年齢の壁。

昨年秋から、ブログの8割・・・

いや、9割くらいは父親のことばかり書いているので、

わたしの日常は父のこと一色であるように心配される方もいるかもしれないけれど

決してそうじゃないです。

 

まあ、父のことを考えない日はありませんが。

(心配とかイライラとか憂鬱・・・とか全部ひっくるめてねw)

 

少なくとも父との関係が表面上だけでも平穏である限りは、

できるだけほかのことに集中するように努めています。

 

今の私にとって、その一番が「英会話」。

以前から、英語のやり直し学習をしていることは、このブログでも

たま~に触れていますが、相変わらず細々と続けています。

 

1年半前から、週1回英会話スクールに通っているのですが・・・

オンライン英会話(スクール通いの1年前。ほぼ毎日受けていた)よりも、

対面で実際に話すほうが、自分は合っているとわかったので、

おそらくこの先も「もう飽きた。もういいかな。」と思うまでは

無制限で何年でも通い続けようと思っています。

 

 

クラス的には、ディスカッションクラスを受けているので

おそらく世間の人が思い浮かべるであろう「英会話スクールのイメージ」とは

かけ離れた内容のことをやっていると思います。

具体的には、毎週1つのトピックを掘り下げて自分の意見を言う感じ。

 

これがね、楽しいのですよ。

といっても、テーマが毎回難しいので

(政治・経済・環境問題・テクノロジーとか、さまざまな社会問題について

自分はどう思うかとか?〇〇には賛成か、反対か?とか)

自分の意見をまとめるための情報をネット記事からいろいろ調べて頭に入れたりという

入念な予習は必須で、たまに

「わたし英会話レッスンの予習してるはずなんだけど、なぜブレグジットについて調べてるんだ?」

みたいに苦笑することもあります。

(たまにイギリス人講師が担当するときには、ブレグジットについて正しく理解してないと、相手の説明がチンプンカンプンになってしまうから)

 

今唐突にどうしてこんな話をしているのかといったら、

最近のアメリカ人講師とのレッスンがものすごく印象的だったから。

2週間くらい前のレッスンなのでかなり時間が経っているのだけど、いまだに自分の

頭の中に彼女の言葉が張り付いて離れません。

 

政治的なトピックの話をしていた流れから・・・アメリカ大統領選挙の話に。 

 

 

わたしがこんなことを言ったときでした。

「そういえば・・・この間、日本のニュース番組で、次の大統領選の候補として、

今のところジョー・バイデン氏(76歳)とバーニー・サンダース氏(77歳)が

有力だと言われているけれど二人の年齢が高いことが気がかりである・・・と

伝えていたんだけど、実際はアメリカ人はどう思っているの?」

と。

 

すると担任のアメリカ人講師は驚いて否定したのです。

 

「え?年齢?!年齢なんて関係ないわ。

現に、サンダース氏の支持者の大半は若者なのよ。

アメリカ人は、候補者の年齢なんて見たりしないわ。

大事なのは、候補者の人となりと、政治的思想、そして実績だけよ。

年齢は一切関係ないの。

候補者の年齢を問題にすることは、アメリカでは差別に当たるのよ。

だって、有権者にだって多くの老人がいるわけだから。

その高齢の有権者を差別していることにもつながるのよ。

トランプは嫌われているし、わたしも彼が嫌いだし、

彼が大統領になったことはアメリカ人にとって悪夢でしかないけれど(←笑)

だからといって、彼の年齢を問題にしたことは一度もないし、

バイデン氏やサンダース氏のどちらかが大統領になったとしても、

年齢は関係ないわ(きっぱり)」

 

・・・とこんな感じに(意訳入ってますがこういうことを言ってました)

 

日本で、もしも彼らと同じ年齢の人が次の総理大臣に立候補したら、

おそらく多くの日本人は「年を取りすぎている、もっと若い世代に・・・」

と否定的になるだろう・・・と話したら、

目を丸くして「Why?Why?」と驚いていました。

 

なぜ?それのどこがおかしいの?大事なのはそこじゃないでしょ?能力でしょ?と。

 

もちろん、日本でも

「大多数の人はこう考えているけれど中には別の考えの人達もいる」

というのと同じで、彼女の言葉がアメリカ人の総意というわけではないでしょう。

 

けれど、わたしは彼女が真剣な顔で「年齢なんて関係ない」というところが、

ものすごくずっしり心に響いたのです。

 

