脱・酸素生活。

兄弟にサポートしてもらって・・・の、父の1年ぶりの旅行は無事に終わったらしい。

よかったよかった。

 

父はとりあえず歩行はスタスタと歩けるのだけど、

持久力がないので、

スーパーで買い物をするくらいの体力しかない。

30分も歩いたら、酸素ボンベをつけていても、はあはあと荒い息になる。

 

けれどそれでも、低酸素状態に身体が慣れてしまっているので、

普通の人なら入院レベルの酸素状態でも、

本人的には「ちょっと息が切れる」という程度で

動こうとするので、傍目には「危険レベル」がわかりづらい。

 

なので、旅行へ行く前に

わたしはそこに地雷があるということを承知のうえで、

父を怒らせないように・・・と言葉に細心の注意を払いながら

目的地では車いすの利用」を勧めた。

 

「お父さんは久しぶりの旅行だし、普段全然歩いてないし体力ないと思うから

無理せずに車椅子借りたほうがいいよ~。

ずっと乗ってなくていいから、疲れたときだけ乗るとか、そんな感じで。

最初から張り切りすぎると翌日疲れて動けなくなるかもしれないし~。」

 

(↑わたし的に、努めて明るく、軽いノリで父のプライドの地雷を刺激しないように最大限言い回しに気を使った・・・・つもり)

 

わたしのこの、精いっぱいの助言に対して、父はなんと言ったか?

 

 

 

 

「何をバカなことを。(鼻で笑う)」

 

 

 

・・・・ですってよ。

 

車椅子なんてとんでもないということらしい。

 

この俺様が車椅子?バカにするな

 

と、おそらく心の中ではそう叫んでいたはず。

そんな一蹴だった。

 

これ以上深追いすると、キレるのでしつこく勧めることはせず撤退した。

兄弟のほうにも「お父さん体力ないと思うから車椅子借りたほうがいいかも」と

一応伝えておいた。

 

 

ところが、1日目の行程を終えた夜、ホテルで疲れを取っているであろう

兄弟にLINEで父の様子を聞いてびっくり。

 

 

 

ああ、お父さんね・・・。
酸素ボンベ使ってたのは最初だけで、
あとはほとんどボンベなしで歩いてたよ。

 

 

はあっ?!

なにぃーーーーーー?!

 

 

もう呆然とした。

 

兄は、一応父に聞いたそうだ。

 

「え?いいの?酸素なしで・・・?」

 

すると父は

 

「どのくらい酸素なしで歩けるか試してるんだ。」

 

と、よくわからない返事をしたそう。

 

そして、続けて兄が

 

「そんなことして大丈夫なの?」

 

と聞くと、父は

 

「うるさいな(怒)
本人がいいって言ってるんだからいいんだ。」

 

と、軽くキレかかったので、地雷に近寄りすぎたと思い、

もう兄はそれ以上言うのはやめて好きにさせておいた・・・・と。

 

 

もう・・・・どうしようもないなと、あきれてものが言えなかった。

「ほとんど酸素なしで歩いた」だなんて、ありえない。言葉がない。

 

お~!酸素なしで歩いたの?すごいすごい!

なんて喜ぶ話では、間違ってもない。

 

父は酸素なしでもヘーキ、ヘーキ・・・・な身体ではないし、

おそらく、父は酸素飽和濃度85くらいで歩いていたはずで

(※これは普通の人なら歩けない&即入院レベル)

 

そして何より、

 

酸素をきちんと24時間吸わないということは、

肺を弱らせて寿命を縮める行為であって、

しかも心臓にも十分な酸素が行きわたらないので、心臓にも良くないNG行為。

 

そして父のように「低酸素を感じにくい身体」になってしまっている患者の場合、

自分の低酸素に気付かずに、低酸素脳症を起こして意識朦朧としたり、

突然倒れる可能性もある。

これが実は一番怖い。

 

そのくらいの危険行為なのだ。

 

もちろん、わたしからもこういうリスクは何度も説明したし、

主治医からも、以前父が「夜寝るときは酸素吸ってません」とうっかり話した時、

「ちゃんと吸ったほうがいいですよ。そのほうが肺が長持ちしますから」と

やんわり注意されたこともある。

 

低酸素脳症に関しては、

「突然低酸素で倒れてそのまま亡くなってしまった患者さんがいたんですよ。

だから低酸素を感じにくいのはとても怖いことなんですよ。気を付けてくださいね。」

と、看護師さんからも父は脅されたことがある。

 

その上で・・・・の、暴挙である。

 

父がこれらの大事なことを、覚えていないということは絶対にない。

 

考えられるとしたら・・・そもそも「信じていない」ということ。

(医者の言うことさえ、都合の悪い情報は信じないのが高齢者”あるある”)

 

「別に苦しくないから何の問題もない」

 

というのは、これまでにも何度か父が口にしてきたこと。

 

 

はあああああ・・・ったく!

