認知症の通い介護の大変さを知る。

先週金曜日~今週月曜日までの流れは前記事までに綴ったとおり。

実はその後・・・

 

(月曜日)

病院から帰宅後、そうめんが食べたいと言ったので買ってきて茹でてやる。

揖保乃糸」を1束完食、少量だけどとりあえず安堵。

夜、気になって大丈夫か?のLINEを送るも返事なし。

 

(火曜日)

朝もう一度LINEを送るも返事なし。昼にようやく既読がつくも返事なし。

心配になって夕方電話を入れてみると今回は出た。でもしゃべり方が酔っ払いのような

間延びしたもので、「だいじょうぶです」と言われても覇気のなさに不安が。

 

そして昨日(水曜日)の朝のこと。

普段は水曜日は父のところへは行かないのだけど、

心配で落ち着かなかったので、行ってみると朝8時だというのにまだ眠っていた。

このとき、酸素のチューブはソファに放り出したままだし、

酸素生成装置ごとOFFになっているので

「あ~やっぱり夜間は完全にOFFにしちゃってるんだな」を確認したが、

とりあえず、普段「眠れない」を連発している父を起こすのもかわいそうだと思い

声をかけずにそのまま帰って来た。

 

そして午後になって・・・・

突然、わたしのスマホ訪問看護師さんから電話がかかってきた。

「今日訪問させていただいたのですが、
ちょっとお父様の様子がおかしかったので・・・」

と言う看護師さん。「やっぱりか」の胸騒ぎしかない。

 

いつもならチャイムを1回鳴らすだけで出てくるのに、

今日は3回鳴らしても応答がなく、

不安に思って、玄関先から父の携帯に電話をかけたところ、

それでようやく気付いて中に入れてくれたと。

さらに、話していても常にぼんやりとしていて、食事はしたか、痛み止めの薬は

飲んだかと尋ねても、反応が鈍く「覚えていない」と答えたと・・・・(汗)

 

そしてもう一つ驚いたのは

(※実は看護師さんが電話をしてきた直接の理由はこっち)

なんと、父のお尻に床ずれができているというのだ。

父が看護師さんに「お尻が痛い」と訴えるので、見せてもらったところ、

軽度ではあるけれど床ずれができている、と。

とりあえずワセリンが自宅にあったのでそれを塗っておいたけれど、

心配なので金曜日にもう一度訪問させてもらっていいか?という確認の電話だった。

 

寝たきりでもないのにお尻に床ずれが出来る・・・ということは

そのくらい、1日中同じ場所に・・・

おそらくイスに座ってそこでテレビを見るかうとうとするか・・・で、

とにかくずっと座っているということだ。

 

とりあえず、看護師さんから

「ちょっとぼんやりされているので、薬の管理とか大丈夫でしょうか?・・・」

と言われたことに、わたしのほうがむしろ不安になる。

 

吐き気止めを処方されてやれやれ・・・これでまた元の状態に戻るだろうと

勝手に期待してしまっていたのが、家族だけでなく、

他人の目にわかるくらい父の受け答えがおかしくなっているということだ。

 

看護師さんが心配はもっともで・・・

そんなあやふやな受け答えの状態で、飲んだかどうかも答えられないようでは

痛み止めの薬を飲みすぎてしまったりしないか?不安でたまらない。

ともかく、確認せずにいられない気持ちになったため、

夕方急きょ、ふたたび父の元を訪ねることにした。

 

夕方4時ごろだったと思う。

玄関ドアは鍵もかけず開いたまま。

いつもは必ず鍵がかかっているのに。

「鍵をかける」という意識がないほどに

ボーっとしているのでは?と不安が膨らんだ。

リビングまで歩いていくと、父がいつものようにソファにだらしなく座って

うたた寝をしていた。

けれど、わたしが来た気配にすぐに気が付いたようで顔を上げ

 

「ああ・・・。NORAKOさん、きてくれたのか・・・。」

 

と死んだ魚のような力のない目で、

そして不安そうなすがるような目でわたしを見て言った。

 

「なんか、おかしいんだよ。ずうっと あたまが ぼーっとして。」

 

父には自分の頭がおかしくなっているような実感があるようだった。

それを自分で不安がっているように見えた。

 

「いたみは ぜんぶ どっかにいってしまったよ。うそみたいに。」

「どこがいたかったのか ぜんぜん おもいだせないくらいに。ふしぎだねえ~」

 

