それでもなお腹を立ててしまう自分が嫌になる。

ブログの更新をしなかったのは、安定して書くことがなかったからではなく、

全く出口の見えないトンネルに入り込んだように、

毎日毎日、精神ゴリゴリ削られているから。

 

同居で介護している人も世の中には大勢いるのに

通いでこんな悲鳴を上げているのは、自分で本当に情けないと思うし

もっと気持ちの余裕持つべきだと思うけれど

どうにもならない。

 

ある意味、自分が一番恐れていたシチュエーションが今・・・という感じ。

父本人の体調がめちゃくちゃ悪いけど、入院するほどではない・・・

でもほうっておけないから毎日様子を見に行かなくてはいけない・・・

それが今の状態。

 

退院してきて、すぐはかなり頭がぼんやりとしていたので

服薬管理にいきなり失敗するなど、不安が募ったけれど

徐々に認知機能のほうは元の状態に戻って来た。

薬を飲んだかどうかはまだ怪しいけれど、

毎日わたしが残数をチェックしているので、いくつ飲んだかは把握してる。

 

そう、毎日だ。

毎日通ってる。

7月に入ってからずっと体調不良が続いているから、今月はほとんど毎日・・・。

 

退院して5日目。

今、一番悩まされているのは「食欲不振」。

 

食欲がないと本人が訴えるので、退院してから今日まで

まともな食事がほとんど取れていない。

これでいいのか?もうわからない。

このままこんな状態が続くなら、入院させるか?訪問看護で点滴をお願いするか?

考えなければならないのだけど、

 

父本人は実は点滴が大嫌いなので、「点滴」という提案を匂わすと

全力で拒否してくる。

たぶんこれも高齢者あるあるだと思うのだけど、血管が細く、

さらに非常に見えづらいので、

点滴を針を刺すのに1発でうまくいくことがほとんどない、

なんとか点滴のルートを確保できても、点滴を打っているうちに詰まってしまって

腕がパンパンに腫れ、「点滴やり直し」がすごく多い。

だから父は点滴が大嫌い。

 

レトルトのおかゆを買ってきてくれと言われたので買った。

「お金に糸目はつけないからおいしいやつを頼む」

とまで注文を受けた。

難しすぎる話。

レトルトのおかゆって・・・・所詮はレトルトレベルだから、

「レトルトにしてはおいしいね」で妥協しなきゃいけないところだけど

父にそういう感覚はない。

 

おかゆなんて、手作りのほうが断然おいしいに決まっている。

じゃあ、おかゆくらい作ってあげたら?と言われるかもしれないけれど

それだけは超えちゃいけない一線だと、自分で思っているので手を出したくない。

 

「安い米を使ってるんだろう?」

「米の味がしない」

「うまみがない」

「米の甘みってものがない」

「堅すぎる」

「やわらかすぎる」

わたしは・・・・たかが米ひとつに対して、ここまで口うるさいことを言う父親に

おかゆを作ってあげましょう」

なんて言えるほどやさしい娘ではない。

 

しじみの佃煮が好きなので買って行くと

「これじゃない。もっと粒の大きなやつだ」

と言われる。

梅干しを買って行けば

「これは1つが大きすぎる。これより一回り小さいやつ。」

「味がしない。もっと塩味の効いたヤツにしてくれ」

などと言われる。

奮発して、超おいしいシャインマスカットを買って行ったときは

「甘すぎるぶどうだな。甘けりゃいいってものじゃない。」

おいしい中トロが食べたいと言われたときは、自分では絶対に買わないような

目玉の飛び出る値段のやつを買って行った。

「一見、脂がのってておいしそうに見えるが、実は安物だな。
まったくトロのうま味がない。こんなものはマグロとは言わない。」

とダメ出しされた。

 

ちなみにこんなの日常茶飯事で、

今体調が悪いからわがままになっているわけじゃない。

別に舌が肥えているわけじゃなく、

自分の好みに合わないものを一ミリも許容できない人なだけ。

だから一緒に外食をしても、口に合わないと思ったら

ほとんど手を付けずに残すことも父にとっては当たり前のこと。

「まあ言うほどおいしくもないけど」「もったいないから」と思いつつ

頼んだからには食べる・・・なんてことは、父はしない。

わたしが毎週父を買い物に連れていく理由の一つは、

こんなふうに食べ物にうるさいので、

「だったら自分で選んでくれ」という気持ちもある。

 

