もう1週間、毎日父のところへ通っている。
心身ともに、父の状態が不安定なので自分が行かずにいられないというのが本音。
そして、行くたびに大抵「ギョッ」とすることが起きている。
退院2日目の昨日は、いきなり服薬管理で失敗した・・・。
こういう服薬カレンダーを使うことになった・・・と書いたけれど
この日(土曜日)の朝10時に父を訪ねてみた時に、
この日の夕食後の薬がすでに無くなっていた・・・(汗)
この日の朝飲んだのか?それとも夕べ2袋
(1袋飲んだあとにそのことを忘れてもう1袋?)飲んだのか?
父に聞いても「わからない」と言う・・・(おいおい~)
薬剤師さんから
「もしも飲み忘れた場合は、そのままで(途中で気づいて時間外に飲んだりしない)」
・・・と指示されていたので、ひょっとしたら夕食後の分を朝飲んでしまっていると
過剰摂取になってしまうと思い、この日の夜の分は飲まないように、と
何度も念を押した。前途多難だ・・・。
この日は父が「お気に入りのスーパーへ行きたい」と言ったのだが、
どこからどう見ても、病人候で・・・無理して今日行かなくていいんだよ?と
言うのだけど、父は「それでも行きたい」と言うので、
ダメとも言えず、連れていくことに。
「やっぱり車椅子があったほうがいいんじゃないかなあ」と、頭をよぎる。
しかし、父がイヤがる可能性も高いし
また、たとえゆっくりゆっくりしか歩けなくても、
歩けるうちは少しでも足腰の衰えを防ぐべく、
リハビリ代わりに歩かせたほうがいいのかも?と
思ったり、悩ましいところだった。
これまで、外出するときは大抵酸素ボンベのカートを引いていたが
(たぶん誰でも1度は見かけたことがあるだろう、定番のアレ)
この日はあえて「カートじゃなくてリュックにしない?」と提案した。
これは小サイズのボンベが入っている専用リュックで
だいたい2Lのペットボトルが1本すっぽりおさまるくらいのサイズ。
カート式のボンベと違って、背中に背負うことで両手が空くので便利なのだけど、
やはりそれなりに重たいので(体感的には3キロくらい)
高齢者になるとこれを背負うのも長時間はつらいし、
父はあまり使っていなかった。
右肩のあたりに骨転移している父にとっては、
今となってはカートを(利き手である右手で)引くのも、
リュックを背負うのも・・・とにかく、酸素ボンベを携帯すること自体が、
身体に大きな負担をかける。
病院など、一緒に出掛けるときはわたしが隣でカートを引っ張ってあげることが
多かったのだけど、
これが実際にやってみると、父の歩く速さに合わせつつ、
なおかつ足にカートがぶつからないように
気にしながら歩かなくてはいけないため、なかなかに疲れる動作である。
しかも、酸素ボンベのカートって二輪なので腕にずっしり重い!
(どうして四輪カートの酸素ボンベを作ってくれないのかなあ?)
なので、わたしがボンベを持つなら、カートよりもリュックにして、
わたしがそのリュックを背負って、父の隣を歩くほうがお互いにラクチンでは?と
思ったので、父にそう提案した。
実際にスーパーに行ってみると、これがとても具合がよかった。
わたしが父の酸素ボンベリュックを背負って歩く。
体力のあまりない&背中の痛い父は重いものを持たずに
ショッピングカートを杖替わりに歩けるので、とても歩行が安定したのだ。
(言ってみればショッピングカートを歩行器代わりにした)。
ショッピングカートを押しているせいで、
周囲からも、父の弱り具合が分かりづらかったと思う。
(正直、今の父は通り過ぎる人が「この人体調悪そうだけど大丈夫?」と思いそうなくらいな歩き方なので・・・)
たぶん、この先も父を連れて出かけるときは
わたしがこうやって酸素ボンベのリュックを背負ってあげたほうがいいな、と思った。
ところで・・・こんな父でも、介護保険の介護度は「要支援2」である。
急に何の話かというと・・・
先日、介護関係の「お悩み相談」の掲示板を見ていたら・・・
要介護2の親御さんを介護されている・・・という方の相談内容に対する回答の中に
(回答者の多くはおそらく介護経験者)
「要介護2なら大したことないですね」
と書いている人が散見されて、それがすごくイヤな響きだなあ・・・と思ったから。
それって余計な一言じゃないの?と。
介護度は、老親本人がどのくらい補助を必要としているかを決める、
そのために使える介護サービス枠を決めるための目安ではあるけれど
介護度=介護をする人の大変さ