と、途切れ途切れに話す。もう誰がどう見てもおかしい。

表情がないし、活舌も悪い。 

 

しばらく父の話を聞きながら、ふと室内が静かなことに気が付いた。

驚いたことに酸素のチューブを鼻につけてはいるのに、

肝心の酸素生成装置のスイッチが切られていて、全く出ていなかったのだ。

部屋が静かだったのは装置の音が聞こえなかったからだった。

酸素濃度を測ったら、85しかなく

(低酸素慣れしている本人は、それでもぼんやりしているだけでへっちゃら)

慌ててスイッチをいれて酸素を吸わせた。

 

朝、様子を見に来たときにOFFにして眠っている状態だったことを考えると

これはもしかしたら前夜から12時間以上ずっと酸素なしの状態だったのでは??

 

本人、鼻にチューブを差していて、

パっと見問題なく酸素を吸っているように見えるので

看護師さんもたぶん気が付かなかったのだろうと思う。

 

父がずーっと忘れていることは問題だと思った。

やんわり伝えても

「それはきかいがこわれてるんだ。きのうも へるぱーさんがきたときに

さんそがとまってるっていったけど、こわれているからだ。

まるで おれが わすれたかのようにいうから、はらがたった」

 

・・・と、のらりくらりとした口調ながら、しっかり自分のミスを棚に上げて

ヘルパーさんの悪口を言った。

(※もちろん、装置は壊れてなんかいない)

 

そういった話のどこからどこまでが事実で、どこからどこまでが妄想かわからないので

あまり真剣には聞かず、「うんうん、なるほどね~」と相槌を打って聞き流した。

 

お昼の配食弁当には手を付けず、ラーメンを作って食べた跡があったが

それを朝に食べたのか昼に食べたのかわからないという。

台所のゴミ箱をチェックしても、ラーメンの空き袋1つしかなかったので

おそらくこの日は朝からラーメン1袋を食べただけだったのだろう。

 

お腹がすいて、またそうめんを食べたいというので、茹でてやった。

夕食用の配食弁当も届き、そうめんとそのおかずで早めの夕飯を取る父。

食べながら話しているうちに、

少しずつぼんやりした顔からいつもの表情に戻ってきて、目に力が戻って来た。

口調も少しずつ速くなってきた。

つじつまの合わない話も減って来たので

 

これは・・・おしゃべりを続けているとボーっとした状態から覚めてくる?

といった感じのようにみえた。

 

その後、翌朝食べられるものが何もないので、「コンビニでパンを買ってくるね」と

言い残し、15分ほど父のもとを離れて戻って来たのだけど、

たった15分離れただけなのに、

わたしが戻って来たときにはもうすでにうとうとと眠っているではないか。

 

これは俗にいう「傾眠状態」だ。

わたしが5年前に腰の手術をしたとき、自分で経験している。

強い痛み止めの副作用で、声をかけられない限り絶えず延々ウトウトしてしまう。

わたしの場合、36時間くらいその状態が続いていて、

やっと痛み止めの点滴と副作用から解放されたときに

食事を運んでくる看護助手のおばちゃんがわたしの顔を見るなり、

「あ~よかったねえ。元に戻ったね。

話しかけてもずっとボーっとしていたから心配していたんだよ。

もう表情が全然違うからすぐわかったよ。目に力が戻ったね。」

とものすごく安堵してくれたことを覚えている。

 

父の「ちょっと目を離すとすぐに寝てしまう」はまさにソレだと思った。

 

ところで、心配だった薬の管理は、残った薬の数を数え、

過剰摂取した形跡はなかったのでこれもひとまずは安堵したが・・・

 

とにかく父が「せん妄状態」であることは明らかだと確信した。

 

info.ninchisho.net

 

↑こちらのサイトから引用抜粋させていただくと・・・

 

「明確な原因は解明されていませんが、高齢者特有の「虚弱な状態」に、何らかの身体的、心理的な引き金因子が加わることで起こると考えられています。

「虚弱な状態」となる原因のビッグ2は、「高齢であること」、そして「脳の機能低下があること(まだ認知症になっていない軽度な低下も含む)」。そこに、急病などの身体的ストレス、薬品に含まれる成分への反応、身内や友人の不幸などの心理的なストレスが引き金因子となり、せん妄が発症します。」

 