そして、こんなふうにうるさい父のために、おかゆだろうとおにぎりだろうと

自分が時間て手をかけて作ったものを食べさせる気にはどうやってもなれない。

こんなふうに文句やケチをつけられたら、もう通えなくなると思う。

そこまでわたしの心は広く保てない。。。

 

食欲不振は深刻だけど、入院中は病院食をほぼ完食するなど、

主治医から「元気そうですね」と言われるくらい安定していて、

退院する数日前には栄養点滴も外れたほどだった。

それが退院翌日から「気持ち悪い」「食欲がない」の連発。

いったいどういうことなのか、さっぱりわからない。

 

実は病院にいるほうが、父本人が安心できてたんじゃないだろうか・・・?と思う。

家に帰りたいとしきりに言ってはいたけれど、

家に帰れば、服薬管理は「こうして、ああして」とうるさく言われる、

自分でやらなくちゃいけない、痛み日記も書かなくちゃいけない。

わたしや看護やヘルパーさんが来る以外はずっとずっとひとり。

いろいろ不安感が募るんじゃないだろうか?

本人はきっと認めないけれど・・・

何でもやってくれて、対応してくれる病院にいる時間のほうが

実は父も不安なく過ごせて楽だったんじゃないだろうか?

だから病院食も完食するくらいの食欲だったんじゃないだろうか?

今の食欲不振は精神的な物じゃないのか・・・?

そうじゃないと退院してきたとたんに食欲不振に陥るなんて、

都合よく体調不良になる原因の説明がつかない・・・とか、

ぐるぐると考えてしまう。

 

病気は病気として存在しているので、食欲不振の原因はどこから来ているのか

結局素人のわたしが考えても推測の域を出ないのだけど・・・。

 

配食サービスから届く弁当は、毎食ほぼすべて残す。

頼まれたレトルトのおかゆも、1/3ほどしか手を付けずに残す。

それは仕方ないと思う・・・。わかる。

でも、毎食毎食、そんな状態なのに、

どういうわけかカップ麺やカップうどんを毎食ごとに作るのが理解できない。

しかも、毎食毎食、作るだけ作ってほぼ手を付けず、全量残している。

「食べられるかもしれないと思った」と本人は言うのだけど

毎日大量に出る残飯を片付けながら

食べる前にさすがにわかるだろう・・・と言いたくなってしまう。

 

かわいそうに・・・と思ってあげなくちゃいけないところなのに

そうやって、無駄になる食品が毎日毎日大量に出るために、

わたしは父の様子を見に行く・・・というより、

毎日1日分の残飯を処理して持ち帰るために行っているようなもので・・・

(この季節、放置するとあっという間に悪臭やコバエのもとになるし)

 

食べないカップ麺を毎食作る父に、つい内心イライラしてしまう。

もちろん、顔には出さないように笑顔で耐えてる。

 

そして、食べられない状態にあってなお、

買って来たものを「食欲がなくて食べられない」の一言で済むのに

いちいち一口だけ食べては味の批評をしてケチをつけ、「捨てていいよ」と

簡単に言うことや、

食べないカップ麺が、わたしがゴミ処理にいくころには、スープを全部すいこんで

麺が膨張して気持ち悪いことになってることに、

ため息が出てしまう自分がイヤだ。

 

父がこういう病気になってなお、

素直に「かわいそうに」と父に寄り添えないことに罪悪感を感じてしまう。

 

看護師さんがお風呂見守りに来たときには、お風呂も一旦は拒否したらしい。

退院前に入ったきりなので5日入っておらず・・・

この日を逃すとまた2日入れないことになるので

「必ず入るように」と念押ししてあったのに。

 

幸い、看護師さんの粘りづよい後押しで渋々入ってくれたらしいが、

あれほど好きだったお風呂に入りたがらないのも、

食べていないせいで身体の倦怠感が強くなっているせいだろう・・・と思う。

 

ずっと「食欲がない」「食べたくない」という形容詞で

自分の体調を訴えて来ていた父が

昨日の朝になって、「気持ちが悪い」と言い出した。

 

わたしの感覚では・・・「食欲がない」と「吐き気」は別物と思っていたけれど

よくよく聞けば、「ずっと気持ち悪かった」と言う。

 

(いや、そうならそうと「吐き気がある」と言ってよ・・・)と内心思いつつ、

それならば・・・と、

手元に少しだけ残っていた処方薬の「吐き気止め」を飲むように促した。

 

 

今はそれが効いてくれることを願ってる。

 

 

さて、今日もまた行かなければ・・・。