本人抜きで話したい。

今週は非常にハードな1週間だったけれど、前記事に書いた引越しの翌日は

父親の定期検診の予約が入っていたので、わたしは疲れた心身を無理矢理持ち上げて

父に付き添って病院へ行ってきた。

 

先日の記事にも書いたとおり、父がこのごろ前にもまして「背中の痛み」を

頻繁に訴えるようになり・・・・

さすがにそこまで痛い痛いと言われると

それが肺の病気に起因しているものではないか?とそこがとても気がかりなので

今月は久しぶりにCT検査もあるということで、

例の「背中の痛み=肺がん」の可能性について確認したいと思っていた。

 

そして、そのCT検査の結果にわたしは驚きを隠せなかった。

 

主治医は

「10月に撮ったCT画像と比べてみると・・・・この影の部分が

少し大きくなってますね。」

 

と言った。

 

その画像は、わたしの記憶の中にあった画像とはまるで違うものだった。

わたしの記憶の中にあった画像というのは、

右肺の下部に、画像上サイズでビー玉大のまあるい物体がある写真だった。

2017年春に初めて画像に映ったそれを見た時、当時の主治医は

「腫瘍の大きさは約1センチくらい」と称していた。

 

けれど、今の主治医が「去年10月の画像と比べてみると」と言った、

その10月の画像自体がすでに、ビー玉状の物体ではなく、

Sサイズの卵大くらいのモヤモヤとした影となって広がったものだった。

 

(え?10月の時点でこんな形になってたの?知らないぞ?)

 

その、「10月のころより大きくなっている」と言われた今回とったCT画像のそれは、

この5か月の間に、Lサイズの卵大サイズに一回り大きな影になっていた。

(※実際の大きさは不明。あくまで素人目による画像上でのサイズ感)

 

いつの間に、アレは「ビー玉サイズ」から、こんな「影」になっていたのか!?

 

わたしは、そこにまず驚いていた・・・。

主治医が言った「10月の画像」というのは、

おそらく入院中に撮ったCT画像のことだ。

あのときは肺炎で生死をさまよっていたせいだろうけれど

この腫瘍の「成長」については一切言及がなかった。

だからわたしはその画像すら知らなかったのだと思う。

もう10月の時点で、すでに卵大になっていたということは、もっと前からこれは

大きくなり始めていたはずなのだけど・・・。

 

最初に肺がんを指摘した主治医は、病院を辞めてしまったので

今の主治医は実はその後任である。考えてみたら、この主治医から腫瘍についての

説明は一度も聞いたことがなかった。

 

それが今回、初めて主治医が言及した。

 

「この影は・・・まあカビという可能性もありますが、おそらくは腫瘍でしょう。

この腫瘍については積極的な検査や治療はしないということでよかったですよね?」

と、改めてこちらの意思を確認するかのように問われた。
(たぶん前主治医の書いたカルテからそう引き継いでいるのだと思う)

 

 

父は・・・・もうすっかり「無害なガン」だと思っていた自分の中の腫瘍が

「ビー玉大から卵大」まで大きくなっていたことに動揺しているように見えた。

けれど、それ以上何も聞こうとはしない。

気の小さい父なので、おそらく怖かったからか・・・あるいは聞いてもしょうがないと

思ったからか・・・それはわからない。

 

一方、わたしには聞きたいことはたくさんあったけれど・・・

これもまた、父を前には聞きづらくてなかなかぶっちゃけて聞けるものじゃない。

今は、「本人に告知」することはごく当たり前な時代になっていることは承知だけど

やはりケースバイケースで・・・・

父のような後期高齢者で積極的治療を望まない、あるいは『できない』場合は

家族だけで詳細を把握しておきたいケースは多いんじゃないだろうかと思った。

たぶん、入院中であればいくらでも本人抜きで話をすることは可能だけれど、

通院だとそうはいかない。難しい・・・・。

 

「確定診断ができないことは承知です。

推測で・・・あくまで推測の話でいいのですが、

このペースでがんが大きくなると余命はどのくらいでしょうか?