だって。ひえ~~~~まさに父のこと。

原因は「高齢」×「急激な麻薬系鎮痛薬の増量」と考えるのが妥当なのかも・・・。

実際、父が服用している鎮痛剤は

「せん妄」を引き起こしやすい代表的な薬剤のひとつだということも、

先日の診察のあとに知った。

 

診察のあった日は「脳転移」のことで頭がいっぱいだったけれど

こういう状況証拠から考えると、やはり主治医が言ったように「薬の副作用」と

考えるのが適切なようだ・・・。

 

そして「せん妄」が認知症とは違うこと。

 

*発症時期が特定できる→ハッキリわかる。
*症状の変化が急激→まさにそう。
*症状は一過性(元に戻る)→まだ継続中
*1日のうちで症状が変わりやすい→ほんとコレ。
意識障害がみられる→傾眠・ぼんやりなど。

 

そして「せん妄」特有の症状

 

*会話が減る、反応が乏しくなる、無表情、無気力→完全に当てはまる。
*刺激をしないとすぐに寝てしまう→完全に当てはまる。
*食欲がない→完全に当てはまる
*どこにいるのか分からない、日付や曜日が分からなくなる(見当識障害)など
→場所はわかる。でも日付と曜日が混乱している。

 

これを読んで、吐き気が治まったのに食欲不振が続いているのも「せん妄」の

症状なのかも・・・?とハっとした。

 

そして「低酸素」も同様にせん妄の引き金になる。

これは前回の肺炎での入院で経験済なので、注意が必要なところ。

 

ここ数日、酸素がたびたび外れたり、機械がOFFになっていたことを考えると

低酸素も症状を悪化させている気がした。

 

素人考えだけど・・・やはり薬が多すぎるのではないだろうか?

オキノーム(頓服)はやめるべきじゃないのか?と思い、

父に「オキノームが必要なほど痛むのか」と聞いてみたところ

 

「痛くないけど、飲んでおいたほうが安心かなと思って、寝る前には必ず飲む」

と言うではないか。

つまり、実際には痛くないけれど痛みが出るのを恐れて先に飲むというのだ。

 

気になる副作用が出ていないのなら、それも構わないかもしれないけれど

(一応、必要なだけ飲んでもいいと言われている薬なので)

せん妄状態に陥っているのだから、「念のため」だなんて飲んでほしくない。

父にはやんわりとそのことを説明した。

「頭がボーっとしちゃうのはこの薬のせいだからね。我慢することはないけれど

痛くないときは飲まないでね。痛くて眠れないときだけにしてね。」と。

 

父は「わかったよ。そうするよ」と返事をしたが・・・・

 

 

果たしてこの会話を覚えているだろうか・・・?

 

 

 

これまでの通い介護も、自分にとっては大変なものだったけれど

それは父の難しい性格と付き合うのが大変だった・・・という側面が大きかった。

今、一時的(と思いたい)とはいえ、認知症と変わらないような状態の父に

こうして接すること、いろいろ言い聞かせることの大変さ

そして、自分が父の元を離れてからの心配、心配、心配・・・。

 

尽きることがない。

 

認知症の親御さんを遠距離介護されている人は

どれほどの不安と闘っていることだろうと、ここ数日で思い知った。

・・・というか、どうやって対応されていらっしゃるのだろう???

当然、ヘルパーさんやデイサービスの助けを借りているだろうことはわかるけれど

24時間誰かが傍にいるわけでもないわけで・・・。

 

つい数日前まで「吐き気」問題に頭を抱えていたのが、

いまや突然起こったせん妄状態に、すっかりアタフタしてしまっている。

 

「どうしようどうしよう」と思ったって、どうにもできるわけではない、と

つとめて冷静に考えた結果・・・

 

「薬の過剰摂取がなければOK」

「トイレの粗相がなければOK」

「とりあえず何か食べられればOK」

 

と、目標を低く設定し・・・・

「せん妄状態をなんとかできないか?」ということは考えないことにした。

そこを焦ると気持ちが焦るし、自然に任せるしかないから・・・。

 

 そして、LINEを送っても返事がないし

(たぶんこれもボーっとしているから返事をすることを忘れるのだろうと思う)

電話をしても、その声に逆に不安になるだけなので

 

しばらくは朝夕の1日2回、こまめに通って会話をし、

薬の服用状態をチェックして、

せん妄状態の変化を観察していくしかないな・・・と覚悟を決めた。

 

それが精いっぱい今できることかな・・・?と。

 

さて、ここはがんばりどころだぞ。