 今の担任は2人目なのですが、去年まで1年間受け持ってもらっていた男性講師と、

こんな話をしたこともありました。

わたしがかつてファイナンシャルプランナーの資格を取ったり、

長く保険の仕事をしていた・・・と話したときに、

「君にはファイナンシャルプランナーの知識があるのだから、英語力を使って

外資系の保険や会計の仕事ができるじゃないか?」

と言ったり、

「英語でガイドをする観光タクシーはどう?外国人観光客は増えているし、

このあたりはそういう人材も少ないはずだから。」と、

ものすごく具体的な職業を挙げて、真剣に勧めてくれたのです。

 

 

わたしはそのときの彼のトンデモ提案に、ぶんぶん首を振ってのけぞりながら

「まさか!そんなの無理無理~~!」と、思わず笑い飛ばしてしまったけれど

あのときの彼は、決して調子よくテキトーなことを言っているわけではなく、

いたって大真面目に勧めてくれていたんですね。

「え?どうして?君なら出来ると思うよ?」と。

 

(ちなみにこの講師は講師として働く傍らで日本語でのさまざまな資格を取得、さらに本国の通信講座を使って専門分野を学び、ついにはアラフォーで日本の外資系企業へとスキルアップ転職されていきました・・・。年齢は関係ない!を行動で示してくれた人)

 

 

それが、今の女性講師の「年齢なんて関係ないわ」ときっぱり言う姿と、

ふわっと重なりました。

 

日本人って、口先では「まだまだ若い」「年齢なんて関係ない」と誰かに言うけれど

それって実際のところは、その言葉に深い意味は込められていなことが多く

心の底では本当に年齢を踏み倒して何か新しいことを始められるなんて

思っている人は少ないはず。

「まだまだ若い」って、言うほうも言われるほうも、

本音ではそれを「社交辞令」のニュアンスとして、

暗黙の了解でお互いに感じ取ってることが多いと思います。

(だから言うほうも言われるほうも、別にそこに不快感はないんですよね)

 

 

もちろん、本当に年齢を超えて何かにチャレンジしたり成し遂げる人はいるけれど

「その人は特別。ごく限られた努力の人。普通では考えられない。」

という、やっぱりそんな目線になりがち。

 

そして何より、アラフィフから何か新しく始める人のことを「すごい」と思う感覚が、

日本人特有のものかもしれないなと感じました。

 

だって「(その歳で?)すごい!」

 

って意味ですものね、これ。

 

わたしが家族など周囲に隠していることだって、

「(その歳で)英語勉強してるの?え?なんで?」って思われるのがイヤだからだし。

 

50歳過ぎてせっせと英会話に・・・

しかも、一体それ、どこで使うんだよ?というような

ディスカッションやディベートレッスンに精を出しているだなんてね、

なんて思われるか不安だからリアルでは絶対言えない。

 

ところが、彼女たちにとっては、「え?それのどこが恥ずかしいの?」なことらしい。

 

彼女はまだ20代の若い講師。

日本人の20代の女の子から「そんな~まだ全然若いじゃないですかあ~♪」

なんてニコニコしながら言われたら絶対に真に受けないことも(笑)

 

ハナから年齢なんて関係ないという価値観で育ってきた20代のアメリカ人から

「年齢を気にする理由が全くわからない!」と

目と目を合わせて真顔で言われたら

 

これがね、なんだか体の奥から勇気と意欲を湧き上がらせてくれるのですよ。

 

有言不実行になると恥ずかしいので、言いませんが

自分の中で、「こういうことができたらいいのに」と温めているコトがあります。

 

今はまだ父の通い介護もあるし、その通い介護はいずれじわじわと今以上に

わたしの自由を侵食してくると思うので、

自分が本当に自分のことだけに集中して暮らせる日は

まだ当分先になるでしょう。。。。

 

でも、彼女がわたしに言った

 

「年齢を気にする理由が全くわからないわ!」の言葉を

鏡の中に映る自分に強く言い聞かせて

 

自分の第二?第三?のステージを、

決して人から見て、それは「すばらしい」とか、称賛されるような

カッコいいものじゃなくていいので

面白い人生にできるように

今は日々コツコツと力をつけるべく、努力していきたいなと思っています。

 

そして、そんな気づきとモチベーションを与えてくれた、

英会話講師にも感謝したいです。