今後、どんな症状が出てくることが考えられますか?」

 

などなど。聞いておきたいことはたくさんあったんだけどな。父がいては無理だ。

 

 

ただ、2017年に、ビー玉大の腫瘍(らしきもの)が最初に発見されたとき、

当時の主治医は「何も治療をしない場合、通常余命は1~2年かと思います」

ハッキリ言った。

しかし幸いにも、そのときは半年たっても大きさも形も変わらず、

主治医が経験から知っているケースどおりには大きくならなかった。

その主治医ですら「珍しいケースです。おとなしいガンのようですね」と

笑ってくれたほど、父のビー玉サイズのガンは静かだった。

 

が、今回明らかに大きくなっていたそれを見せられたとき、以前の主治医が言った

「余命1~2年」が改めて頭をよぎった。

あのビー玉大サイズのときで「余命1~2年」と言われたのだから、

今すでに卵大にもなっているこの状態だと・・・・どのくらいなのだろう?

 

 

間違いなく言えることは・・・

こうして動きのなかったはずのガンが大きくなり始めてしまった今、

「余命1~2年」の話は現実味を帯びてきたといういことだ。

もう2年はないかもしれない。

 

余命についてはさすがに父を横にして聞く勇気はなかったけれど、

例の「背中の痛み」については、痛みが肺と関係があるのかどうかはハッキリさせて

おかないと気持ちがモヤモヤするので、ここだけは思い切って聞いてみた。

 

主治医「背中のどのあたりが痛いですか?」

父「右の肩甲骨の下のあたりです。」

主治医「ああ、そんなに上のほうであれば・・・それは腫瘍とは関係ないでしょう」

私「そうなんですか?(ホッ)」

主治医「ええ。このCT画像でいくと、腫瘍があるのは右肺の一番下のほう・・・

横隔膜に近いところなので、痛みがでるとすれば腰に近い背中になると思います。

肩甲骨の下ということであれば、その痛みはやはり筋肉痛か何かだと思いますよ」

 

 そうなのか・・・・。ホっとしていいのか、よくわからなかった。

だって、もしかしたら骨に転移している可能性・・・だってあるのでは?と

素人考えで思ったりしたのだけど、父を前に「骨転移」だなんて恐ろしいワードは

口にできないし、医者にとっても

詳しい検査ができない以上、「あくまで一般的な例として」と前置きをしなければ

話せない話になってくるはずだったろうから、その答えは精いっぱいだったかも。

 

その証拠に、主治医は明らかにその腫瘍についての話題を避けたがっているように

見えた。

何か他意があって・・・とかではなく、答えようがないというのが本音な気がした。

 

「まあ、今こうして元気に暮らせていることなので問題ないですよ」

「元気そうですし、それが一番大事ですから」

 

など、なんだか「今とりあえず元気であればそれでいいってことにしませんか?」

なノリでまとめようとしていた。

それ以上ガンについての詳しい解説はしたくない様子だった。

 

わたしもまた、父本人を前にして余命が推測できるような話ができるわけもなく

これでよかったのかもしれない。

 

いつもであれば、父は診察が終わるとホっとしたように元気になるのだが、

この日はいつまでも口数が少ないままだった。

在宅酸素になって、ただでさえ自分の「老い」を感じて、

どこへも自由に出かけられないストレスを抱えている父にとっては、

腫瘍が大きくなっているという話は、相当な精神的打撃だったに違いない。

 

父も何も言わなかったし、わたしも「腫瘍」の話題は避けて、どうでもいいような

たわいもない会話をしながら、その日は病院を後にした。

 

ガンが大きくなっているという現実を前に、ガンの話題に触れないことの

何とも言えない不自然さと気持ち悪さがあった。

 

わたしは前にも書いたけれど、ある程度もう覚悟ができてるので、

腫瘍が大きくなっていると聞かされても、実は驚くほど落ち着いている。

全くと言っていいほど動揺していない。

たぶん、

もうすでにさんざん「肺がボロボロ」と言われ続けている状態なので

次に肺炎を起こせば、一気に命を落とすかも・・・という危機感を常に持っている。

うまく表現できないけれど、

つまりガンがあってもなくても、余命はそんなに変わらないだろう・・・と

思っていたせいだと思う。

 

今はただ

「さてこれからどうやって父をこれ以上気落ちさせないように、メンタルを保つには

何をするべきだろう?自分は何をしなくちゃいけないんだろう?」

という、自分のやるべきことをこなすことでいっぱいである。