 

 

怒りを通り越すとはこのこと。

もうどうしようもない暴れん坊じいさんだ。手に負えない。

 

ここでわたしがまた口うるさく言えば、

せっかく落ち着いている父との関係がまた悪くなるに違いないし、

そういうギスギスした言い合いを繰り返すと、

父のことを心底嫌いになりそうだから、

言い争いになるようなことはもう全部避けて通りたいわたし。

それは全部「自分のメンタルを守るため」だけど。

 

本人がそれでいい、うるさいほっとけ、というならもうどうにもできない。

 

わたしも、自分を守らないとこの先も付き合っていけないから。

 

 

でもね、もうひとつ別の動機があるような気がしている。

 

それは、父が再び酸素サボリを始めたタイミング。

 

ガンが少しずつ大きくなっていることや、背中の痛みがガンのせいである・・・という

可能性を指摘された、あの5月の検診から始まったという点。

 

あの日、診察の帰りに寄った処方箋薬局で、酸素を外して店内に入っていった。

帰りに寄ったスーパーでも、わざわざ酸素を置いて店内に入った。

 

おいおい突然どうしたんだ?って、あのとき思った。 

 

先週末、整形外科へ行った帰りのスーパーでも、

やっぱり私が目の前にいるにも関わらず、堂々と酸素を車の中に放置して、

買い物をしていた。

 

 

考えすぎかもだけど、父は自分の余命が1~2年程度しかないかもしれないことを

うっすら悟り・・・・

 

 

 

「どうせそんなに長くないのだったら、

こんな酸素チューブに縛られて暮らすなんてゴメンだ。

今更酸素吸ったからって長生きできるわけじゃあるまいし。

だったら、残りの人生、好きなように生きてやる!

俺には酸素なんて必要ない!」

 

・・・と、そんな理由で

「脱・酸素」を試みようとしているのかもしれない・・・とも思えてくるのだ。

 

 

きっと普通の老人ならこんな無謀なことはせず、

ちゃんと主治医の指示に従うに違いない。

けれど、うちの父は(キレられるのがイヤで)誰も口出しのできない、

独特の美学を持っているので

こういうことをわりと本気で言いそうなのだ。

 

 そして今回の旅行での、「脱・酸素チャレンジ」・・・・。

 

ちなみに兄弟によると、かなり息遣いは荒く、脈も上がっている感じだったので

決して「酸素がなくても余裕」ではなく、結構つらそうだったそう。(そりゃそうだ)

それでも「酸素を吸いたくない」理由は・・・

 

やはり「残りの人生、好きなように生きてやる」という意思の表れだったのでは?

 

父は、きっと「また一人で好きなところへ旅行したい」と考えているはず。

なんなら「また海外旅行を」と考えている可能性も十分にある。

 

でも、酸素ボンベがある限りは、一人旅は絶対無理なのが現実。

だったら、「ボンベなしで行けばいい」という発想からの・・・

 

「どこまで酸素ナシでも大丈夫かを試している」

 

という父の言葉につながっている気がした。

 

 

考えただけでも恐ろしいので、そんな無謀な一人旅を決行されては困るし、

わたしの思い過ごしであってほしいけれど

 

 

わたし、父の思考回路を知り尽くしちゃってるからなあ・・・・。

 

 

そして・・・ゆうべ、旅行から帰宅した父がLINEを送って来た。

(酸素サボリの件がわたしへ筒抜けだったとも知らずに)

 

「旅行はとても楽しかったよ」

 

と。

 

楽しかったのはいいことだけど、その「酸素ナシ」の旅行で

父はなにやらとんでもない野望(一人旅)を思いついて、

そして根拠のない自信(酸素ナシでもいけるいける)をつけて

帰って来たんじゃないかと

 

今、ものすごく心がザワザワしている・・・。