を表しているわけじゃないはず。
介護はひとつとして同じにはならず、家族関係や環境・・・
それぞれに事情がまるで違うので、その数字だけを聞いて「大したことない」と
言ってほしくないなあと思って。
たとえば、わたしの父の場合・・・
在宅酸素が必要なくらいの重症な呼吸器疾患があるけれど、
介護度を決める調査の質問内容に呼吸器疾患に関係する項目がそもそも存在しない。
だから認定調査では、「できます」「できます」の回答ばかりになってしまう。
父は動けるけれど「持久力」がない。息切れを起こすから階段もつらいほどなのに。
でも、介護度に換算すると、要支援どまり・・・というのが現実。
介護認定調査では、「認知症」と「麻痺など、明らかに手足が不自由」である人は
介護度がしっかり重めに出ることが多いようだけど・・・
父のような呼吸器疾患の人は「特記事項」でしかその大変さを訴えられないから
病気の重さに介護度は比例してこない。
でも、誰かに父のことを聞かれて「要支援2なら、まだ楽だよね」とか言われたら
たぶん、かなり凹むと思う。。。。
それってキーパーソンを傷つける言葉だよ・・・って
言いたくなると思う。
介護未経験の人がそういうことをつい言ってしまうのは、
無理ないかな・・・と思うけれど
経験者や現在進行中の人からそういう言葉が出るのはちょっと悲しい。
「うちのほうが大変」「わたしはもっと大変だった」とか、そういう妙なマウントに
なったりしてない・・・?と思ったりする。
わたしは高校生~22歳くらいまでの5~6年間、
母と一緒に祖母を自宅で介護していた。
祖母は完全な寝たきりで認知症で、寝返りも打てない状態だったので、
おそらく今の介護度に換算すると、要介護4か5だと思う。
もちろん、当時は介護保険なんてものはないので
ヘルパーさんが家に来て助けてくれるわけでもなく・・・
わたしと母親だけで、完全な在宅介護の状態で祖母を看ていた。
経済的に苦しかったので、母はパート仕事を辞めることはできず、
母は午前中、祖母のことを看て午後からはパートへ。
祖母はわたしが帰宅するまでの3時間くらいは一人で家にいたことになる。
そして、夕方入れ替わりにわたしが帰宅して夜まで祖母の世話をする・・・
という日々。
だから当時は毎日学校から帰ってまず最初にすることは、
祖母のおむつを替えることだった。
おむつから横漏れして大惨事になってることも珍しくなかったけれど、
ひとりで後始末した。
母のパートはサービス業だったので、土日は(わたしをあてにして)1日仕事。
なので週末はほとんど1日わたしが祖母の世話係。
自分ひとりで世話をしていたわけじゃないし、
キーパーソンはもちろん母親で、夜中も起きておむつを替えるなど
(当時はまだまだ、今のように高性能な紙おむつは高く、経済的に厳しかった実家では買えなかったらしい。そのためオムツカバーと併用する、安価な長方形型の紙おむつを使っていた。だから横漏れはしょっちゅうだったし、夜中のおむつ交換は必須だった)
母こそは本当に大変な日々だったに違いなくて、
わたしがしていた介護なんて、ほんの手伝いレベルのことではあったけれど・・・
でも、今と当時とどっちが大変か・・・?といえば、間違いなく
「要支援2」の父の世話のほうが何倍も大変だと自信もって言える。
祖母の世話ももちろん大変ではあったけれど、大変なのは下の世話くらいで・・・
完全寝たきりだから徘徊もないし、認知症といっても「静かな認知症」だったので、
騒いだりわめいたりもなく、どこまでも「かわいいおばあちゃん」だった。
対して・・・父は本当に些細なことでも不平不満が多いし、
沸点低いし・・・・会話するたびに、神経をすり減らすと言ってもいい(泣)
そうやって・・・介護の大変さって
いろんな要素が複雑に絡み合ってくることなので
介護度だけで「大したことない」って決めつけるのは、
特に悩みやストレスを抱えている人を責めるような言葉に変わってしまうと思う。
この日・・・父をの酸素ボンベを背負って店内を歩きながら
「自分にとっては十分大変な日々なんだけど・・・要支援2だからなあ・・・。
もしわたしが掲示板に”通い介護がつらいです”なんて投稿したら、
きっと”要支援?大したことない””通い?まだマシですよね?”って
言われちゃうんだろうなあ」
なあんてことを、思ったりした。
みんな・・・親の面倒を見ている人のことは
介護度に関わらず温かく見守ってあげてほしいな。