日受け取るために父のところへ通う・・・という形を

解決策とすることになり、

今日、父のところを訪ねたときにそのことを説明して聞かせた。

すると、父はその結論を思いのほか喜んだ。

 

父「オレが望んでいたとおりになってうれしいなあ。」

 

私「望んでいた?」

 

父「ああ。ドライバーと顔を合わせるのはイヤだった。だからもうそれをしなくていいのはうれしい。」

 

私(そんなに嫌だったのか・・・)

 

父「それにしても・・・大変なことだなあ・・・お前には。」

 

私(少しおどけて)「そうだよぉ~、大変なことだよぉ~?」

 

父「迷惑かけてすまんなあ。」

 

私「まあいいよ。できるだけのことはするから。ただ・・・体調が悪くなったりして家では大変だとなったら・・・また病院にお世話にならなくちゃいけないと思うから。そのときは・・・受け入れてほしい。」

 

父「そうだな・・・。」

 

私「あと、自分でトイレへ行けなくなったりしたら・・・やっぱり病院に入院するしかないと思うよ。」

 

父「そうだな・・・。」

 

私「それから・・・。お願いなんだけど、家に帰ってからも紙パンツをそのまま
使ってくれないかな。」

 

父「ああ、いいよ。」

 

私(ホッ・・・)「今は大丈夫だと思うけど、体調が急に悪くなって、ベッドから動く元気がないときもあるかもしれないからさ。ここなら看護師さんを呼べるけど、家だとそうはいかないし・・・。」

 

父「そうだな。このごろは漏らしたりしていないけどな。でもまあ、これも履いていればなんとなく安心だしな。誰かに見られるわけじゃないしな(笑)」

 

私「そうそう安心だよ。そして、別に言わなきゃわからないからいいんだよ。」

 

父「ああそうだ。今日はシャワーをするらしいよ。」

 

私「そう?よかったね~。さっぱりできるね。シャワーのときは無理しないように、
看護師さんに洗ってもらってね。」

 

父「わかってるよ。もちろんそうするつもりだよ。」

 

私「それからね。実は歩行器もレンタルすることにしたんだよ。足元ふらふらして危ないときもあるだろうから、あったほうが安心かなと思って。」

 

父「へえ~。それはありがたいなあ。これは、家での生活がすごく快適になりそうだなあ。なんだか不安がなくなってきたよ。」

 

 

父が兄弟2人と1泊旅行へ行ったのは、まだほんの3か月前のことだ。

もうずいぶん昔のことのように思うくらいに、父は変わった。

特に麻薬鎮痛剤を使い始めたころからの・・・

わずか2か月の間に、坂を転がるように衰弱していった。

初めての認定調査を受けた昨年秋には、自称「56キロ」だった体重も、

おそらく今はもう45~47キロくらいじゃないかと思う。

 

筋肉の落ちたふくらはぎは、今はもう、わたしの二の腕よりも細い。

こんな足で外を出歩けるわけない・・・と、いうほどに。

 

そして、おそらく2か月前であったら、

車椅子を勧められたら逆上したし、

紙パンツを穏やかに受け入れるだなんてこと、ありえないことだった。

看護師さんに入浴介助をしてもらったらいいのに、と言ったらキレまくったのは

前回の入院時・・・たった1か月前の出来事だ。

 

それが今は、入浴介助すら受け入れている。

 

 

父は父なりに、この数週間・・・毎日毎日、病室の天井を眺めながら

自分の理想と現実をすり合わせて、

現状をありのままに受け入れようという努力をしてきたのだろうなあ・・・と、

この一連の会話をしながら感じた。

 

果てしなく高い気位と、人を非難せずにいられない気性、わがまま、淋しがり、

決して折れない、いつでも自分が正しい、人にかわいそうと思われたくない・・・

というそんな父。

そんな自分のプライドを守るために鋼鉄の鎧に身を包んで生きてきた父にとって

「受け入れる」「家族以外の他人の助けを借りる」ということほど、

情けなく感じること、難しいことはなかったはずだ。

 

 

そして自分でも意外だったのは、

さりげなく、父との会話の中に

「体調が悪化したらそのときはまた入院」というニュアンスの話を

盛りこめたこと。

それは「ガンが進行して自宅での緩和が無理になったら入院」の意味だ。

 

お互いに、核心をオブラートに包み、ハッキリと言葉は避けたものの

そのときの会話は間違いなく父とわたしの双方が、

 

「これが最後の自宅暮らしになりそうだね。」と、

 

暗黙の了解として確認しあった瞬間だった。

 

わたしは今でも変わらず不安いっぱいである。

 

けれど

 

父が努力して受け入れようとしていることを、

わたしもまた、努力して受け止めていかなければいけないんだな・・・と

 

昨日、ここに愚痴や弱音を吐いたことを反省している。