退院当日。

昨日、父はなんとか退院した。

まさに、「なんとか」だった。

病室を出て10mほど歩いただけで、

その足取りの不安定さ見て取れるもので、ヨロヨロと危なっかしい。

正直、入院するときも同じような状態だったわけで・・・

約1週間の入院で、父の体調が戻ったようには全く見えなかった。

唯一、ある程度の記憶力と理解力が戻った(とりあえず意味の通った会話は成りたつ)

というだけで、

本当にこの状態で自宅に戻って一人暮らしを続けるのか?

帰る場所は老人ホーム・・・の間違いじゃないのか?というくらいの弱々しさである。

 

父本人も「フラフラする」と言った。

病棟は病院の入り口から一番離れたところにあり、

普段から歩くのが人より速いわたしがさっさと歩いて3分くらいかかる距離。

 

しかも、こんな状態なのに、父は重い酸素ボンベのタンクを引いている。

代わりに引いてあげたいけれど、わたしも入院荷物の引き上げで

右腕は大きなショルダーバッグ、左腕には毛布(父が寒がるので持参した)・・・と、

酸素ボンベを引いてあげる3本目の腕がない。

なので、「ロビーまで車椅子使おうよ」と言ってみたのだが

案の定、キッパリ拒否された。

車椅子での退院なんて、父のプライドに関わるのだろう。

まだまだ自分の現状に抗っている。

「弱くなった」という自分のことを受け入れて甘えるほうが、

ずっと生きやすい気がするのだけど・・・どうしてもそうできない人もいる。

 

意地でも歩く・・・というので、途中で立ち止まって休憩しながら、

結局病棟からロビーまで10分以上かかって歩いた。

病棟から病院入り口まで歩くだけで、

その日の1日分の体力を使い果たしたかのような父。

帰りには、スーパーで買い物をする元気もなく、自宅に到着すると

部屋着に着替えて、いつものように一人用ソファに座り、

「疲れた」と言い、言葉少なにそのまま眠ってしまった。

 

父は「早く家に帰りたい」と言っていたけれど、思った通り。

家に帰っても結局、動く元気もなく

こうして1日ソファでウトウトしているだけなんだろうと思うと・・・

急いで退院しなくてよかったんじゃ?

という気持ちになってしまう。

(主治医は2週間くらいいいですよ、と言ってくれてたわけで)

 

わたしはとにかく土日を乗り切らねば。

退院直後はいつも緊張する。父の体調がスッキリ戻ったことは過去に1度もないし、

退院したあとに一時的に「ウツ」みたいな状態になることが多いからだ。

(退院してきたけど自分が期待したようには体調が戻らない→不安になる→落ち込む)

 

本当は昨日の退院当日の午後、早速訪問看護師さんに来てもらってお風呂見守りを

してもらうことが可能だったのだけど、父から「必要ない」と拒否されたので

看護師さんは月曜日までやってこない。

 

父はおそらく、せっかく病院から出て「自由」になったのに、

当日の午後早速看護師さんがやってくる・・・という状況が

窮屈でイヤだったのだと思う。

退院してくるだけで、疲労困憊でぐったりしている父を見て、

「ああこの日のお風呂見守りは断って正解だったかな・・・」と思った。

 

そうそう

担当者会議のときに、「緊急通報ボタン」を導入してはどうか?という提案があった。

首からぶら下げたり、部屋に設置し、体調が急変したときに押すと

消防署へ自動的に通報がいく・・・というもの。

(厳密にいうと、父の住む自治体の場合、連絡を受けた消防署はあらかじめ決められた父の世話役となる民生委員さんなど、近所の方に電話を入れて父の様子を見に行ってくれ・・・と頼むのだそうです)

けれど、わたしはこの提案をやんわりとお断りした。

 

父は本来ものすごく自由人で束縛されることが大嫌い、

人から決められることが嫌い、

だから、こうやって今のように自分の生活が介護サービスなどの

スケジュールでがんじがらめにされていくことを本当はイヤがっている。

自分はもっと自由に気楽にひとり暮らしをしたいのに、

その一方で身体が思い通りにはならず、人の手を借りなければ暮らせないという

理想と現実のギャップに苦しんでいるように見える。

事実、背中の痛いの原因は

「先生はああ言ってるけど、これはガンの痛みではないと思う」と言っているほど

(本当にそう言ってる)

まだ自分がガンだということも受け入れられずにいるし、

そう信じたくないのだろうとわかるので、父親がそういう風に言うことを否定せず

「そうかもしれないね」と受け流すようにしている。

そんなわけで・・・ただでさえ、

今後今まで以上に看護やヘルパーさんの介入の回数が増えることに

複雑な思いだろうところへ

さらに緊急通報ボタンまで持ちましょう・・・!というのは、

本人には受け入れがたいことだと思うので、

これにはもう少し時間が必要だと思う。

だから今はボタンについては保留にして、もう少し時間をかけたいです。

 

・・・・と、そう皆さんには説明をした。

 

家族をはじめ、介護や看護に加わってくれるサービスの人達は、

真剣に要介護者の安全と快適な暮らしのためによかれと思って、

使えるのものは何でも使ってあげよう・・・と考えるもの。

それはごくごく自然な感情だけれど

周りの「心配、心配」が強くなりすぎて、先走りすぎて

時に本人の気持ちを置いてけぼりにしてはいないか・・・?というところは

時々立ち止まって考えなければいけないところじゃないかなと、常々思っている。

そしてそういう細かい部分は、家族でないとわからないことなので

家族が先に気が付いてあげないといけないこと・・・。

 

担当者会議では、こんなふうに家族にしかわからない、本人の性格や価値観、

どういうことを好むか、イヤがるか・・・と、でもこんなふうにリードしていけば

受け入れてくれる可能性がある・・・などの情報を共有することは

すごく大事だとわたしもこの数か月で学習した。

 

 まあそういうこともあったりして・・・

父の退院後の生活は、わたしにとっては不安だらけなのだけど、

父にとってみたら、たとえ満足に動けなくても家がいいのだろうから

わたしのほうもあまり「無理だ」「危ない」「心配」を繰り出さないように

気を付けたほうがいいかな・・・と思っている。

 

 

通所リハのほうは今月いっぱいは休止で、

来月以降、体調を見て再開するか?そのまま辞めるか・・・?を判断することに

なっているけれど、とりあえず昨日の歩行を見た限り、

とてもじゃないが通所リハなんて無理!!だった。

 

そう遠くないうちに通所リハどころじゃなくなるだろうなあ・・・

と言う思いもあるけれど、

それを辞めてしまったら、本当に家に引きこもる生活になりかねないし、

足腰は弱る一方になってしまうだろうから、

本人に続ける意思があるのなら、

ゆっくりゆっくりなペースでも、やらせてあげたいと思う。

(幸い、担当の理学療法士の女の子のことはすごく気に入っているらしいので)

 

そんなわけで、

とりあえず退院だけはした・・・・という日でありました。

 

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